つまんない~~~
この時間、ヘビメタが鳴ってた。どれだけやっても、やめてくれなかった。いま、午後七時〇三分。
キーキードカスカ鳴っていた。
ガーーって鳴ってた!!!鳴ってた!!くそうるさかった。
死にたかった。うるさいから死にたかった。
「このままじゃぼくの人生がない」と思っていた。思っていたというか、きゅーーっとくる。騒音……爆音のなかで、発狂的な気持ちになっていた。あの連続は、たまらない。鳴っているあいだじゅうずっと連続する。朝から、一二時間やられているような状態だと、鳴り終わったあと、きゅーーーっと一気に冷えて、死にたくなる。
鳴っているあいだも、死にたいし、鳴り終わったあとも死にたい。これ、鳴っているあいだは、暑くなって死にたいし、鳴り終わったあとは冷たくなって死にたい。そういうことの繰り返しで、人にはわからない、「疲労」がたまった。「暗い気持ち」がたまった。
だから、これは、そういう毎日が何千日も続いた、ぼく固有のものであって、一般的な日常生活のなかでの疲労や一般的な日常生活のなかでの「暗い気持ち」とはちがう。
だから、一般的な日常生活のなかでの疲労に対処したことをやればいいと言われても、困るんだよ。意味がない。「そんなの、やりもしないで」などと腹を立てられてしまうのだけど、つらい。
ぐたぐたな一五年間は……そんなことは、やること自体が……無理だし、それ以降も、無理なんだよ。
体がちがってしまっている。
だから、あれをやれば良いこれをやれば良いというアドバイスは、なんか、つらいのである。で、なんて言うのかな? これ、アドバイスされた通りにやっても、ぜんぜん楽にならないと言ったら、そういう人たちは、機嫌が悪くなるわけだろ。機嫌が悪くなるとまでは言わないまでも、あんまり、いい気分じゃないわけだろ。そういうあんまりいい気分じゃない経験が積み重なると、やばいんだよ。親友や友達とのあいだでも、そういうことが、いっぱいあった。
ともかく、これは、負の交流なんだよな。きちがい兄貴が、ずっと鳴らしていて、治る見込みがない場合は。普通の生活をしているわけではない。それは、ヘビメタ騒音生活一五年に関しても言えるし、一五年目以降も言える。実際には、一四年と数ヶ月間なので、一六年目以降じゃなくて、一五年目以降という言い方で、正しい。