つまんない。
だるい。
ほんとうに、不利。不利なんだよ~~。不利。
なんか、ネズミは二匹に増えた感じがする。
人に迷惑をかけないように、持ち物に気を使わなきゃならなくなる。それは、バルサンを炊いた場合でもおなじだ。殺虫剤を巻いたときもおなじだ。
こっちの言うことをまったく聞かないで、こだわりまくって一つのことをやり続ける気違いっぷりが、親父と兄貴でおなじなんだよな。この気違いっぷりに、翻弄された人生だった。あの態度が、他の人にはわからない。驚くべきことに、本人もやってないと思っている。どれだけの意地でやるか。「やってない」と意地を張るときの態度も、おなじ態度なんだよ。だから、際限がない。
気違い親父に対する怒りを隠して、よその人に対処しなければならなくなるんだよ。気違い兄貴に対する怒りとヘビメタ騒音の疲れを隠して、ヨソの人に対処しなければならなくなるんだよ。これが、ものすごいストレスだ。こういうのが、毎日積み重なったら、やっぱり、「元気だ元気だ」と言っても元気にならない状態になる。「楽しい楽しい」と言っても、楽しくならない状態になる。そうなると、言霊を信仰している人とは、……まあ、意見があわなくなる。そういうことも、積み重なる。
たとえば、俺がサービスで「そうですね」と言っても、ボロが出る。……リアル世界で、気違い兄貴の騒音や気違いオヤジの気違い行為にやられてくるしいとしても……睡眠回路を壊されて日中活動できない状態になっても……「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるというのが、彼らの理論だ。
しかし、いつまでもいつまでも、ヘビメタ騒音が続くので、俺は楽しくならない。そりゃ、たとえば、言霊主義者に、気違いヘビメタ騒音歴一年目に出会ったとして、ヘビメタ騒音がその後一四年間、毎日、何時間も何時間も鳴ったとしたら、どうなる?
くるしいままなんだよ。一四年間ずっと毎日「楽しい楽しい」と言っても、楽しくならない状態なんだよ。「楽しい楽しい」といえば「楽しくなる」と思っている人は、わりと短い時間を考えて、そう言っている。ほんとうは、中立的な状態で「楽しい楽しい」と言えば楽しくなったような気分になる……ということを言っているにすぎない。
ともかく、サービスで「そうですね」と同意しても、気違い兄貴のヘビメタ騒音が続く限り、楽しくならないので、同意してくれたと思っている人とは、うまくいかないことになる。そりゃ、同意したなら『この方法で楽しくなるはずだ』と思っているわけだから、うまくいかなくなる。
「その方法では楽しくならない」という俺の報告は、その人の気持を傷つけるというか……不愉快なものにさせるのである。けど、「傷つける」とか言うのであれば、「楽しくなると言えば楽しくなる」と言った人が、まず、俺のこころを傷つけている。まあ、だから、「楽しくならない」ということを俺が報告したとしても、気分を害するなということだ。あからさまに怒る人もいる。
楽しくなりました……と報告できない。嘘は言えない。あるいは、楽しくないのに、楽しくなりましたと報告して、その人……アドバイスしてくれた言霊主義者とつきあうのは、気分がよくない。こっちの気分がよくない。
ともかく、気違いヘビメタにやられている状態で、「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」ということを本気で信じている言霊主義者に「楽しい楽しいと言えば、楽しくなるから、楽しい楽しいと言えばいい」とアドバイスされてしまったら、そこで、どっちにしろ、その人と良好な関係を維持することができなくなる。
まあ、そんなにつきあいがない人なら、「楽しい楽しいと言ったら楽しくなりました」と嘘の報告をして、波風を立てないようにすることはできる。
けど、これは、「サービス」だ。長いことヘビメタが鳴っている状態だと、「楽しくなりました」と報告したあとも、楽しくなさそうな顔で暮らしているということになってしまう。
そうなると、言霊主義者はおなじアドバイスをすることになるのだけど、「長いことずっとさらされている」ということを無視してしまうために、「エイリさんが『楽しくなりました』と言ったのになんだ!」という気持ちになってしまうのである。
で、そういうことが、多くなってしまうのである。気違い兄貴が、気違い的なやり方で、気違いヘビメタをやり続けると、まわりの人(ヨソの人)と、そういうタイプのあらそいが生じてしまうのである。
気違い的なやり方だから、他の人は信じない。兄貴のようにこだわりつくして、鳴らされると、ほんとうに、すべてのことがうまくいかなくなる……という実際の感覚がわからない。なんてたって『鳴り終わったら関係がない』と思っているような人たちばかりなのだから……。『どんだけ、ヘビメタが鳴ってたって勉強はできる』と思っているような人たちばかりなのだから……。
『楽しい言えば楽しくなる』というのは、ある種の攻撃になってしまうのである。水銀のことで説明したでしょ。水銀でくるしい場合、『楽しくなる楽しくなる』と言っても、水銀が体から出ていかないと、くるしい状態が続いてしまう。長期間騒音が続く人や騒音の後遺症でくるしい人もおなじなのである。
ともかく、 『楽しくなると言えば楽しくなる』と言っている人はわりと短い時間のことを考えている。また、中立的な状態の人が『楽しくなると言えば楽しくなる』ことは、あるかもしれないけど、それを、すべての人に適応してしまうのはよくないことだ。
けど、かりにぼくが「すべての人に適応してしまうのはよくないことだ」ということを言ってしまったとしたら、言霊主義者は「どんな場合でも、どんなにつらくても、どんなにくるしくても……楽しいと言えば楽しくなる」と言うと思う。実際にそういうふうに言った言霊主義者がいた。
ともかく、『楽しいと言えば楽しくなる』というようなことを言う人がいた場合、ぼくが、一回目に、日和って、「そうですね」と言ったとしても、あんまりいいことにならない。長いから。毎日続くから……。後遺症が残るから……。長さがちがう。期間の長さは関係がある。
ダイヤだって、ほんとうはまだあのころヘビメタは鳴ってたんだけど「いいかげん、よくなってくれ」と言ってきたからなぁ。ダイヤですら……。事情を知っているダイヤですら……。ヘビメタ騒音が毎日、十年以上続くということはそういうことなんだよ。そういうことになってしまう。ぼく以外の人は……実際に一〇年以上毎日、しつこく、最大限のヘビメタ騒音を鳴らされたことがないので、実感としてわからない。ぼくが言っていることが、実感としてわからない。ヘビメタ騒音が鳴っている一日がどういう、一日だと思っているんだよ? もう、そっからちがうんだよ。
きちがい兄貴のしつこさが俺をくるしめる。けど、これがまた、ほかの人たちにとっては、俺が勝手に長いことくるしんでいると思ってしまうのだ。俺が勝手に、長いことこだわっていると思ってしまうのだ。こだわるとか、そういこうとじゃないのだ。それから、じつは『過去のことにこだわる』ということでもない。現在のことなんだよ。現在もくるしいの……。
現在も慢性疲労症候群のような易疲労性と睡眠回路の故障でくるしい。 ヘビメタ騒音を一〇年以上毎日やられたことがない人が、「こういうふうにすれば、体がなれてくる」「最初はつらいけど、仕事を続ければ、体がなれてくる」ということを言うけど、それは、ヘビメタ騒音に一〇年以上さらされたことがないから言えることだ。けど、そういう人は、ヘビメタ騒音に一〇年以上さらされたことがないから、わからない。そもそもが、わからない。そもそも、くらべる対象がないということがわかってないだけだ。経験がないから、わからない。
そりゃ、ヘビメタ騒音にさらされず普通に暮らしていれば、そういうことを言われることもないわけだけど、普通の人とおなじように、「やっていれば、体がなれてくる」ということを体験できたはずなのだ。それは、ヘビメタ騒音を鳴らされる前の一一年間でだいたいわかる。けど、ヘビメタ騒音鳴らされてからの数十年間は、数十年間に渡って……そういうことがなりたたない。「やっていれば、体がなれてくる」ということがない。慢性疲労症候群のような疲労と重度の睡眠障害でくるしい。