行ってきた。大根おろしを食べてきた。けど、ポン酢だったので思った味とは違っていた。ぼくは、醤油をかけるつもりだったから。まあ、言えば醤油も持ってきてくれるのかもしれないけど、試しにポン酢をかけてみた。ポン酢のほうがレタスにはあっている。(レタスがついてくる)。
実は、昨日は、マグロのぶつ切り二皿を食べている。これが、ちょっとした手違いで、会計がまちがっていた。なので、言ったら、適切に処理してくれた。あれは、料理している人にたのむのではなくて、やはり、アルバイトの人にたのんだほうがいいんだな。あのときいなかったから、目の前で料理をしている人にたのんじゃったよ。そうしたら、アルバイトの人がまちがって、マグロのぶつ切り二皿、プラス、マグロの切り身一皿だと思ってしまったわけ。今度は、あっちのアルバイトの人にたのもう。
けど、マグロの切り身とライス(小盛り)を食べると一三〇〇円ぐらいいってしまう。最近、外食で食べる金額が高い。今日も、ほうれん草のソテーをお土産で買ってきたけど(テイクアウトで買ってきたけど)、それを入れて一三〇〇円ぐらいだ。で、飲み物を飲まないようにしているのである。注文としてはちょっと、おかしい。普通は絶対に(と言っていいほど)飲み物もいっしょに注文するはずなのである。実際、「お飲み物は?」とかならず聞かれるので、ことわるのに苦労している。
飲み物を飲まないようにして、お金を浮かせる作戦は、みえみえなんだろうけど、やらざるをえない。「この人、金がないんだな」と思われるのがちょっといやなので、トマトの切り身とかほうれん草のソテーとかといった一品をいれるようにした。実際、飲み物よりも、トマトやほうれん草のほうが、うれしい。ほぼ同じ値段だし……あるいは、飲み物のほうが高いし。
たとえばの話しだ。店のなかでコーラが二五〇円で飲めるとする。……コーラは、帰りにローソン100で買えば、一〇〇円ぐらいだ。さらに、一リットルの一〇〇円のコーラもある。なので、帰りに飲んだ方がいいやということになる。で、飲み物として、欲しいのは、実は、大根の味噌汁とか、ナスの味噌汁なんだけど、アサリの味噌汁しかなかったりする。
これ、飲み物をたのまないというのが、けっこう、くるしいんだよな。こころのバリアーをはずさないとだめだな。「とりあえず、これだけ」と言って、けっきょく、飲み物はたのまないで、外に出る(会計する)とかまあ、そういう手を使っているけど……。これ、基本、やはり、栄養のバランスとしてほうれん草やトマトは欲しいけど、別にどうだっていいやという気持ちもある。というわけで、やはり、単品をたのんで、腹がへっている場合はご飯の小盛りをたのむということで、切り抜けたい。
ああ、けど、今回のココスでは、ご飯じゃなくて石窯焼きパンをたのんだ。これは、前から食べたかったものだから、食べてみた。うまかった。
まあ、まるまるするまえに、このくらいのぜいたくはしてもいいだろう。別にいま、まるまるするわけじゃないけど。
「おかあさん、やっと、ファミレスで一三〇〇円ぐらいのものを食べられるようになったよ」などと思ったけど、基本、くらい。そりゃ、ヘビメタにやられっぱなしだからな。ココスに行くまでの道というのは、ヘビメタ騒音が鳴っている期間、何千回も通った道なのである。激しくつかれた状態で通信制大学の面接授業に行くときも通った道なのである。どんだけ、疲れ切ったむなしい気持ちで通ったか。そして、高校入試の願書に貼る写真を撮るためにダイヤ君と通った道なのである。どれだけ、張り裂けそうか。俺は、張り裂けそうな気持ちだったんだよ。ヘビメタ騒音が終わってないから。帰ったら聞かされるから。ずっと、夜の一一時まで鳴らされるから。
ヘビメタ騒音を鳴らされると、ほんとうに自分のことのように俺のことを心配してくれた人ともうまくいかなくなるのである。これは、必然だ。これ、必然じゃないと思っている人もいるかもしれないけど、普通にそうなる。鳴り終わらなかったら、そうなる。だって、ほかの個体は、ほんとうの意味でヘビメタ騒音がどれだけつらいかわからないから。
他の人がわからないのは、たぶん、ヘビメタ騒音が鳴り終わったあとの状態なのである。このからだの状態がわからない。精神の状態がわからない。この場合、精神と書いたけど、臓器としての脳みその状態だ。あれは、尋常じゃない。あんなの、毎日、繰り返していたら、どうしたって、能力がおちるし、鬱になるのである。能力がおちて鬱になると、ヨソの人から、攻撃を受けるようになるのである。どんだけつらいか。
気違い兄貴が長くやりすぎなんだよ。あんなに長い期間やりやがって。あんなに長い時間やりやがって。期間は、人生の中の期間で、時間は、一日のなかの時間。これ、一日に一三時間、やられているような状態でいいわけがない。一日に一四時間近くやられている状態で、いいわけがない。ほんとう、どれだけやったって……がんばろうとしても、どうしてもどうしても、できなくなる。この状態が、他の人にはわからない。だから、俺が夏休みの宿題や冬休みの宿題をやっていかないと、俺がサボっているように思われるわけだ。これが、きつい。ほんとうに圧倒的な」騒音で、くるしい。一日に一三時間やられたら、残りの一一時間もめちゃくちゃになる。宿題なんてできない。
どれだけ俺の、勉強の邪魔をしているか……中学高校とずっとマイニチそんな状態でいいわけがないだろ。高校受験をひかえた中学の夏休み、冬休みが、そんな状態でいいわけがないだろ。どれだけ学力がおちるか。「自己責任」「自己責任」のあらしだ。どれだけ「ヘビメタ騒音?が鳴ってたって、宿題ぐらいできる」と思うやつがいっぱいいる。そいつらは、何度も言うようだけど、実際のヘビメタ騒音を一分も経験してない。あの騒音が毎日、一年間つもった場合も経験してない。どれだけひどい状態かわかってない。「できないんだよ」。
むかし、「できる・できない問題」について書いたけど、これも、俺と他者とのあいだで、意見や感覚が異なるものだ。他者は、実際に経験してないから……話しで効いただけだから、わからない。ほんとうくるしさがわからない。これを、書くと人気がおちるけど……「俺だってくるしいことはあった」「俺だってつらいことはあった(けどがんばって働いている)」というような意見を言う人とは、つきあえない。どれだけ、侮辱しているかわかってない。「この人(エイリという人)は、自分だけつらい思いをしたと思っている」と思うかもしれない。ちがう。そういうことじゃない。そういうことじゃない。俺がどれだけそういうことじゃないと言ってもわからないのだろう。その人のつらさについてぼくはわからないけど、ぼくの「ヘビメタ騒音」のつらさは、ほんとうに、経験しないとわからない。その人のちょっとした騒音経験と一緒にしないで欲しい。もし、俺とおなじぐらい騒音を経験した人なら、そのひどさがわかっているから、絶対にそんなことは言わない。絶対にだ。絶対に。そういう発言をしてしまうということ自体が、実際には、ヘビメタ騒音級の騒音を経験してないということをあらわしている。如実にあらわしている。明示している。そして、その人のつらさをぼくは経験してない。それは、わかる。けど、「外で働けるぐらいのつらさ」なんだろ。「外で働けるぐらいの持続時間だったんだろ」と言ってやりたくなる。これも、ほんとうに騒音でひどい目に遭った人は、言わないことだ。ヘビメタ騒音級の騒音を六ヶ月でいいから経験した人は、ほかにどれだけつらい経験があったとしても、そんなことは言わない。あたかも、自分なら、ヘビメタ騒音が鳴っていたにしろ、外で働けるはずだということは言わない。もし、エイリさんの兄が鳴らしていたような時間の長さ、期間の長さ、音の大きさで、ヘビメタを鳴らしている人が横の部屋にいたとしても、自分なら平気だ(通える)というようなことは、言わない。けっきょく、そういうことを言う人たちは、想像力が欠如している。あるいは、ほんとうの騒音体験がない。ちがうから。どんだけの長さ鳴らされていると思っているんだよ。そんなの、成長期にずっと鳴らされたら、影響が残るに決まっているだろ。毎日、一〇年以上、鳴らされていいわけがない。そういう場合の効果というのがわからない。わかってない。わかってないから、「自分だったら平気だ」「自分だったら、たとえ鳴らされていても、ちゃんと働くことができる」という前提で、ものを言う。佐藤さんいYuさんも、そういう前提でものを言っているというとがわかっているのか? これは、失礼なことなんだぞ。俺を侮辱したんだぞ。