だから、実際には、絶対に静かにしてやらない。静かにしてやらない理由は、きちがい兄貴の気持ちだけなのだけど、それがわからない。なにか、義務があって、それで鳴らしているというわけではないのだ。なにか、作業をするために、音が出てしまうとかそういうことではない。なんらかの工事をするために、音が出てしまうとかそういうことではないのだ。まったくそういうことではなくて、きちがい兄貴が鳴らしたいから鳴らしている音だから、「静かにできない」理由はない。静かにできない理由は、兄貴の心のなかにしかない。
けど、……けど、それに気がつかない。まるで、業務上必要なことをやるから、音が出てしまうという状態だ。そういう気持ちだ。で、これが、なんの疑いもなく、「そういうことになっている」のである。そうじゃない状態がない。そうじゃない気持ちの時がない。「うち」にいれば、かならず、好きな音で鳴らして良いのであり、がたがた言ってくるほうがおかしい……という気持ちになる。自分はなにも悪いことをしていないのに、がたがた、文句を言ってくる……これが、クラッカー一〇〇分の音で鳴らしている時の兄貴の気持ちで、一分だろうが、本当に静かにしてやろうというつもりは、一〇年間、一一年間、一二年間、一三年間、毎日毎日、まったくないのだ。
何度も言うけど、ずっと、そういう気持ちで鳴らしていて、……なんというのかな……そうじゃない日がない。「あれ、こんな音で鳴らしていたら迷惑なのかな?」と疑問に思うことがない。それは、言われないから気がつかないのではなくて、どれだけ、何万回言われようが、思いつかないことだ。発想としてない。
で、本人は、本当に、それであたりまえだから、なんも悪いと思わないまま、ずっと鳴らし続ける。鳴らしたあとは、「そんなつもりじゃなかった」ということにすればよいのである。これも、結婚をして、嫁さんの家族という「外部」の存在ができたから、はじめてぶちあたった問題で、うちにいるかぎりは、「そういうことも」感じないのである。
どれだけなにを言われても、感じない。最初に言った、きちがい親父の心のブロックがあるから、なにも感じない。文句を言われれば……注意をされれば……不満になる、頭にくる……ただそれだけ。相手(兄貴にとっての俺)の事なんて、考えられるわけがない。自分(兄貴)だって、おさえつけられて、やられたんだから。それで、相手(親父)は通したのだから。そして、相手(親父)はそのことについて、知らないのだから。
これ、「知らない」なんことはないだろということになるんだけど、「うち」は、そうなんだよ。親父はそうなんだよ。兄貴はそうなんだよ。自分が血相を変えて、やったことは、どれだけやっても、……何万回やっても、何十万回やっても、……常に、毎日、何回も何回もやっても……絶対にやったことにならない。「やった」という気持ちが、心の底から、腹の底から、しない。
だから、本人は、まったく関係がない人のつもりでいられる。じゃ、自分がやっている時に、ヘッドホンをつけろとか、三時間は鳴らすなと言われて、ヘッドホンをつけたり、三時間鳴らさないことができるかというと、それはも、う、無理なんだよね。無理の無理。だから、根本的に、全部やり切る。ゆずってやるとしたら、自分がゆずりたい分だけゆずる……それでいいだろ!と言う気持ちがあって、本当には、一分も譲らない。「自分がゆずりたい分だけゆずる……それでいいだろ」ということが、否定されても、否定されたと思わない。その「自分がゆずりたい分だけゆずる……それでいいだろ」と言う気持ちが、形にならないほど、根本的なところにって、それ以降のすべての認知や判断をゆがめる。
なおかつ、「自分がゆずりたい分だけゆずる……それでいいだろ」と言う気持ちを、本人は知らないから、「そんなつもりじゃなかった」「そんなになっているとは知らなかった」「じゅうぶんゆずってやった」ということを、嘘でなく、嫁さんの前で言える。
けど、これは、事実とは、一八〇度違うことなんだよ。まさに、事実とは、正反対の認知、認識なんだよ。もう、本当に、認識の部分ではなくて、認知の部分で間違っているという感じだからな。より、深い。あんなでかい音で鳴らしたら、絶対に迷惑だということが、わかりそうなものなのに、でかい音に聞こえないというレベルで、認知がおかしい。ここでは、認知というのは、認識よりも、感覚に近い意味で言っている。本当に、知覚に近いレベルで、書き換えをしている。非常識なでかい音なのに、「そんなんじゃない」ということになっている。だから、どれだけ言われても、「どこ吹く風」で、本人は、変えるつもりがない。ゆずるつもりもない。
で、この「どこ吹く風」という雰囲気は親父にもあった。これ、絶対にわからないだろうな。健常者に囲まれて育った人には、それこそ、知覚的に、わからない。まあ、これは、言いすぎで、知覚的にわからないのではなくて、感覚的にわからないといったところだろう。言っている意味は、わかるはずだから。
それと、誤解を招いたみたいだから言っておくけど、別に僕は、ヘビメタ騒音なしで、引きこもっている人を、バカにしてない。甘えだと思ってない。その人が甘えているとは、思ってない。けど、元引きこもりの人は、「引きこもりは甘えだ」と言いたくなるみたいなのである。自分は、克服した。かつての自分は、甘えていた。と言いたくなるみたいだ。
で、自分が甘えていたというのは、それで良いのだけど、「引きこもりは甘えだ」というのは間違っている。元引きこもりの人の認識だと、引きこもりは甘えなのである。そして、自分も甘えていたのである。そして、今や、成長して、そのことに気がついたのである。だから、いま引きこもっている人も、成長すれば、引きこもりが甘えだということが、わかるという理論を展開する。どこで間違っているかというと、「引きこもり」ということで一般化しているところで間違っている。自分のことと、他の人間のことがごっちゃになっている。線引がされてない。
そして、いま引きこもっている人が、自分の話を聞いて、反感を感じるのはわかる……と言う。昔の自分は、「引きこもりは甘えだ」と言われたら、反感を感じていた。けど、いまは、「引きこもりが甘えだということがわかる」。いま引きこもっている人も、克服すれば……つまり、引きこもりでなくなれば、それが甘えだということがわかるということを言う。
要するに、引きこもっている人は、かつての自分のように、みんな、甘えているのだけど、それがわからないということを言っているわけだ。だから、そういうことを聞いてしまうと……ヘビメタ騒音もないのに、どうして、引きこもったんだよ? と言いたくなる部分が出てくる。
で、また、これが、反感を買うんだよな。それは、わかる。僕は、引きこもりとかそういう言葉で十把一からげにしてしまうことが、ナンセンスなんだと言いたい。引きこもりの中にも、甘えている人と甘えてない人がいる……そういう考えなのである。だから、引きこもりは甘えだとか、引きこもりは甘えじゃないとかそういう議論には、加わりたくない。ただ、僕は引きこもりの一員なので、当然、甘えていると言われれば、腹が立つ。「おまえ、俺と同じことをされてみろ」「一〇年以上、毎日ヘビメタ騒音に、週四四時間以上さらされ続けてみろ」と言いたくなる。それは、それで、こっちには、そういう気持ちがある。
何度も言うけど、僕は、甘えかどうかはひとによって違うと思う。だから、そのもと引きこもりの人が、「自分は甘えていた」と思うのは、別に否定しない。その人は、その人が言っているように、「甘えていた」のだろう。しかし、引きこもりはみんな甘えだと考えているところで、間違っている。しかも、その人の考えでは、引きこもりはみんな甘えなのに、引きこもりが、「引きこもりは甘えだ」と言われると、反感を感じるのは、引きこもりが人間的に未熟だからなのである。これは、ない。そういうふうに言いたくなる気持ちもわかるけど、それは、理論的に間違っている。
甘えている人も、甘えてない人もいるからだ。そりゃ、いじめで引きこもった人もいるだろうし、うつ病やその他の病気で引きこもった人もいるだろう。いじめも、程度の問題があって、ひどいいじめなのか、それほどでもないいじめなのかわからない。だから、その人が……その特定の人が、甘えているのか甘えていないのか、僕には、わからない。けど、全部、十把一からげにして、「引きこもりは甘えだ」という気持ちにはならない。
それから、病気で引きこもっている場合は、いわゆる、社会的な引きこもりの中には含めないことになっている。けど、引きこもっていれば、引きこもりだと思う部分もある。特に、精神的な病気だと、そこら辺が、曖昧で、病気なのか病気じゃないのかわからないところがあるので、余計にわからない。まあ、僕が判定する必要もないのだし、知らない。だから、十把一からげにして、「引きこもりは甘えだ」という気持ちにはならない。そりゃ、引きこもりの中には、どうしょうもない理由で引きこもっている人もいると思う。俺だってそんなことを経験したら引きこもってしまうよなと思うようなことを経験した人もいるだろう。(ひとつ前の言葉は、自分が、ヘビメタ騒音で引きこもってない場合に、そういうふうに思うだろうということ)。
で、ともかく、この空間はきちがいヘビメタ空間だ。鳴ってた。これ、いま、日曜日の午後五時。きちがいヘビメタが鳴っていた。「こんなふうになる」と思って、一時間でもやめてくれれば良かっただろ。一時間じゃ足りないけどな。一時間静かにして、一一時間鳴らされたら、やっぱり困るけどな。けど、一日に、一時間だろうが、ちゃん静かな時間がなかった。一切なかった。鳴らしっぱなし。「こんなふうになる」と思って静かにしてくれたことが、一時間でもあるのかよ? きちがい兄貴。おまえ、全部、毎日、毎時間、ゆずらずに、鳴らしっぱなしじゃないか。
それで、よく、「そんなつもりじゃなかった」みたいなことを言えるな。なんだろうが、意地を通して鳴らしていた。こっちがどれだけ、「やめろ」と言っても、全然、まったく、気にしないでならしていた。それで、「つもりがない」とか。完全に「つもり」があるじゃないか。きちがい的な「意地」があるじゃないか。
一日に、一時間だって、静かにしてくれなかった。鳴らさない時間を作ってれなかった。ヘッドホンをしてくれなかった。これが、きちがい兄貴がこの世でやったことで、それに違いがないのである。なんで、よそさまの前だと、嘘をつくんだ。平気で嘘がつけるんだ。あんなの……本当に、頑固にやり切るけど、本人はつもりがまったく生じないという状態だ。
きちがい兄貴が、嘘をついているつもりがないとしたらな。で、どれだけ、怒鳴りこんでも、……こっちが、きちがいヘビメタのことでピンチになって、……どれだけ、「静かにしろ」「静かにしろ」と怒鳴りこんでも、本当に、一分だって、やめて静かにしてくれたことがない。中断して、静かにしてくれたことがない。ヘッドホンをして、静かにしてくれたことがない。それが、二〇〇〇日、三〇〇〇日、四〇〇〇日、五〇〇〇日続いて、いいわけがないだろ。
これが、まったくわからない。「わからない」まま、きちがい兄貴が、頑固に鳴らし続ける……一分もゆずらないで鳴らし続けるという日が続いてしまう。困らないわけがないだろ。感情として、絶対に、静かにしてやるつもりなんてないんだよ。一二時間鳴らせるなら、一二時間鳴らして、絶対に、一一時間五九分にしてやるつもりがない。そもそも、一分だって、自分が不利になる形で、やめてやることなんてできない。静かにしてやることなんてできない。自分が不利にならない形で……つまり、そのまま、満足できるでかい音で鳴らして、静かにしてやったと思うことしかできない。
で、なんて言うか、それが、ガチガチにタイトなんだよ。本当に、クラッカー一〇〇個の音とクラッカー九九個の音の違いしかないから、きちがい兄貴が静かにしてやったつもりの時間と、きちがい兄貴が静かにしてやらずにそのままの音で鳴らした時間の区別がつかない。本当に、あれで静かにしてやったと思っていたとしたら、きちがい。そういうやり方であれば、どんな大音響で鳴らしたって、「しずかにしてやった」と思うことが可能なんだよな。普段と変わらない音で鳴らすわけだから。普段、クラッカー一〇一個音で鳴らすなら、ゆずってやった時の音が、クラッカー一〇〇個の音であるわけだから、ゆずってやった時も、クラッカー一〇〇個の音で鳴らし切ることができる。で、きちがい兄貴がやったことは……まさしく、そういうことなんだよ。試験だろうがなんだろうが、……正月だろうがクリスマスだろうが……きちがい兄貴がやったことというのは……毎日普通にやったことというのは……毎日普通に、絶対に認めないでやったことというのは、まさしく、そういうことなんだよ。だから困る。
これは、きちがいヘビメタ騒音が鳴っている時間だ。これは、きちがいヘビメタ騒音が鳴っている空間だ。
――こんなになるとは思わなかった。
――「なる」と思って、一日中、鳴らさないで静かにするべきなんだよ。ふざけんな。俺は言ったぞ!!どれだけ言っても、「なる」と思って、一日に一時間、静かにしてくれたことがない。本当に、全部、やりっぱなし。自分の権利は、保持したままなんだよ。どれだけ、交渉しても、どれだけ喧嘩しても、自分の権利は保持したままなんだよ。自分の権利というのは、一日に好きなだけ、好きな音で鳴らす権利だ。この権利があると思ってたんだからな。本当はないのに。だから、「当然の自分の権利を行使しただけで、ぜんぜん悪いと思ってない」状態なのである。入学試験前に、「やめてくれ」「静かにしてくれ」と俺が必死に頼んでも、ムスーーっとしたまま、黙りこくって、二階に上がって、ドカスカ鳴らした。で、「自分」が、鳴らし始めたら、中断して、やめてやるつもりは、ない。一分だって、中断してやめてやるつもりがない。だから、入学試験前の冬休みだって、一日に一四時間鳴らせるなら、絶対に一四時間鳴らして、絶対に、一三時間五九分にしなかった。一分も、ちゃんと中断して静かにしてくれたことがない。試験前の冬休みで、必死になって頼んでいるのに。それで!!「つもりがない」「静かにしてやった」「こんなになるとは思ってなかった」なのかよ? 「こんなふうになると思って」一日中、静かにすればいいだろ。入学試験前の冬休みに一四時間も鳴らして、まるで悪く思わないというのがおかしいんだよ。どれだけ、俺が「困るからやめてくれ」「試験だからやめてくれ」と言っても、きちがい兄貴は、まるで悪いと思ってないわけだから。むしろ、自分の当然の権利が、成り立たなくなるのは困る……少しでも自分の当然の権利に傷がつくのは、ゆるせないという気持ちで、ムスーーッとして、目を三角にして、……不愉快なことを言われて気分が悪いという感じで怒ってるだけなんだから。それで、二階に行って鳴らしてたわけで、交渉決裂だ。交渉が決裂すると、普段どおりに、きちがい兄貴が好きな時間、好きな音で鳴らしていいという不文律が成り立つわけで、まるで気にないで、普段どおりにどでかい非常識な音で、全部の時間鳴らしきるということになる。それで、「つもりがない」とか「こんなになるとは思ってなかった」とかおかしいだろ。普段から、毎日、……普通なら、普通に言われれば即座にわかることが、わからないまま、鳴らしていたのである。ぜんぜん、矛盾してない。どれだけ言われても、「つもりがないまま」鳴らしてた。ぜんぜん、矛盾してない。