本当にみんな何歳まで生きて、何歳まで働くつもりなんだろう。あれほど無職をバカにしていたのに、本人が無職になるのは、別にかまわないわけだからな。
自分のからだがおとろえて、限界を感じたら、働かなくてもいいわけだから。
俺のからだは、気違いヘビメタで、相当にだめになった。ヘビメタ騒音の一〇年間は、労働の一〇〇年間に相当する。
なので、ぼくは、ヘビメタ騒音歴の一一年目から、からだに限界を感じて、働けない状態になった。
たとえばの話だけど、七〇歳の人が、『もう、からだが思うように動かないな』と思って、仕事をやめたとしよう。その人は、無職になるわけだけど、自分が無職になる認識はできているのだろうか。
もしも、そいつが働いていたときは、働いてない他人に対して「つらくても働かなければならない」「からだが動かないなんていうのあまえだ」「みんな、つらくても頑張って働いている」と言っていたやつだとしよう。
そういうことを言っていたのに、自分のからだがつらくなったら、「もう、自分は働かなくてもいい」ということを言い出すのだ。
からだがつらくなったら、働かなくていいということになるのか? 『人は』働くべきなのではないのか? そいつは、「からだがつらいから働かないなんていうのは、あまえだ」と言っていたやつなんだぞ。他人にはそういうふうに言っておいて、自分の場合はいいのか?
としをとって、からだを動かすのがつらくなったから、働くのをやめるのならば、そいつはヘビメタ騒音で働けなくなった俺に、説教をする資格がない。
ヘビメタ騒音の疲労は、七〇歳まで五〇年間働いた疲労よりも、大きい。はるかに大きい。そいつは『もう働けない』と思うような疲労を感じた。俺は一八歳のときに、『もう働けない』と思うような疲労を感じた。そいつだって、七〇歳のとき、なんとか日常生活はできるのだから、日常生活をする体力と、通勤して働く体力は違う。
五〇年間働いて、ムリができない状態になった。
働けない状態になったということだ。
俺の場合、ヘビメタ騒音の一〇年間は、普通の人の一〇〇年に相当する。
そういうことを無視して、俺に『人は働かなければならない』なんて言ったやつは、どれだけ、からだが動かなくなっても、死ぬまで……死ぬ寸前まで、働くべきだ。なぜなら、その人は、たとえ、働きにくいからだになったとしても、人だからだ。
「人は働かなければならない」のだから、からだが動かなくても……働くべきだ。こいつは、俺に言ったことの意味がわかっているのか?
自分が言ったことの意味がわかってないのだろう。それか、ヘビメタ騒音の影響を無視しているのだろう。俺は、一一歳のある日から二五歳のある日までヘビメタを毎日毎日、鳴らされたけど、二〇歳のときには、働けないからだになっていた。
それは、五〇年間働いた人が、働けないからだになるのといっしょだ。あるいは、それよりもひどい状態なのである。五〇年間働いた七〇歳の人よりも、ヘビメタを一〇年間経験した二〇歳の俺は、五〇年間働いた七〇歳の人よりも二倍ぐらい疲れた状態になっていた。……いや、一〇倍ぐらい。
こいつが勝手にヘビメタ騒音の影響を無視して、あるいは、過小評価して、頭がおかしいことを言っているだけだ。人には、働くように言うけど、自分が疲れたら、自分は働かなくてもいいなんて、自分勝手すぎる。都合がよすぎる。あまえている。
* * *
ヘビメタ騒音さえなければ、こんなアホに、こんなアホなことを言われなくてもすむのに……。実際には、この世で、ヘビメタ騒音があったので、アホなことを言われる。アホなことを言われる機会が増えてしまう。アホなことを言っているやつは、アホなことを言っているつもりはない。重要なことを言っているつもりなのである。正しいことを言っているつもりなのである。ただ単に、ヘビメタ騒音が見えてないだけだ。ヘビメタ騒音の影響が見えてないだけだ。
自分だって、俺と同じヘビメタ騒音生活をすれば、働けないからだになるのに……。それがわかってない。わかってないアホが、正しいことを言っているつもりで、アホなことを言ってくる……。これは、地獄ではないか? この世の地獄だ。