いま、やばい状態になった。
精神的にやばい状態になって起きてきた。なんかつかれたから横になったんだよ。「うわっ」という感じがするときがあるなぁ。
悪い意味で……。やっぱり、くるしいこととか思い出してしまう。
明日は、歯医者か。
* * *
けっきょく、今日、片付け関係でやったことは、すてるフライパンを洗うということだけか。
さっき、「うっ」ってなったけど、半分眠っているような状態はやばいな。
ほかには、今日は通販の受け取りを二回やった。あとは、洗濯物を干した。洗濯物は、すでに洗ってあったものだ。
今日は日差しが強くてたすかった。
なんとかするべきなのだが、むずかしく考えすぎなのか、あるいは、神が俺の邪魔をしているのか、あんまり……。いいアイディアが浮かばない。浮かんだとしても、行動する気になれない。行動はしんどい。これは、やられた人間じゃないとわからないと思うけど、ともかく、『いま動くんだったら、死んだ方がましだ』という時間がある。起きたくないときに、起きて体を動かすときは、そういう感じがある。ならば、『起きたのではないか』『動いたのではないか』と思うかもしれない。『いま動くんだったら死んだ方がましだ』と思っているのにもかかわらず、動くことができたのだから、そんなのは嘘だと思う人もいるかもしれない。けど、その人は、その蓄積を無視している。それから、起きて動いているあいだじゅう、くるしい。ずっとおなじようにくるしい。これがちがうんだよな。気違い騒音にやられてない人とやられた人だとこれがちがう。普通は起きたくないときに、起きて行動していても、だんだん体がなれてくるものだ。それは、気違いヘビメタにたたられる前に経験している。気違いヘビメタにたたられる一一歳までは、起きたくないときも起きて、動いていれば体がなれた。けど、それは、気違いヘビメタの連続がはじまる前の話で、ぜんぜん風景がちがってしまった。からだがちがう。こういうのがわかってないんだよね。今朝も話したけど、やられた人とやられてない人とでは、「つらい」の感覚がちがう。「できない」の感覚がちがう。おまえ、どれだけぼくが、動かない体を動かしたと思っているんだよ。気違いヘビメタにたたられてない人は、「ほら、動いた」と思うだろう。けど、ちがうんだよ。動いたことが全部マイナスになっている。そういう世界だ。家族による気違いヘビメタがものすごい音で一一時一〇分まで鳴っている世界というのはそういう世界だ。だんだんそういう世界になっていくのである。
俺は、無理をして動いたから……七年間毎日動いたから、だめになってしまったのだ。まあ、八年九年一〇年……と続くのだが。
ほんとうにつかれたよ。