2019年11月18日月曜日

「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」


気違い親父がやりたくなったことは、こっちがどれだけとめても、やってしまう。


勝手にエンジンがかかってしまったことは、こっちがどれだけ「やめてくれ」「やめろ」と叫んでもやめてくれない。



これは俺が大人になってからだけど、「やらなくていい」ということは、血相を変えて、顔を真っ赤にしてやってしまうというところがある。俺が、あるとき、手をすべらせて皿を割ってしまったんだよ。



で、その皿の破片は、ぼくが片付けるから、いじらなくていいといったんだよ。その途端に、スイッチが入って「やってやるやってやる」と言って、皿の破片を片付け出すんだよ。で、ぼくが「やらなくていいよ!!!」「やらなくていいよ!!!」「やらなくていいよ!!!!!」「やらなくていいよ!!!!!!」「やらなくていいよ!!!!!!!!!」「やらなくていいよ!!!!!!!!!」「やらなくていいよ!!!!!!!!!」「やらなくていいよ!!!!!!!!」「やらなくていいよ!!!!!!!」「やらなくていいよ!!!」「やらなくていいよ!!!!!!」と、動いている親父を見て、絶叫したんだよ。



「やらなくていいと言っただろ!!!!!」「やらなくていいと言っただろ!!!」「やらなくていいと言っただろ!!!」「やらなくていいと言っただろ!!!」とさらに続けて絶叫したんだよ。

これ叫んでいるあいだ、ずっと、ちょこまかちょこまか、動いて、まるで聞いてないような状態で、やってしまう。

「やらなくていい」「やってくれるな」ということは、へんな状態でスイッチが入ってやっちゃう。

相手が必死しなって、言っているのに、からだをマッカッカにして、やってしまう。

これが病気で、頭がおかしい。

それから、ぼくはもうその時、大人になっていたわけだけど、本当に、かたづけて欲しくなかったんだよ。

親父がやると、ろくなことにならないから、いやなんだよ。

そういうことを親父がやると、破片が足に刺さったりしていやなんだよ。どれだけ、注意を払って、破片などがないことを確認しても、あらぬところに破片が落ちていて、それを(親父がいないときに)(ぼくが)踏んでしまうというようなことがあるわけ。

これ、もう、本当に呪われているんだよな。

いやなんだよ。これ、本当に、おかあさんもこまってたけど、「やらないでください」「いじらないでください」「さわらないでください」というようなことを言われると、相手が本当に!!!!やって欲しくないときは!!! 自動的に動いてしまう。親父は、相手がやめてくれとずっと横で、言っているのに、顔を真っ赤にしてやってしまう。

これ、言いたくないんだけど、「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」と一〇回、二〇回、絶叫しても、かまわずにやってしまう。エンジンがかかって、あぶらあせをかいて、一生懸命に、急いでやってしまう。相手が、言い終わる前にやってしまおうというような考えにとりつかれているとしか言いようがない態度で、切羽詰まった状態でやってしまう。これを、とめるとしたら、本当に、ぶっ殺してとめるしかない状態になってしまうんだよ。本当に、親父にいじって欲しくないとき、親父にかかわって欲しくないときは、それを、「よみとって」勝手にエンジンがかかって、むりやりやってしまう。皿の破片を拾ってくれたならいいじゃないかと思うかもしれない。そうじゃないんだよ。「やってほしくないこと」「親父に手出しして欲しくないこと」「自分であとでやると決めたことは」……くだらないことでも、自分でやる必要があるわけ。自分でやりたいわけ。この場合、俺が皿を落として割ったわけだから、自分でかたづける必要があったわけ。俺の中で、そういう必要性感じたわけ。だから、「皿の破片は、ぼくがかたづけるからそのままにしておいて」と言ったんだよ。そのままにしておいた欲しかったわけ。俺はその時、別の皿を持っていて、手がふさがっていたから、その皿を部屋のテーブルに一度置いて、ガムテープや新聞紙をとってきてガラスの破片の処理をしようと思ったわけ。
普通なら、「それは、ぼくがあとでやるからやめてください」というようなことを言われたら、やめるものだ。けど、「やめてください」と言われると、スイッチが入ってしまう。で、相手が言っていることを、全部無視して、顔を真っ赤にしてやってしまう。首のしたも真っ赤だから、たぶん、からだじゅうが真っ赤になっていると思う。で、本人は、意地悪でやっているつもりはないわけ。けど、これは、意地悪なんだよ。兄貴のヘビメタもまったくおなじで、「やめてくれ」と言われたら、スイッチが入ってしまうところがある。そのときだけ、相手の状態や言い分を無視してやってしまう。で、やってしまったら、もう関係がないわけ。こういうのも、親父と兄貴でそっくりおなじなんだよ。「そのときだけ」なんだよ。相手がいやがることを、血相を変えて夢中になってやったつもりがないんだよ。けど、現実はそうだ。相手が、横で「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」と絶叫し続けていることを、やり続けてしまう。顔を真っ赤にしてやってしまう。頭がおかしいから、相手が必死になって言っていることがまったくわからない。自分の気持ちしかない。『やってやりたくなったら』どれだけ相手がいやがっても、やってやりたいのだからやってしまうのである。これが、気違いのやりかたなんだよ。精神的な暴力なんだよ。力でやめさせようとしたら、殴り合いになる。殺し合いになる。すべてがすべてそういうテンションだ。親父は、子供が小さいときは(家のなかで)テッペンだから、気違い親父がやりたくなったら、気違い的な意地でやってしまうのである。そのときはそのときで、「俺のほうがうまいからやらせろ」という気持ちしかない。工作の宿題だって、プラモデルだって、気違い親父が「やってやる」と言ったら、ものすごいしつこさでやってしまう。これ、ほんとうにやらせてあげないと、いつまでも食らいついて、怒り狂ってやろうとする。で、理由を言っても、それは、聞かないんだよ。「これは、自分の宿題だからやらなくて良い」と理由を言っても、「どうしてだ」と聞いてくるところがある。コントじゃないけど、このやりとりを何十回も繰り返すようなところがある。理由を言っているのに、「どうしてだ」と怒り狂って聞いてくる。顔を真っ赤にして、「やらせろ」「やらせろ」とうるさい。プラモデルだって、とりあげて、やってしまうところがある。この場合のやってしまうというのは、部品を母体になる部品につけるということなのだけど、ともかく、やらしてあげるまで、横にぴったりくっついて、逆上する。理由なんて言ったって、ガン無視だ。頭がおかしいから、「自分がやってやる」「自分がうまいところを見せたい」という気持ちしかない。相手の気持ちなんて、どれだけ、相手が正確に言ったって、まるで通じない。頭がおかしいから、ほんとうに「自分がやってやりたい」という気持ちしかない。あとのことは、どれだけデカイ声で言われたって、無視なのである。無視しているということも無視してやってしまう。

よく考えてみたら、ヘビメタを鳴らしているときの兄貴の態度がおなじなんだよ。ヘビメタを鳴らしているときに「やめてくれ」と言われ取る、親父みたいな態度で、顔を真っ赤にして無視してやり続ける。

で、兄貴も親父もそうなんだけど、そういうことがあっても、そういうことがあったということが、わ・か・ら・な・い。記憶にない状態になってしまう。

兄貴は、あいてにやってやるやってやる」という部分はなかったけど、自分が勝手にやりたくなってやったことをとめられるという場合は、親父とおなじなんだよ。親父は、「やってやるやってやる」と言うときがある。そのときは、「自分がどんだけすごいか」「じぶんがどれだけうまいか」ということを見せつけたいからやる。で、ほんとうに、自分の側のそういう気持ちしかない状態になってしまう。頭の中に、自分の気持ちしかない状態になってしまう。自分の頭に一〇〇個のものをつめられるとすると、「やってやる」という気持ちだけで、一〇〇個つまっている状態になって、相手が言っていることが入ってくるスキマがなくなってしまう。普通のひとは、どれだけやりたく立って、一〇〇個入るうち、七〇個ぐらいしか埋まらない。三〇個ぐらいは、相手が必死になって言ってくれば、相手が言っていることが三〇個ぐらい、頭のなかにはいる。けど、一〇〇個中一〇〇「自分がやりたい気持ち」でうまっているから、相手がどれだけ言ったって、〇個しか入らない。で、これがおそろしいことなんだけど、自分がそうしたという記憶があたかもないような状態になる。
だから、気違い親父が「やってやるやってやる」と言うと、かならず、その手のトラブルがしょうじる。やった本人は、やってしまえば、関係がないひとになってしまう。
あとで、「親父がやってやるといってやってしまったので、こまった」ということを言ったって、親父は「そんなんじゃない」「やってないやってない」と言い出す。で、「やってないやってない」と言うときの頑固さが、「やってやるやってやる」と言うときの頑固さとおなじなんだよ。
「やってやる」と言っているときは、「やめてくれ」と言っている相手の現実を無視するのである。「やってないやってない」と言っているときは、「やった」という相手の記憶を無視するのである。実際には、やっているので、やったという現実も無視する。けど、現実稼働かなんて言うのは、関係がないんだよ。そのとき、気違い親父が否定したくなったら、現実とは関係なく否定したいわけで、否定する。で、その時間がすぎてしまえば、そういうことがあったということを忘れてしまう。自分にとって不都合なことは、どれだけ言われたって認めない。そういうことの繰り返しになる。そりゃ、時間がたっているわけだからそうなる。
兄貴もおなじで、ゆずってくれなかったのに、「ゆずってやったゆずってやった」と言うことになる。ものすごくデカイ音で鳴らしていたのに「そんなにデカイ音で鳴らしてない」と言うことになる。全部おなじなんだよ。やっているさいちゅうから、現実を無視している。自分にとって都合がいい現実しか見てない。それは、実際には現実じゃない。兄貴の頭のなかでの現実だ。はっきり言えば、妄想だ。よその家じゃ絶対に一分だって鳴らせないようなデカイ音で鳴らしているのに、自分が鳴らしたい時は、「そんなにデカイ音じゃない」「普通の音だ」と言うことになっているのである。気違い兄貴が、ほんとうに、自分の騒音を「三味線ぐらいの音」「フォークギターぐらいの音」だと思っていたから、いろいろなところに矛盾が生じる。けど、そんなのは無視だ。気違い親父とおなじで、「そのとき」自分にとって都合が悪いことは、どれだけわかっていても、わかることでも、わからないことになってしまうのである。正反対のことになってしまうのである。

これ、他のひとにはわからないんだろうな。

どれだけこまるか、ぜんぜんわからないんだろうな。

俺は、まるまるたい。俺は、まるまるたい。俺は、まるまるたい。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。