体調と生活の質は直結している。そりゃ、そうだろう。体調が悪いのであれば、なにをやっても、そんなに楽しくない。まあ、反論する人もいるとは思うけど……。体調が悪くても、楽しもうと思えば楽しめるとか……元気だ元気だと言えば元気になるとか……楽しい楽しいと言えば楽しくなるとか……まあ、それはそれでいいのだけど……。ぼくが言いたいのは、そういうことじゃない。たとえば、風呂に入ることを考えたとする。体調がいいときは風呂に入るのが、楽しいとする。リラックスできるとする。けど、体調が悪いと、その風呂も楽しめない。しんどいものになってしまう。「入りたくないな」と思うようになる。しんどいから……。で、入りたくないのだけど、衛生問題を考えると入ったほうがいいと思うとする。で、入るとする。楽しいか? 入りたくないのに、衛生問題を考えて、やっと入る風呂。楽しいか? 楽しいと言っても、なんて言うのかな? めちゃくちゃに楽しいというのではないのだ。普通に「風呂に入りたいなぁ」と思って入る風呂と、「入らなければならない」と思って入る風呂。同じ風呂でも、ぜんぜんちがう。
楽しい楽しいと言えば、楽しくなるか? これは、状態でちがう。上記のように、体がしんどい状態で「楽しい」と言っても楽しくならないと思う。あるいは、楽しくならない人が実在する。これ、どんな状態でも「楽しい楽しい」と言えば楽しくなると言っている人がいるけど、そうだろうか。また、そういうふうに言っている人は「人間なら」だれでもそうだ……という前提でものを言っているのである。要するに人間ならだれでも「楽しい楽しいと言えば」楽しくなる。楽しくならない人間はいないという前提でものを言っている。しかも、それは、科学的実験で証明されたとか言い出すんだよな。ほんとうに、どれだけ迷惑か。
どんな状態でも「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるというのは、まちがい。くるしい状態なら、「楽しい楽しい」と言っても楽しくならない。少なくても、そういう人間が実在する。人間ならだれでも「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるか? そんなことはない。どれだけ「楽しい楽しい」と言っても、楽しくならない人間は、実在する。
ほんとうに、こういうの、どれだけまちがった前提でものを言っているか、いい加減に気がつけ。
1)どんな状態でも「楽しい楽しいと言えば」人間は楽しくなる
まちがい。
2)中立的な状態なら「楽しい楽しいと言えば」楽しくなる場合がある。
正しい。
3)中立的な状態なら「楽しい楽しいと言えば」楽しくなる人間は存在する。
正しい。
4)中立的な状態でも「楽しい楽しいと言っても」楽しくならない人間は存在する
正しい。
3)は、人間ならだれでもそうだというとを言ってないから。1)は人間ならば誰でもそうだと言っている。人間というのは、楽しい楽しいと言えば楽しくなる動物だと言っているのだ。けど、これは、まちがいだ。どうしてなら、楽しい楽しいといったにもかかわらず、楽しくならない人間がいるからだ。楽しくならない人間がいるということは、実証済み。
だいたい、実験に参加できるということが、そのひとが普通の生活をしているということを意味しているのである。また、たとえば、その人がこの世で一番キライな音を10時間、大音量で無理やり聞かせたあと、11時間目に『楽しい楽しい』と言えば楽しく感じるかどうかということは、いまの心理実験では実験できない。どうしてかというと、倫理規定があるからだ。そういう実験はしてはいけない実験なのだ。だから、その人にとって一番キライな音を、大音量で毎日、10時間聞かせて、一ヶ月後、体調や心理状態がどうなるかというようなことは、調べることができない。その人にとって一番キライな音を、大音量で毎日、10時間聞かせて、一年後、睡眠の質はどうなるかというようなことは、調べられない。その人にとって一番キライな音を、大音量で毎日、10時間聞かせて、10年後、記憶力はどうなっているかとかそういこうとは、調べられない。
ヘビメタ騒音はぼくにとって、この世で一番キライな音なんだよ。そんな音を10年以上毎日、大音量で聞かされて、いいわけがないだろ。そのあいだに、高校入試、大学入試があるなら、そりゃ、人生に影響を与えるだろ。学力や勉強に影響を与えるだろ。そういうことを無視して、『鳴り終わったなら、そんなのは関係がない』とひややかに言ったやつを、デコ・パッチンしてやりたい。
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それから、そういう実験に参加する場合、参加者(被験者)が実験スタッフの気持ちを読み取って、サービスしてしまうという問題がある。要するに、『楽しいとこたえてあげたほうがいいのかな?』と思って、「楽しく感じました」「楽しくなったような気がします」とこたえてしまう問題だ。実験者の意図が読み取られやすい実験なのである。最初から……。いづれにせよ、被験者に実験後も影響を与えるような実験はできないのだから、どんな状態でもこうだということは、そういう実験からは言えない。そういう実験というのは、被験者に実験後、影響を与えないような実験ということだ。被験者に実験後、影響を与えないような実験をして、『どんな場合でもこうだ』と言うことはできない。
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俺がここに書いたことを理解できる人は少数派で、たいていの人はそんなこと関係がないと思ってしまう。「楽しい楽しいといえば楽しくなる」というのは正しい。どうして文句をつけるのか? と思ってしまう。そういうレベルだ 。心理学や哲学に興味を持っている佐藤ですら、そういうレベルなのではないかと、うたがってしまう。
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