幼稚園?
うるさいよ。こどもがものすごい奇声を発生している。しかも、複数。
ぼくは、幼稚園の騒音やマンションの騒音でこまっている人も、こまっているのだと思う。けど、ヘビメタ騒音の破壊度がすごいのだ。このヘビメタ騒音はきちがい兄貴のヘビメタ騒音ということだから……。普通の騒音とはレベルがちがうんだよね。ほんとうに「破壊的」。くるしいんだよ。
一秒間だろうが、一分間だろうが。それが、何時間もなっている状態というのは、普通の人は、考えられない。影響を受ける。どうしても、眠れなくなる。そして、たしかに、「どれだけ、動きたくなくても、まずうごく」とかそういうことは、初期の段階ではできるのだけど、だんだん、できなくなる。行動主義心理学はペテン。うそ。
やはり、その人の経験とかそういうことを考えてない。「人間」なら、こうだという言い方をしている。
寝不足で、動きたくないときに、動かなければならないとなると、どうしても、「憂鬱」になるのである。それが数千日続いたら、普通の状態ではなくなる。この普通の状態というのは、そういう状態が数千日続かなかった場合の(その人の)状態だ。そういう出来事が数千日続いて、体が変化を受けた状態と、そういう出来事が発生せずに、からだ(そのことで)変化を受けてない状態を、同じ状態だとは考えられない。毒にやられた人間と、独にやられてない人間を、同じ人間だからと言って、区別せずに「人間ならこうだ」と言ってしまうのは、問題がある。
行動主義心理学者が「やる気」なんて、最初からないから、「やる気を出す方法なんてない」ということを言った。「やる気」というのは、やる気がない人間が考え出した概念だから、「やる気」などというものは、そもそもないのだ……ということだ。けど、「意欲」に関しては、行動主義心理学者も考えなければならないのである。「やる気」を「意欲」と言い換えれば、「意欲なんてそもそもない」ということは言えない。それから、「まず、行動を起こすには、頭の上にエネルギーの球を想像して、それが、頭の中に落ちてくるところを想像すればいい」などと言っているのだ。これが、「やる気を出す方法」なのではないのか。問題なのは、意欲がないにもかかわらず、意欲を出して行動しなければならないところなのである。
話がとぶけど、マンションの騒音になやんでいる人に、ヘビメタ騒音のほうがひどい騒音なので、その騒音はたいしたことじゃないというつもりはないのだ。ヘビメタ騒音のほうがひどい騒音だと思うけど、マンションの騒音になやんでいる人にとっては、その騒音は、無視できない、でかい騒音だ。騒音問題自体がでかい。だから、ヘビメタ騒音よりも、たぶん、小さい騒音だからなやむ必要がないということ言っているわけではないのだ。それは、なやむでしょうということを言いたいのだ。想像の公的な基準というものを考えたとする。その場合、あの人が言っていたマンションの騒音、あるいは、上の階のこどもがあばれることによって出る騒音は、想像の公的な基準よりも、上だと思う。ヘビメタ騒音もそのマンション騒音も、想像の公的な基準よりも上の騒音だと思うけど、ヘビメタ騒音のほうが、たぶん、そのマンション騒音よりも、強烈だということだ。ヘビメタ騒音よりも「した」の騒音だろうから、なやむ必要がないということを言っているのではないのだ。なやむに相当する騒音でしょうということを言っている。……気違い兄貴のヘビメタ騒音よりもしずかだと思うけど。