あー、まじでつかれた。もう動きたくない。つかれた。つかれた。
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横になっているとき、こんなことばかり、考えている。
ほんとうに動きたくないのだ。いまは、起きて、ズボンなどの熱処理を行ったあと、洗濯をして、さらにそのあと、こうやってパソコンに向かい文章を書いているのだが。
ダニ対策として熱処理が必要なわけ。バルサンをやっても、ネズミが出現してしまったら、全部振り出しに戻る。もう、つかれた。ほんとうにつかれた。
ネズミ、ダニ、ナメクジ、全部、めちゃくちゃにつかれることをしいる。俺にしいる。あとは、睡眠時間がずれているときに、付き添いで病院に行かなければならなかったときは、ほんとうにつかれた。頭がおかしくなる寸前。「もうだめか」と思ったけど、朝の七時から九時まで眠れたときはほんとうにたすかった。
けど、ほんとうに限界なんだよな。これ、ヘビメタ騒音で睡眠回路が壊されてないひとは「なにを言ってるんだ」というような感じしかしないと思うけど、ほんとうに死にそうになる。ほんとうに、動けなかった。義理の姉が、電話をかけてくれたけど、二時間でも眠れなかったらほんとうにやばかった。
じゃあ、全部義理の姉にやってもらえばいいといいのではないかと思う人がいるのかもしれないけど、保険証からなにからなにまで、俺が持っている。「全部、渡すから行ってくれ」と言ったんだけど、それは無理だった。だいたい、義理の姉が住んでいるところが、遠い。
ともかく、俺がものすごく眠たいにしても、俺が動かなければ、手術やその他の処理が進まないのだ。全部、持っているわけだから。
ともかく、ネズミ対策と入院の世話で、くるしかった。どうしてそんなにもくるしくなるかというと、やはり、ヘビメタ騒音で睡眠回路がくずれているから、くるしくなる。
調節のための夜も、ヘビメタ騒音で眠れない夜の再現になってしまう。前日まで、午前九時から午後五時まで寝ていたひとが、当日は、午前七時から、動かなければならなくなったときの、つらさが、半端じゃない。
これ、ヘビメタ騒音で午前四時ぐらいまで、眠れないですごしたときの記憶がすべてよみがえるように、くるしい。毎日俺がどれだけくるしんでいたか。毎日俺が、人知れずどれだけくるしんでいたか。
これ、みんなわかってないけど、ヘビメタ騒音に、日中と夜、ずっと七時間ぐらい、さらされると、眠る時間になっても眠れなくなる。
「眠らなきゃいけない」と思っているのに、眠れない状態になる。
これは、ほんとうに、腕をナイフで切ったら、血が出るというような反応に等しい。けど、みんなわかってないんだよな。「午後一一時一一分には、鳴りやむのであれば、夜は眠れる」と思ってしまう。そんなんじゃないのに。自分がこの世で一番嫌いな音が、七時間、八六デシベル付近の音でずっと鳴っている状態を経験してみろ。
それも、なにを言っても話が通じない、気違い家族が鳴らしている音だ。腹が立つ。家族にやられているということは、重大な要素だ。これも、他のひとには、わからない。要素として、見逃す。他人にやられているのも、家族にやられているのもかわりがないと思ってしまう。
けど、「うち」でずっとやられつづけるということは、想像以上につらいものがある。だいたい、ヨソの人たちは「家族だから、言えばやめてくれる」と前提してしまうわけで、こういうのも、俺の首をしめる要素のひとつになる。
ともかく、他のひとは無視するけど、「眠れない夜」というのは半端じゃない破壊力を持っている。その人の人生を破壊する。「ちょっと気をつければ、いい」「過去のことは関係がない」なんて言ってられない。「ちょっとのことじゃないんだ」と言っても、実際に経験したことがないやつにはわからない。
一〇〇〇日、二〇〇〇日、三〇〇〇日、四〇〇〇日、五〇〇〇日と毎日!!続いた場合の状態を経験したことがない人には、経験としてはわからない。「たるんでいるから、眠れないんだ」「健康管理は自己責任」なんてことをか考えている。俺は自分の意志で「よふかし」をしていたわけじゃない。あまえてもいないし、たるんでもいない。
けど、「夜眠れなくて」ということを言えば、まるで、俺が、好きで夜更かしをしているように考えるやつが、どれだけ多いか。一〇年、一五年、何時間も何時間も、毎日、こっちにとって重要なことがあっても、ずっと鳴っている騒音がどれだけひとの人生を傷つけるか、破壊するかわかってない。
気違い兄貴は、俺の都合というのをまったく考えてない。俺がどれだけ言っても、通じない。
それは、言わなかったのと等価だ。気違い兄貴のなかで、なにも残らないということになっていれば、なにも残らない。いつも通りに、ロボットみたいに、ずっと鳴らし続ける。鳴らすことに鳴っている」から鳴らすという態度で、遠慮なく、気遣いなく、ずっと鳴らす。
どれだけ言っても、まったく気にしないで鳴らす。これも、言われたときだけ、親父のように怒っておしまいなのだ。自分が言われたから、自分が傷ついたというような反応しかない。現実を否定して、おしまいだ。
ほんとうは、ヨソの家では三〇秒だって鳴らせないようなデカイ音で鳴らしているのに、「しずかにしろ」ということを言われたら、「腹を立てる」。それは、親父が、金を使いたくないのに「ハンダゴテを買ってくれ」と言われたときの怒りに相当する。自分の感情しかない。親父も兄貴も、自分の感情しかないから、壊れたロボットのようにおなじことをし続ける。
こっちの都合なんて、考えない。
どれだけ言われたって、考えない。
考えないと決まっているように考えない。
最初から受け付けない。言われたら、発狂して、おしまいだ。現実否定したことを言っておしまい。それで、もう、なにもなかったことになってしまう。こういう態度が、ヨソの人にはわからない。そして、ロボットのように頑固にそうしている人間にもわからない。ようするに、親父と兄貴にはわからない。
(注)義理の姉には相当に助けられている。二人で付き添うことが多かった。そのときもそうだったんだけど、じゃあ、義理の姉だけでいいかというと、そうではない。ようするに、「俺」か「俺と義理の姉」のふたつの選択肢があるわけで、「義理の姉だけ」は、ない。
基本的に、気違い兄貴がうるさくして俺の人生を破壊したのは、義理の姉と結婚する前のことなので、義理の姉にはうらみがない。兄貴の嫁さんだから、うらんでいるということはない。「だから」ね。原因について常にまちがうやつがいるんだよな。兄貴は俺に悪いことをさんざんしているけど、義理の姉は俺に悪いことをひとつもしてない。だから、俺が義理の姉をうらむということはない。こういうことも、いろいろと誤解するやつがいる。