基本的に、こういうふうに思ってなんとかやりすごそうとしている人を批判するつもりはないわけね。どうしてかというと、その人たちは、相当にやられて、こまっている人たちだから。相当に追い詰められている。けど、追い詰められている人が、『過去は過去だ』『過去のことは気にしないようにしよう』『将来のことは気にしないようにしよう』『いま現在に集中しよう』『過去も未来もない』というような考え方に立つのは、危険なところがある。おいつめられた底辺労働者が目の前の作業に集中すると、その作業が底辺労働者のからだをいためつけるということが考えられる。たとえば、一〇年間その労働を続けたとき、自分のからだが悪くなるということがわかっている状況で、目の前の作業に集中したら、一〇年後には、その労働者のからだは悪くなってしまう。目の前の作業に集中するというのは、ポジティブな考えに(いちおうは)思えるけど、ほんとうは、ネガティブな考えだ。それは、ガス室の中で作業をしているのとおなじだからだ。いつか自分のからだが悪くなってしまう』という恐怖からのがれたいから、『いま現在』という考え方に執着しているだけだ。『将来のことは気にしないようにしよう』という考え方はポジティブに響くけど、基本が『逃避』なのでネガティブな意味を持ってしまうのである。酒が体に悪いことがわかっているのにもかかわらず、『いま現在が楽しければいい』『いま現在がくるしいものでなければいい』という考えに基づいて酒を何十年も毎日飲み続けている場合は、いま現在に集中して酒を飲んでいても、ポジティブとは言えない。実は現実から逃避したいだけだからだ。実は、目の前の労働も酒とおなじだ。体を壊す酒とおなじで、その人のからだをこわす。もちろん、一日や二日でこわれるものではない。しかし、二〇年間も三〇年間も、続ければ、からだがこわれる労働というのはある。その場合、『いま現在』に執着する考え方は、『逃避』でしかない。
・考えても納得のいく答えが見つからないことは考えない。
過去において、考えたが納得がいく答えがみつからなかったということが、この考えの根底にある。ようするに、過去の経験を参照して、(過去の経験的なデータを考えて)未来のことについて考えているのである。『考えない』というのは、『考えないようにしよう』ということであるから、これは、未来の行動方針について語っているということになる。考えないのは、いまではなくて、未来の自分なのである。いまの自分が、『(将来)考えないようにしよう』といま思っているだけなのである。
・将来のことばかり考えてたら、今を生きられないから考えないようにする。
考えないようにしようといま現在決めたのだけど、それは、将来(未来において)考えないようにしようということだから、将来のことを考えていると言える。
・ 良いことも、悪いことも、終わったことは忘れるようにする。
これも、いままでの過去の経験から、『忘れるようにした方がよい』と考えているのである。忘れるようにするのは将来の『自分』である。(いま現在の自分はそういうことを考えている自分である)。これは、『忘れるようにしたい』という願望の別の表現だ。将来の自分は、たぶんだけど、近い過去に起こったことについて「あーだこーだ」と考えているのではないかと思っているのである。将来の自分は、将来の時点において、近い過去に起こったことについて、怒ったり、喜んだりしているのではないかと思っているのである。そういう感情を想起させるのは、実は、いま現在のことではなくて、将来の時点において、近い過去の出来事だ。生きていれば『思っているうちに』未来に到達してしまう。
・ 悩んでもしょうがないことは悩まない。
これも、過去のデータを参照して、これからはこうしようと言っているにすぎない。「これから」のことについて言及しているので将来のことについて語っている。過去の記憶を思い出して、未来の行動指針について語っているのである。要するに『過去も未来もある』。過去のことは忘れてないし、未来のことも心配している。
・ 心配しても解決しない問題については心配しない。
これも、過去のデータを参照して、これからはこうしようと言っているにすぎない。「これから」のことについて言及しているので将来のことについて語っている。
・将来も過去も、自分の頭の中にしかない。
それを言うなら、いま現在のことも、自分の頭の中にしかないのではないか?
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たとえば、アスベストを吸い込むと肺がんになるとする。そういう知識がある労働者がアスベストを吸ってしまう作業をしているとする。その場合、どうしても、将来の自分が気になるだろう。
しかし、『アスベストを吸い込むと肺がんになる』というのは、『アスベストを吸い込むと肺がんになる可能性が高くなる』と言うことであって、アスベストを吸い込んだにもかかわらず、肺がんにならない人もいるとしよう。しかし、どのくらいの長さアスベストを吸い込む作業をしたかとということと、どのくらいの量アスベストを吸い込んだかということが、肺がんになる確率に影響を与えているということは否定できないとする。つまり、長期間、アスベストを吸い込めば吸い込むほど、肺がんになりやすく、アスベストを吸い込む量が多ければ多いほど、肺がんになる確率が上がるとする。確率は上がるけど、ちょっとだけアスベストを吸い込む作業をした人は、アスベストを吸い込んだにもかかわらず、肺がんにならなかったとする。その場合、『アスベストを吸い込んだにもかかわらず、肺がんにならなかった人がいるのだから、吸い込んだアスベストの量は関係がないとは言えない。また、肺がんにならなかった人がいるのだから、アスベストを吸い込む期間の長さは関係がないとは言えない。
いちおう、こういうことをおさえておくとする。
『アスベストを吸いこむと肺がんになるのではないか』と思っている人がいたとする。その人が、アスベストをどうしても、ちょっとは吸い込んでしまう作業を平日はしていたとする。マスクをしてもちょっとは吸い込んでしまう作業を月曜日から金曜日まで、朝の九時から昼の一二時までと、午後一時から午後五時までしていたとする。
その人のことをAさんと呼ぶことにする。「このままこの仕事を続けていたら、将来、肺がんになってしまう」とAさんが考えても、当然だと(僕は)思う。けど、そういう作業をしていない心理学者や心理学者の影響を受けたもと患者やポジティブシンキングに傾倒している人が言うんだよ。『いま現在に集中すればいい』とね。『不安なんていうのは、幻影だ。将来の不安というのは、自分で作り出しているにすぎない』とね。『いま現在に集中すればそんな不安はなくなる』とね。
けど、僕はAさんが将来のことを心配するのは当然だと思う。そして、Aさんがいま現在の作業に集中したばあい、肺がんになる危険性があがると思う。アスベストをどうしてもちょっとは吸い込んでしまう仕事を続けていれば、将来、肺がんになってしまう危険性があがるという考え方は、非合理的ではないと思う。根拠があるから心配しいてる。根拠がないことを心配しているわけではない。僕はそう思う。けど、将来のことを心配してくよくよ!悩むのは、非合理的なことだと考える人たちもいる。くよくよというのが、そもそも、ネガティブな言葉で、いかにも、非合理的な考え方にとりつかれているような印象を与える。これは、印象操作ではないのか?
まあ、「くよくよ」という言葉については今回はこれで、切り上げるとする。問題は、将来、肺がんになる危険性をあげる仕事をしているAさんが、『いま現在に集中』して作業しても、将来、肺がんになる危険性をあげるということだ。Aさんが『いま現在の作業』に集中して、不安がなくなったとしても、将来のAさんが肺がんになったとすると、将来のAさんは、楽しくないと思う。『いま現在の作業に集中』するときっと、いい未来があると思うのは勝手だけど、そういう前提に立って、他の人にそういう考え方を押しつけるのはどうかと思うな。『いま現在の作業に集中すると』と書いたけど『いま現在に集中すると』でもおなじだ。『いま現在』に集中すると、将来の不安がなくなるとする。それはいいことなんだと言えるかどうかという問題だ。『いま現在に集中』することで成果が得られる場合がある。その場合は、『いま現在に集中する』という考え方でいいと思う。将来、いいことがあるのだから……。しかし、将来悪いことがある場合は、そんなことは、言えない。