たとえば、偏差値で二〇下げられた状態で暮らしてみろ。どんだけ、不愉快な思いをするか。ほかのやつらは「そういうもんだ」と思って接してくるんだぞ。ともかく、勉強することができないということは、不愉快なことなんだよ。
学生時代ずっとそんな状態で、いいわけがないだろ。みんながみんな、俺と同じように、この世で一番キライな音に毎日、何時間も何時間も、何時間も何時間も、何時間も何時間も、何時間も何時間も、さらされているなら、公平な競争だけど、そうじゃないのだから、公正な競争じゃない。佐藤や由紀夫は、そういうことを無視して、俺にガタガタ説教したり、さけたりする。
勉強することができなかったばかりではなく、それで、通勤、通学するための睡眠力、体力をうしなっている。けど、やつらには、俺がサボっているように見える。やつらには、俺があまえている?ように見える。こういう、勘違いするやつを、大量に生み出す。
気違いヘビメタに「人知れず」さらされるということは、こういうことだ。
そして、こういうやつらは、『非常識だから』ということで、俺の説明を信じない。『そんな人いない』『そんなことはない』と思っているのだ。
気違い兄貴が、気違い的な意地で、気違い的な感覚で、ヘビメタを、ものすごくでかい音で毎日毎日鳴らし続けると……こういうことになる。俺の人間関係に影響が出る。通勤ができない体になったということが、他の人にはわからない。徹底的にわからない。
気違い兄貴の状態を信じないので、俺が言っていることが嘘だと思うのである。嘘なのであれば、ヘビメタ騒音が影響をあたえるはずはないので、ただたんに、あまえているだけだということになってしまうのである。ヘビメタ騒音の影響を無視するやつは、俺に失礼なことを言うことになるが、そういうやつらは、全員、失礼なことを言っているとは思わない。
ヘビメタ騒音の影響を無視するやつは、俺をみくだすけど、特にみくだしているとは思ってないのだ。ようするに、そういうレベルでみくだしている。
こういうやつらだって、ヘビメタ騒音をあれだけ浴びせられたら、通勤通学が『どうしても!どうしても』できない体になるのに、それがわかってない。通勤通学ができない体になると、もともとの『学生時代のつきあい』が途絶えれば、『ひきこもり』と呼ばれる状態になりやすいのに、それがわかってない。
もともとの『学生時代のつきあい』は、ヘビメタ騒音のことでもめて、とだえる。学生時代の友だちも、無職が長く続けば、佐藤のようなことを言ってくるようになる。心配して「どうにかなってくれ」と言ってくる。けど、ヘビメタ騒音にやられて睡眠力と体力をうしなっている俺にはどうすることもできない。なので、基本的に仲が悪くなりがちだ。
日本人なんて、 ほぼ全員が日本労働教徒なので、『無職』や『ひきこもり』は、『悪い人だ』『全員ダメ人間』だと思っている。こちらが無職だ(当時)と言ってしまったら、『悪い人だから、ヘビメタ騒音の話は嘘だろう』『ヘビメタ騒音とかなんとか言っているけど、本当にそんなことが起こったことなのかどうか、たいへんに疑わしい』と思ってしまう。
一度、偏見が成り立つと、こっちがなにを言ってもダメなのである。
ヘビメタ騒音「で」働けなくなったと言っても、それは無視する。平然と無視する。こういう態度で、人に接する方が、よっぽど人間としてできてないと思うが、あなたがたは、そのことについて、どう考えるのか?
気違い兄貴が、人としてやってはいけないことをやって、俺を『騒音漬け』にした。毎日毎日、気違い的なこだわりで、ものすごくでかい音で、本人が鳴らしたい音を鳴らした。気違い的なこだわりがあるので、絶対にゆずらない。これは、悪いことだ。
けど、日本労働教徒にとっては、そういうことよりも、働いてないということが悪いことなのである。気違い兄貴の、迷惑行為よりも、俺が無職で働いてないということのほうが、はるかに悪いことなのだ。とにもかくにも、働いてない人の言うことは、信用でないのである。「ヘビメタ騒音で働けなくなった」と言っても、働いてない人の言うことだから信用しない……。
相手が言っていることを無視して、ヘビメタ騒音鳴らし続けることが、悪い行為なのだ。迷惑行為なのだ。俺は、気違い兄貴、直接、何万回も何万回も、『静かにしてくれ』『勉強ができなくてこまる』ということを言った。
けど、気違い兄貴は、気違いおやじの態度で無視した。腹を立ててやりきった。けど、気違い兄貴は気違い親父と同じ感覚の持ち主なので、一〇〇%やりきることができたら、やってないことになってしまうのである。
気違い的な意地でやっているのに……行為の「ぬし」であるのに……関係がない人になってしまうのである。相手が言っていることは、気違い的な感覚で無視してしまうのである。相手がどれだけせっぱつまっているか、わからない。
相手がどれだけ必死になって言っても表情が読み取れない。何千日も、こういう態度で、俺が必死になっていっていることは無視して、一秒もゆずらないで、ガンガン鳴らし続けた。その結果、俺が働けない体になった。『働けるように見えるけど』働けない体になった。
けど、常識的な人は、みずからがヘビメタ騒音を経験してないので、そういうふうになるという必然性が理解できない。なので、結果として、『無職』『ひきこもり』になっている俺をせめる。彼ら……常識的な人にとっては、兄貴が、人の表情を読み取れない人なのではなくて、『ひきこもり』の俺が人の表情を読み取れない人なのである。
そういう人たちのなかでは、『ひきこもり』全員が、アスペでコミュ障なので、人の表情を読み取れないということになってしまうのである。これも、偏見だ。偏見だけど、日本労働教徒は、『ひきこもり』であれば、なにか悪い人で、コミュ障であるに違いがないと思ってしまうのである。一度、そういう偏見が成り立つと、『コミュ障だから、お兄さんに静かにしてと言えなかったんだ』と間違った推論をしてしまうのである。
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共同幻想を相対化して考える能力なんて、常識的な人にはない。常識的な人はかならず、共同幻想の「うちがわ」で考える。共同幻想を「こえて」思考するなんて、できるわけがない。けど、それは、「学問的な思考」にとっては、必要なことなんだよ。もちろん、「勉強」じゃない。そういう力は学力には反映しない。