俺は基本的に、ヘビメタ騒音でくるしい。たぶん、これがなかったら、まったく別の人格だっただろうと思う。別に「元気だ元気だ」と言わなくても、元気だったと思う。別に無理に笑おうとしなくても、おかしいときは笑える人間だったと思う。けど、ちがう。楽しくない。
働いている人間とも、リタイアして働いてない人間とも違う。若い人間とも年取った人間とも違う……。これはようするに、ヘビメタ騒音がない若い人や、ヘビメタ騒音がないとしとった人間とは、そもそもの考え方ちがうということだ。
考え方ではなくて、感じ方も違う。この感じ方は、ものすごく、根本的なところでの感じ方だ。そして、ヘビメタ騒音ときちがいおやじ(毒親)がそろってしまうと、明るい人や認知療法系の人や精神世界系の人やアドラー心理学系の人と相性が悪くなってしまうのである。
普通の人の考えだと、やはり、「思ったことが現実化する」「。いったことが現実化する」「引き寄せはある」「笑う門には福来たる」「ニコニコしていればいいことがある」ということになると思う。けど、これが、成り立たない。というか、これが、ようするに、「せめ」になってしまうのである。この仕組みがわかる人なんて、ヘビメタ騒音に長年やられた人しかいないと思う。
ヘビメタ騒音はともかく、いまの日本は、毒親にやられた人が、まわりの人から、せめられるような状態になってしまっている。しかも、認知療法とか精神世界とかそういうことを信じている人たちが、毒親にやられた人をせめるということになっている。ほんとうなら、認知療法は毒親にやられた人にとってプラスにならなければならないし、精神世界の話も毒親にやられた人にとって、プラスにならなければならない。
けど、実際には、マイナスになっている。
それは、たとえば、認知療法家が言う場合も同じだし、認知療法の影響を受けた元患者が言う場合も同じだし、一般読者用に書かれた認知療法の本を一冊読んだだけで、認知療法にかぶれた人が言う場合も同じだ。アドラーだともっとひどい。けど、認知療法に成り立つことはアドラー心理学にも成り立つ。認知療法家とかアドラーは「せいしんぼんぼん」なのである。人間的に成長した親に育てられた人たちなのである。ぜんぜん、わかってない。毒親のことがまったくわかってないのだ。この人たちはフロイト流の無意識を無視しているので、現象を理解してない。
問題なのは、一般の人がそういう本を読んで、普通にアドバイスしてしまうことだ。そりゃ、そこに書いてあることを信じているわけだから、そうなる。普通に解釈すればこういうことが書いてあると解釈するしかないわけだから、自分は正しいことを言っていると……どうしたって、思う。思うだろうと思う。
まあ、毒親といっても、いろいろなので、アドラー心理学が参考になったと言う「毒親サバイバー」もいるかとは思う。毒親と言っても、フロイト流の無意識を抱えている毒親とそうではない毒親がいるのである。フロイト流の無意識を抱えている毒親にやられた人は、認知療法の信者やアドラーの信者から、せめられる。基本的に、まったく、プラスにならない。むしろ、マイナスになる。認知療法ですすめられている考え方や方法は、じつは、フロイト流の無意識を抱えている毒親にやられた人を強迫神経症に追い込む。症状をひどくする。どうしてこれがわからないのか?
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