生活の基盤を壊されて生活していて、いいはずがないだろ。どうして、ヘビメタ騒音を、気楽な問題としてとらえるんだ。毎日、一日がぼろぼろでいいわけがないだろ。世界一嫌いな音が、横の部屋でがんがんがんがん、何時間も何時間も鳴っている一日が何千日も続いて、いいわけがないだろ。どうして、佐藤のような人間はそれがわからないのか。佐藤のみならず、教師は、みんなそんな対応だったぞ。
進学に影響を与えないわけがないだろ。生活態度に影響を与えないわけがないだろ。
ほんとうに、こっちがどれだけこまっていても、一分もやめてくれなかった。それが気違い兄貴だ。気違い兄貴の意地がわかってない。他のやつらは、気違い兄貴の意地がわかってない。感覚がわかってない。頭の構造がわかってない。毎日、そうやって、基本的な人権を踏みにじられていいわけがないだろ。
葬式のことで業者と会わなければならないけど、そういうときだって、まったく眠ってない状態であわなきゃならないんだぞ。そして、そういうときの身体状態、は、ヘビメタ騒音を鳴らされていたときの身体状態とおなじだ。憂鬱は、どうにもならない。親父の死よりも、気違い兄貴のヘビメタのほうがずっとずっとずっとずっと、重要な問題なんだよ。気違い兄貴が5000日以上、気違い的な意地でやり続けたから、俺の一生が全部、パーなんだぞ。そして、そういう状態で、葬式の相談をしなければならないんだぞ。葬式には、兄貴は呼ばない。それはもう、ずっと前から言ってある。
ヘビメタ騒音を鳴らされていたときの身体状態は、たとえばの話しだけど、日中活動しているときも、こんな感じなのである。これが、どういう意味を持つか、他の人はまったくわかってない。
気楽な問題であるはずがないだろ。過去のことになれば、忘れられる問題であるはずがないだろ。可のことになれば影響を与えない問題であるはずがないだろ。どうしてわからないんだ。気違い兄貴のやり方が、異常すぎるから、他の人にはわからないのだろう。ヘビメタ騒音なんて、簡単な問題だと思っていやがる。これ、ほんとうに、俺とおなじ、状態で毎日暮らしてろ。どれだけ、言霊や積極思考が、意味のないものかわかる。
言霊や積極思考は、俺をくるしめるものでしかなかった。ヘビメタ騒音という圧力がある以上、普通の人とつかれ方が違う。一日の時間のたちかたがちがう。一日の身体感覚がちがう。
いま、数百人の幼稚園生の内何十人かがさわいでいるけど、そういう騒音じゃないと言っているだろ。どうして、わからないんだ。ヘビメタ騒音はそういう日常的な騒音じゃないんだよ。あんな異常な音を何時間も何時間も続けて聞かされて、いいわけがない。一日で死にたい。どれだけがんばっても、死にたくなる。がんばるとか精神論的なことは、一日が普通にたつ人間が言うことなんだよ。普通に、部活動や社会人生活が成り立つ環境の人が言うことなんだよ。そいつらだって、気違い兄貴のヘビメタとおなじ音をずっと俺の環境でやられたら、そういうことは言ってられなくなる。くるしいと言ったって、スポーツや残業でくるしいと言うことだろ。それが、成り立っているなら普通の生活だ。おまえ、帰ったあと、気違いが、横の部屋で、気違い的にデカイ音で、おまえの嫌いな音をずっとならしていたら、どう思うんだよ。それが家族だったらどう思うんだよ。どれだけ言っても、聞かなかったら、どう思うんだよ。殺したい気持ちで、ずっと、気違いの音を聞かされてしまうんだぞ。その異常な空間の苦痛がわかるか?
親の死は、普通に考えて、騒音一分よりもでかい出来事だと思うだろ。けどちがうんだよ。ヘビメタ騒音の一分は……内のヘビメタ騒音の一分は、親の死よりもでかいことなんだよ。なんで、それがわからない。全部が崩壊する。気違い兄貴のせいで、人生の用意がまったくできないまま、親の死を迎えてしまっただろ。
つらくても明るく振る舞うべきだということを言っているやつは、ここらへんのことがまったくわかってない。どんなにつらいことがあっても、笑えば、(元気になるとか言っているやつは、ヘビメタ騒音のことがまったくわかってない。そんなんじゃない。そんなのは、言ってられない。何千日も続いたらどれだけ、『笑えば元気になる』と言う人だって、つらい顔になる。憂鬱な顔になる。元気がない状態になる)
そのとき、他の人が、『笑えば元気になる』なんて言ったら、どう思うよ。