「引き寄せ」パラダイムには、現世でご利益をうけたい人が、むらがっている。別に、それでいいと思う。だれだって、楽しい思いをしたいし、楽な思いをしたい。自分の願望があれば、かなえたいと思う。それが、普通だ。
けど、「引き寄せ」パラダイムには問題がある。それは、不幸な人に対して「不幸な人は不幸なことを引き寄せたからだめなんだ」と言ってしまう問題だ。「だめなんだ」と言わなくても、『不幸な人は、不幸なことを引き寄せたから、不幸なんだ』というような考え方自体が、傲慢なのである。これは、容易に自己責任論に置き換わる。ようするに、「不幸である人は、不幸なことを自分で引き寄せたので、自己責任だ」という理論に置き換わってしまうのである。
「不幸なこと」という言い方や「すでに不幸な人」という言い方だとよくわかからないかもしれないから、具体的な例をあげるとする。
引き寄せパラダイムを持っている人は、他人の不幸な出来事に対して、こういう見方をするようになる。
・コロナウィルスにやられた人は、コロナウィルスを引き寄せたから、だめなんだ。
・病気になった人は、病気を引き寄せたからだめなんだ。
・事故にあった人は、事故を引き寄せたからだめなんだ。
・家族が死んでしまった人は、家族が死ぬという出来事を引き寄せたからだめなんだ。
もうちょっと、具体的に書こう。
たとえば、Aさんと、Bさんと、Cさんと、Dさんがいるとする。AさんとBさんは夫婦で、Aさんが夫、Bさんが妻だとする。Cさんは、AさんとBさんの娘だとする。Dさんは、ドライバーだとする。
ある日、BさんとCさんが、普通に歩道を歩いていたら、Dさんが、うしろから、車で突っ込んだとする。
その結果、BさんとCさんが死亡したとする。この場合、引き寄せパラダイムにしたがうと、BさんとCさんが「事故」を引き寄せたということになってしまうのである。
また、Aさんは、妻と娘がいっしょに亡くなってしまうという出来事を引き寄せたということになってしまうのである。そして、BさんとCさんが事故を引き寄せたとすると、BさんとCさんが引き寄せたのだから、BさんとCさんの自己責任だということになってしまうのである。
引き寄せパラダイムは、出来事を引き寄せた本人に責任があるとする『自己責任論』に容易に結びつく。本当は、自動車で歩行者につっこんだ、Dさんさんの責任なのに、責任を追及されるのは、事故にあったBさんやCさんであり、BさんやCさんの家族であるAさんなのだ。
引き寄せパラダイム保持者は、被害者や被害者の遺族だけの責任を追及する。事故を起こした方の当事者であるDさんの責任は追及しない。引き寄せた人が悪いということになってしまうのである。これが、引き寄せパラダイムにもとづく、現実解釈の問題点だ。