おもしろくない。人間が、いやだ。どうして、ヘビメタ騒音でくるしいと言っているのに、それを認めないのか? どうして、ヘビメタ騒音でできないと言っているのに、それを認めないのか?
そんなことはたいしたことじゃないと決めつけて、俺をバカにする。そんなことは影響を与えないと、あほな判断をして俺を見くだしてくる。しかも、まったく悪気がない。「そんなのはあたりまえ」なのである。「その年で働いてないのは異常」なのである。「どんなことがあったって、楽しく生きていける」とヘビメタ騒音の「影響」をことを認めずに言う。
おまえ、どれだけヘビメタ騒音で積み重なっているか? それは、別に「無職期」以降のことじゃない。一日目から、こういうかたちで、人から誤解されている。それは、俺にとって、どうでもいいことじゃない。毎日そんなことが積み重なって、いいわけがないだろ。
けど、きちがいヘビメタが鳴っていると、どうしてもできないということになる。ほかの人には、「ヘビメタ騒音が鳴っていると、どうしてもできない」という必然性がわからない。体で感じたことがないからわからない。「そんなことはない」と思ってしまう。「どれだけ鳴ってたって、勉強はできる」と思ってしまう。「どれだけ鳴ってたって、鳴り終わったら、ぐっすり普通に眠れることができる」と思ってしまう。
もし、鳴り終わったら、ぐっすり普通に眠れることができるのであれば、そうしないエイリが悪いのだということになってしまう。こだわるから悪いのだということになってしまう。「眠れななんていうのは、いいわけだ」といこうとになってしまう。どれだけ、はさまれるか? どれだけ主観的な感覚が違うか?
そうなると、すべては受け止め方の問題だという、例の、フラットな理論が持ち出されることになる……。たしかに、ヘビメタという音楽に関しては、受け止め方の問題だけど、きらいな音がでかい音で鳴っているということに関しては、相当に受け止め方の問題じゃない部分がある。平日一日に七時間鳴ってたらくるしいだろ。休日、一日に一三時間鳴ってたら、くるしいだろ。やられたことがないからまったくわかってない。
ヘビメタ騒音で、体調が悪いということさえ、俺の責任にされる。「健康管理ができてないのは、おまえのせいだ」ということだ。きちがいヘビメタを、家族に!あの態度で鳴らされて、睡眠がうまくいかないのに、元気だなんてことはないんだよ。
これも、「元気だなんてことはないというから、元気じゃなくなる」と言霊主義者がせめてくる。元気じゃなくなるというから、元気じゃなくなるわけ(元気ではない状態になるわけ)ではなくて、ヘビメタ騒音が鳴っているから、元気じゃないんだよ。
あるいは、ヘビメタ騒音がずっと鳴っていたから、元気じゃなぃんだよ。けど、そういう人とは「みぞ」ができる。そういうことを言われて、気分がいいなんてこともないんだよ。
「みぞ」を感じて、いい気分になれるなんてこともない。
しかも、俺は、そいつが「元気だなんてことはないというから、元気じゃなくなる」「元気だ元気だと言えば、元気になる」と言う前から、そういう方法はずっと試みている。やってもみないで、捨てられた理論じゃないのだ。けど、言霊主義者は、時系列的なことを無視する傾向があるから、そういうことをちゃんと説明しても、理解しない。俺が言っていることを、理解できない。