おれ、もう、つかれたから、寝るわ。おやすみ~~
知らぬ間に時間が~~
ほんとう、無意味。
俺の人生はいったいなんだったんだ。気違い家族によるヘビメタ騒音がでかすぎる。あれ、本当にいっつも鳴ってた。くるしかった。ずっとくるしい。
ここから、しあわせなことを考えるということができない。考えたって、そんなの、まるで実行性がない話しで、空虚。
ほんとうにものすごくデカイ騒音でくるしかったんだよ。
こっちに書くと、やばいのだけど。
しかし、一番言いたいのがそういう話しなんだからな。
これ、他の人はそういう体験がないからうけない。
ほかのやつらは、想像で好き勝手なことを言いやがる。実際の騒音がわかってないから、そういうことが言える。一日だけで、どれだけくるしいか。これ、ほんとうにちがうんだよな。けっきょく、ヘビメタ騒音がないまま、『いやなこと』がある人と、ヘビメタ騒音がある状態で、さらに『いやなこと』が付け加わる人とは、ちがう。さらに、そういう期間の長さが問題だ。どれだけ、ポジティブなことを思ったって、最後にははてる。どれだけ長い時間やられたか、他の人は『体験として』わかってない。これ、ほんとうに通常の場合と、やられすぎた人はちがうんだよね。そうなると、たとえば、認知療法の言語というのが、マイナスに働く。一見正しそうな?アドラー心理学の言語というのが、マイナスに働く。こいつらは、なにもわかってないやつらだ。こいつらが言っていることが正しく思える人たちは、けっきょく、ほんとうにつらい毎日を一〇年ぐらい経験してない。「ほんとうにつらい」というのは、『やられすぎている毎日』だ。本当につらいと言ったって、つらさのつらさがちがうんだよ。
なんで、気違い家族やられた人間が、さらに、横のやつから、ほかのやつから、悪く言われなければならないのか? こんなの常識で考えてたら、本質が見えない。