ほとんどすべてのことが、『ムリ』になってしまう、プロセスがある。それは、たとえば、走ると呼吸が激しくなるのと同じで、人間の体としては、ごく普通の反応だ。
しかし、走ることとは違って、刺激のほうが異常なのである。
だから、異常な刺激で、おかしくなる。
これは、ほんとうは、だれだって、そうなるのに、だれも……俺以外だれも……経験したことがない連続した刺激なので、他の人にはわからない。「そういうふうになる」ということが他の人にはわからない。まったく聞いたことがない異世界の言語を聞かされているようなものだ。
けど、俺のからだはこの世にある。
だから、理解してない他人が、「そんなのはおかしい」と言ってくる。「そんなのは、関係がない」と言ってくる。「(できないなんて)そんなのはあまえだ」と言ってくる。
俺が、異常であるかのように言うのだ。しかし、俺は異常じゃない。気違いヘビメタが異常だったのだ。そして、気違いヘビメタを……あれだけでかい気違いヘビメタを……絶対の意地で鳴らし続けて、まったく気にしない兄貴が異常だったのだ。
けど、実際にやられてない人にとっては、そんなことは『関係がない』。だから、ぼくには、学校にいるときは、ちゃんとした生徒として動いてほしいわけだし、学校を卒業したあとは、ちゃんとした社会人として動いてほしいわけだ。
けど、ぼくの体は、ヘビメタ騒音で崩壊していた。
崩壊のプロセスはある。
けど、誰にもわからない。
そりゃ、親友だって、母親だってわからないのだ。
わかるはずがない。
体の反応は正常なのに、異常な刺激が十数年間毎日つづいて、体が、『異常な状態』になった。その場合、ヘビメタ騒音の影響を無視する他人は、『異常な状態である俺』をせめるのだ。
ほんとうは、俺と同じ部屋で暮せば、そいつだって、『働けない体』になるのに、『働ける体』を持っているそいつは、『働けない体』を持っている俺よりも、一段も、二段も、三段も偉い人間だと思ってしまうのだ。
一段も、二段も、三段も上の人間として、俺にダメ出しをしてくる。……たまたま、そういうことが、そいつの人生なかで生じなかったから、そいつは、『普通の体』『働ける体』を維持しているだけなのに、俺のことをバカにしてくる。
崩壊のプロセスはある。
崩壊のプロセスは重要だ。
どれだの時間をかけて「こわれた」のか、他のやつは、わからない。わかってない。俺がひとことで『できない』と言ったとき、その『できない』にどれだけの意味がこめられているのかわからない。その意味は、経験によって生じたもので、経験を通して理解しなければ理解できない。
なので、言葉でどれだけ言っても、他のやつは理解しないということになる。