いろいろと他の人から誤解を受けてつらかったという気持ちになった。いろいろなシーンが浮かんでくる。ほんとうに、ヘビメタ騒音以降、他の人に誤解されまくりだ。
他の人は、俺じゃないから、ヘビメタ騒音がどれだけすごい音でなっているかわからないし、ヘビメタ騒音がずっと鳴った場合、どれだけ、体に影響が出るかもわからない。
わかってないところでものを言う。
俺にわかったようなことを言った人たちが、今世の記憶を保持したまま、一一歳のときから、ずっと、自分が一番きらいな騒音にさらされる人生を歩んだら、きっと、「こういうことだったんだな」ということがわかると思う。
佐藤にしたって、自分で体験すれば、来世の佐藤にとっての一番嫌いな音……俺にとってのヘビメタ騒音が……どれだけ「からだにのこるか」わかる。わかるようになると思う。
ヘビメタ騒音が人生全体にどれだけでかい影響を与えるかわかる。わかるようになると思う。
ヘビメタ騒音の結果、ひととあらそわなければならなくなるというのがわかる。わかるようになると思う。
こいつら、ほんとうに、まったくわかってないんだからな。想像しろ。まあ、想像してもわからないか。うちの兄貴は、この人らの想像の範囲外にいる。だから、想像しようと思ってもわからない。
「そんな人、いるのかな」なんて、疑問を持つ。
じゃあ、来世で、うちの兄貴のような家族に、たたられてごらんよ。わかるから。『こういう人もいるんだな」というのがわかる。気違い兄貴がどれだけの意地でやっているかわかってない。
普通の人は、それ自体がわかってない。気違い兄貴の意地なんて他の人にわかるわけがない。気違い兄貴の「やってない」感覚だってわかるわけがない。兄貴は、あれだけデカイ音で鳴らしているのに、デカイ音で鳴らしてないと思っているということ自体がわからない。
そんなことはないだろうと『普通の人は』思う。
聴覚が正常なら、デカイ音で鳴らしているときはでかい音で慣らしているという認知が生じるはずだと思っている。ところが、どっこい、そうじゃない。そして、普通の人以上に、気違い兄貴がその点についてわかってない。
わかってないから、どれだけ「やめてくれ」と言われても、まったく気にしないでずっとずっと鳴らし続けることができる。普通は、気にする。普通は気になる。
どうしたって、本人が「これはないな」と思うほどデカイ音で鳴らしていれば、「デカイ音で鳴らしすぎている」ということが気になるし、そういう状態で鳴らしているとき「やめてくれ」と言われたら「やめてくれ」と言ってきた人のことが気になる。
「やめてくれ」と言ってきた人が、こまっているということがわかる。自分の騒音でこまっているということがわかる。けど、気違い兄貴は、まったくわからない。親父のように、怒っておしまいだ。
これ、ほんとうにうちの親父と、ウチの兄貴の反応がまったくおなじなんだよな。あれは、ほんとうにわかってないよ。自分の腹が立ったという感覚しかない。自分にとって不都合なことを言われたから、腹が立った……それだけ。相手のことなんて、微塵も考えない。考える脳みそがない。
だから、自分が腹を立てたあと、ずっと馴しづけても、なにも感じない。「相手がこまっているのだろう」ということが頭の中にまったくない。そういう状態でどれだけ言われても、まったく悪気がないまま、迷惑をかけてないつもりで鳴らし続けることができる。
こういう人間にやられたことがない人はわからない。
しかも、家族。
『家族なんだから、話せばわかってくれる』と普通の人は考える。『ちゃんと言わないから、お兄さんがわかってくれないだけなんだ』と考える。『エイリさんがちゃんといわないからだめなんだ』と考える。そして、「お兄さんに言えばいい」と助言をする。その助言についてぼくが、上(右に修正)で述べたようなことを言えば、不可思議な顔をする。今度は、助言してくるやつが、俺の言うことを認めない。こういうしくみになっている。