頭がもやもやする。「これはもう、おわりかな」なとど思ったりする。さっき、横になっていたとき、いろいろと考えた。保の人には、逆立ちしてもわからないことだ。そして、わかりたくもないだろう。うまれるまえに、自分の人生を選べるなら……自分の人生の出来事を選べるなら……だれがこんな人生を選ぶか? 気違いオヤジのハンディと、気違いヘビメタのハンディがでかすぎる。他の人には、これが見えない。見えなければ、ないのと同じだ。見えなければ、「さいしょから」ないのと同じだ。ハンディがない状態を俺を想像できない。こいつらは、ハンディを抱えて弱っている俺に、気違い的なアドバイスをする。いや、ハンディを無視している……なかったことにしている……という点を考えると、気違い的な、無理なアドバイスなのだけど、彼らにしてみれば常識的なアドバイスだ。彼らは、ヘビメタ騒音の長さがわからない。実際に、経験した場合の長さがわからない。そして、それがどういう影響を与えるか、わからない。あたえ続けるかわからない。どういうふうに、時系列的に波及していくのか……自分のことじゃないから……まったくわからない。本人にしてみれば、的確なアドバイスなのだろうけど、こっちにしてみれば「まとはずれ」のアドバイスだ。で、これがまた、アドバイスの前提になっている考え方を指摘すると、そいつらはみんな、怒り狂う……とまではいかないけど、かなり不機嫌になって怒る。ほんとう、他の人がわからない形で、気違い的な家族にやられつづけると、こうなってしまうんだよな。相手? 相手は、悪気はないさ。けど、たとえば、こっちが無職であれば、無職だと思って……バカにしたあと、アドバイスをするんだよ。俺が教授だったらそんなアドバイスはしない。俺が、ヘビメタ騒音で弱りきって、無職だから(当時)、無職に対して、当然のアドバイスをするということになる。無職に対してはそういうアドバイスをしてもよいのである。こいつらは、みんな!!!生まれの格差を無視している。気違い家族に囲まれたら……どうしたってひきうけなければならない、いろいろな不幸な体験を無視している。生まれながらの格差を無視している。
生まれながらの格差は、本当はでかい影響を与えているので、無視するべきではない。なににでかい影響を与えているかと言うと、その人の、過去とその人の現在の状態にでかい影響を与えている。才能か環境かということが議論されることが多いけど……才能も環境も関係があるけど……環境のほうがでかい影響を与える。これ、相乗効果があるものだから、どっちがどっちということを決めることができないのだけど、環境が『才能』を支配してしまう状態のほうが多い。生まれながらに決まっている才能というのは、わりと、割合が小さい。脳みその『発達』や体の『発達』は、環境の影響を大きくうける。才能は、生まれたときに固定されてしまうようなものではないのだ。時系列的に『環境』でかわっていく。
ともかく、ヘビメタ騒音の毎日を経験してないやつが、結果としての無職(当時)や結果としてのひきこもりを重視して、あれこれ、的はずれなことを言うのは、ゆるせない。ヘビメタ騒音がなければ、無職期間を経験しなかったし、引きこもり期間を経験しなかった。ようするに、簡単に言うと、ヘビメタ騒音が続かなければ、無職じゃなかったし、引きこもりにもなってない。なめている。そいつらだって、あれだけヘビメタ騒音が続けば、どれだけ才能がある人でも、どれだけ体力がある人でも、どれだけ精神力がある人でも、今の社会において、無職になるのに、自分は(たとえ、そういう事があったしても)無職なんかにならないと思って、説教をしはじめる。アドバイスは本当は、不適切なのだけど、間違った前提で不適切なアドバイスをしてくる。