みんな、気違い的な親がどういうふうにたたるかわかってない。
影響を受ける必要があるか、ないかなんて考えられるわけがないだろ。気違いが、死にものぐるいになってかかってくるんだぞ。「よし、影響を受けよう』と思って影響を受けたのではないので、『影響を受けるのはやめよう』と思っても、影響を受ける。それから、必死になって……意識的な部分では『影響を受けないぞ』と頑張ると、無意識的な部分が反応して、神経症の症状が形成されるのである。だから、この場合『影響を受けないぞ』という意識的な頑張りが、神経症の症状を生み出す直接的な原因のひとつになってしまうのである。それが、認知療法家には、わからない。そして、認知療法家の影響を受けた人もわからない。
気違いの認知のほうが、押しがちしてしまうのである。それが問題なんだよ。それが直接的な原因なのだけど、『気にしないようにしよう』『影響を受けないようにしよう』という意識的な努力は、作用の反作用として機能してしまう。ようするに、押しがちされてしまったということが、作用で、気にしないようにしようという意識的な努力が反作用だ。しかも、気違いの親が『押しがち』しているにも関わらず、押しがちしているとは思ってないのである。やっている本人がやったと思ってない。気違いが、意地を押し通してやったにもかかわらず、気違いが「やってない」と思っている空間全体が、神経症の症状を押し出すのである。もちろん、やられたほうの神経症だ。いったんそうなると、『おかしいのは子供の方だ』ということになる。
精神異常である親はいる。しかも、精神異常の『以上』が微妙で、うちでだけ、妄想的な怒りを爆発させる人がいる。本人にしかわからない理由で起こっている。しかし、本人もわかってないのだ。けど、気違い的な怒りを感じているのは確かなのだ。普通は、理由がないことでは怒らないけど、そういう親は理由がないことでおこる。けど、それが、よその人にはわからない。『理由もなくおこる親なんていない」と信じている人たちは、子供の訴えを、まともに聞かない。そして問題なのは、理由がないことで怒り狂っている親が、怒り狂ったということを、怒り狂った瞬間にわすれてしまうのである。ぜんぜん関係がないことになってしまうのである。こんなのは、狂気も狂気のだけど、普通にやる。ちなみに、そうやって、意地を張っている親を説得するというのはムリだ。怒っている真の理由を聞き出そうというのはムリだ。気違いを相手にすることがどれだけ無意味なことか、普通の人はわかってない。相手は、妄想のなかで怒り狂っている。そして、対象は、リアルな子供だ。妄想的な理由で、リアル世界の子供を対象にして怒り狂う。目の前の子供に向かって、気違いしかわからないようなへんな理由で怒り狂う。で、このときの、強情さがまた、気違いなのだ。気違いとしか言いようがない。『殺して排除しなければ、言うことを聞かせる』ということができない。ようするに、『怒らないようにしてもらう』ということができない。もう、本当に、まるで違う交流(コミニュケーション)なのである。気違い的な親にたたられてない子供時代を過ごした普通の人は、この交流について理解することができない。他の人は……健常者に育てられた人は、異常者に育てられた人間の言葉を信じることができない。
気違い親父がわけのわからない理由で、怒り狂っているときの頑固さがすごい。強情さがひどい。
「このときの強情さが、また気違いだ」と書いたけど、兄貴がヘビメタを鳴らしているときも同じなんだよ。まったく同じ仕組みが成り立っている。殺さなければ、やめさせることができない。相手は……つまり、親父や兄貴は、気違い的な意地でやりきって……やりきったということを、気違い的な意地で認めない。
俺が、どれだけ、他の人に受けないことを書いているかわかる。こんなことを理解できるのは、よっぽど頭がいい人か、実際に同じようにやられた人でしかない。割合としては本当に、小さい。どこまでも、例外的な少数者。例外的な少数者というのは、多数者から理解されない。多数者には、理解しようとする理由がない。少数者がどうして、そんなこと!にこだわって!!いるのか、多数者は、わからない。多数者から見ると、その、やられた方の少数者が非合理的なことを言って、こだわる必要がないことにこだわっているようにしか見えない。