ほんとうにつまらないなぁ。
いつか、おもしろく感じる日がくるのだろうか?
楽しい気分が復活する日がくるのだろうか?
焼け野原のまんまなんだよな。
まったく復活しない。
けっきょく、ヘビメタをやられた日から、不愉快と苦悩の連続だ。どうしたって、トラブルがしょうじる。きちがいヘビメタが鳴っていない時間の出来事だ。
きちがいヘビメタが鳴っていない時間に、俺が、よそで、よそのひとともめることになる。ヘビメタ騒音が隠された要素である以上、あるいは、ヘビメタ騒音がその他者にとって「見えない要素」である以上、どうしても、対立せざるを得ない。
問題なのは、他者にとって、「見えない要素」ではなくても、うまくいかないということだ。それは、「鳴らされてしまったから」うまくいかない。こちらの失敗に対して「それは、ヘビメタ騒音が鳴っていたからしかたがない」という理解を得られたとしても、それは、いいことではない。
誤解をされるよりもいいことだけど、そもそも、そういう事態が発生しないように、ヘビメタ騒音が、「即座に」鳴りやむべきなのだ。
けど、鳴りやまなかった。
だから、くるしい。
けっきょく、やけどをしたあと、『放置』なのか、『シップを貼る』のかというちがいだ。そもそも、やけどをしないに、こしたことはない。そして、ヘビメタ騒音は「くりかえされていた」。一回で、鳴りやむことが必要だ。そうでなければ、シップをしていたとしても、また、やけどをするということになる。
毎日、全身やけどで、俺が、ほかの人から、〇〇〇と言われ、毎日、全身やけどで、俺がほかの人から、だらしがないと言われる。毎日、全身やけどで、俺が、ほかの人から、あまいと言われ、毎日、全身やけどで、俺が、ほかの人から、弱いと言われる。
そんなことでいいわけがないでしょ。
しかも、全身やけどの痛みが残っている状態なのに、「〇〇〇、だらしがいない、あまい、弱い」と言ってくるやつが、「過去なんて関係がない」と言い出す。
ヘビメタ騒音をやられれば、暗くなるのに、暗いのは、だめだと言われる。ヘビメタ騒音をやられれば、憂鬱になるのに、憂鬱な顔をしているのは、だめだと言われる。ニコニコしろ、元気を出せ。うっさい。まるまるまる。
ああ、全身やけどって、ヘビメタ騒音に焼かれたということの比喩ね。ヘビメタ騒音に数千日やられたということは、体の内側が、全身やけどをしているようなものなのだよ。
睡眠をつかさどる回路が、焼き切られて、元に戻らない状態なんだよ。関係、なくない。過去のことでも、関係がないわけではない。人のことだと思って、まちがった基準でまちがったことを言いやがって。