2020年9月24日木曜日

すべてはうけとめ方の問題だというような言い方には問題がある。


すべてはうけとめ方の問題だというような言い方には問題がある。

たとえば、障害者を殺した人がいるとする。すべてはうけとめ方の問題なので、障害者を殺した人を、いい人だと思うことだってできるのである。本当にあった話だけど、障害者を殺した人は、自分を英雄だと思っていたフシがある。すくなくても、彼のなかでは、自分は悪いことをしたのではなくて、いいことをしたという認識が成り立っていた。そして、それは、他人に、どういうふうに言われても、かわらなかった。


すべてはうけとめ方の問題だとするのであれば、第三者は、彼を(彼が思っているように)いい人だと思うことだってできるのである。彼に刺されて死んでしまった人は、もう、思いようがないけど、半殺しにされて、障害を背負って行きている人にも、「すべてはうけとめ方の問題だ」という理論は成り立つ。

自分がひどいことをされたと「思うから」ひどいことをされたという感情が生じる……ということになる。彼らの理論は、すべてはうけとめ方の問題だから、「ひどいことをされた」とうけとめなければいいということになってしまうのである。自分はひどいことをされたのではなくて、自分はすごくいいことをしてもらったとうけとめれば、自分はすごくいいことをしてもらったということになるのである。

「ひどいことをされた」という現実を作り出しているのは、まさに、その人本人だから……すべては、うけとめ方の問題だからだ。自分を刺した彼は、正しいことをしたとうけとめることだってできるのだ。、、すべてはうけとめ方の問題だからだ。

妄想を持っている人にナイフで刺された……それをどううけとめるかは、その人次第なのである。

そして、すべてはうけとめ方の問題だから、「ひどいことをされた」とうけとめなければいいということになってしまうのである。「いいことをされた」とポジティブにうけとめればいいということになってしまうのである。ポジティブにうけとめればいいのに、ネガティブに受け取るからだめなんだということになってしまう。ポジティブにうけとめることが可能なのに、ネガティブに受け取ることに固着する人は、こだわる必要性がないことにこだわる非・合理的な人だということになってしまうのである。

彼……自分を刺した人は、自分に「気づきを与えてくれたんだ」とポジティブにうけとめればよいのである。すべてはうけとめ方の問題なので「自分に気づきを与えてくれたんだ」とうけとめることももちろん可能なはずだ。「すべては、うけとめ方の問題だ」とい言っている人は、実は、刺された人に対して、こういうことを言っているのとおなじだ。


こういう人たちは、すでに不幸な人を、せめている。不幸だと思うから、不幸なんだ……とせめている。不幸な出来事だと思うから、不幸な出来事なんだ……とせめている。ポジティブにうけとめることが可能なのに、そうしないから、だめなんだと……せめている。

もちろん、「うけとめかた」の問題だから、せめているとうけとめる人はそういうふうにうけとめるのでしょう……ということになってしまう。

けど、ぼくは、これはおかしいと思う。
けど、こういうでたらめな理論がまかり通っているのが、この世なんだよな。こんな、すでに不幸な人を追い詰めるような理論を、得意顔で言うようなやつら……。

ぼくは、すでに成り立っている文脈がたいせつだと思う。その文脈は、個体発生的に意味があるものなのである。
 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。