現在、なんとかweb系の仕事で食べています。このブログで扱う問題は「この世とはなにか」「人生とはなにか」「人間とはなにか」「強迫神経症の原因と解決法」「うつ病の原因と寄り添う方法」「家族の問題」などについてです。
2015年7月18日土曜日
「人のせい」かどうかは、ケースバイケースで違う。
---引用開始
「俺がこうなってしまったのはお前らのせいだ!」
と家族を責めていたところでした。
ブログ村の無職カテゴリーでもこういうブログを書いている方を見かけますが・・・・・・。
やはりこういう物の考え方をする方は、ほぼ壊れかけのようです。
---引用終了
時給一両 「THE説得」をみて
http://kanimiso.syoyu.net/%E7%84%A1%E8%81%B7%E3%80%81%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%88%E7%94%9F%E6%B4%BB%E3%82%92%E3%81%97%E3%81%A6%E6%80%9D%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8/%E3%80%8Cthe%E8%AA%AC%E5%BE%97%E3%80%8D%E3%82%92%E3%81%BF%E3%81%A6
この「ブログ村の無職カテゴリーでもこういうブログを書いている方」というのが、私のことを指しているばあいがあるので、一応自分が考えたことを述べておく。けど、別に、特別深く、議論したいわけではない。また、彼の発言(ブログ村の無職カテゴリーでもこういうブログを書いている方を見かけますが)が、私を念頭に置いたものだとしても、彼の発言は、発言として受け止めておきたい。で、まあ、たいしたことじゃないのだけど、一応自分の立場というのは説明したいと思う。別に強く批判したいとかそういうことではない。返事も、特に必要がない。ただの感想を書いておく。別に、敵にしたいわけじゃないから。
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「ご飯が食べられない」といっても、二週間も続けて、ごはんを食べることができなかったら、死んでしまうわけだから、「ご飯が食べられない」と言っても、生きている以上、この世に存在が可能なレベルでは、食べることができたわけだよ。あとは、学校に通うことができたかどうかに関しては、ヘビメタ騒音の連続よりも、小さな問題だ。俺が学校に行かないなら、ヘビメタ騒音が鳴り止むというのであれば、俺は、学校に行かなかった。これは、行かなかったということだけど、行けなかったということだ。学校に行けない状態で、毎日ヘビメタ騒音が鳴ってないほうが、俺の人生にとっては、完全にプラスなのだ。やり直すことができた。体力的にも精神的にも。高校まで、学校に通ってなくても、高検を受ければいいわけだから。「ご飯が食べられない」といっても、生存レベルでは、食べられたということだから……。それに関しても、生存可能なレベルでしかご飯が食えない状態と、毎日ヘビメタが鳴っている状態のどっちを選ぶかということになったら、「ご飯が食えない状態」を選ぶ。実際、俺は、数ヶ月だが、生存可能なレベルでしかご飯が食えない状態で生きていたことがある。ヘビメタ騒音のせいでそうなった。
どのみち、自分が絶叫する声よりもでかい音で、週に四四時間から八四時間以上、毎日ヘビメタが鳴っている状態というのを、経験したことがないから、そんなことが言えるわけで、経験すれば、そんなことは言えないと思う。要するに、経験不足でわかってないだけの話だ。
「ご飯が食べられない状態」ではなく、また、学校に通える状態であれば、すべては、自己責任だという話なんだけど、それは違うと思う。だいたい、このふたつの条件というのは、重要だけど、決定的な絶対条件ではない。
ヘビメタ騒音を「消す」かわりに、学校には通えないということになったら、私は、スキップして喜んだ。実際、ヘビメタ騒音が鳴っているにもかかわらず、がんばって、七年間、学校に通ってしまったから、八年目から、通勤通学が、どれだけがんばっても事実上できない状態になっているのだ。ヘビメタ問題は死活問題だった。ほかのことと置き換えられるなら、俺は、置き換えて欲しかった。だいたい、世の中には、学校に通ったからこそ、自殺してしまう人間もいる。そんな人間に対して、学校に通うことができたのだから、学校に通えない人よりも、しあわせだということができるのだろうか? 「しあわせ」と書いたけど、「つらくない」でもいい。ほかにもいっぱい、つらいことがあるので、学校に通える状態かどうかは、絶対条件ではないのだ。まあ、俺は、自殺しないで生きたけどね。けど、これは、微妙なバランスの上に成り立っていた。いじめが原因で自殺した人は、いじめが死ぬほどつらいことだということを、証明してみせた、のだろう。
たぶん、この人のなかでは、生存可能なレベルでしかご飯が食えないことと学校に通うことができないこと(通わせてもらえないこと)が、一番つらいこととして想定されているのだろう。どっちも、本人が経験したことではないので、「一応、考えると」ということだ。想像のレベルで、このふたつが一番つらいことだと思っているのだろう。だから、このふたつを満たしている人が、「だれだれのせい」というのであれば、それは間違っていないが、このふたつを満たしていない人が「だれだれのせい」というのであれば、それは間違っていると考えているのだろう。けど、何度も言うけど、このふたつは、重要な事ではあるけど、絶対の条件ではない。ほかにも重要な事がいっぱいある。勝手に、この人が、このふたつ以外のことは、(決定的には)重要なことではないと決めつけただけなのである。
時間は、確かに、生きている限りは、平等だろう。寿命というものを考えると、時間も不平等だけどな。で、時間は、生きている限りは平等なのだけど、使える時間は平等じゃない。たとえば、人が絶叫する声よりでかい音で、この世で一番、嫌いな音が、一日に七時間以上、どかすか鳴っている状態だと、その時間は、勉強することができない。勉強だけではなく、好きな本を読むことも、眠ることもできない。また、普通の気分でテレビを視ることすらできない。トイレに入っても、その音がどかすか鳴っている状態なので、安心して小便もできない。毎日続くと、構えてから、小便が出るまでに時間がかかるようになるし、頻尿になる。普通の気分で風呂に入ることもできない状態になる。なので、鳴っている時間は、使えないわけだから、平等ではない。
あとは、「親」といった単語の問題がある。これは、「続柄」を示す単語なんだけど、ただ単に続柄を示すということ以上の意味を持ってしまう単語なのだ。
あと、ちょっといっておくけど、私はかねてから「父親のハンディだけなら、まともな職業について働いていた」と言っているわけで、通勤して働けないのは父親のせいだとは言ってない。通勤して働けないのは「兄」のせいだとは言っている。で、「兄」は「父親」なのかというと、当然、そうでない。で、これは、別に、兄が、他人であったとしても、同じだ。たとえば、兄が、基地外野郎という名前の持ち主なら、基地外さんのせいで、通勤して働くことができなくなったと言う。どうしてなら、それは、真実だからだ。兄は「家族」なので、「家族のせいで」ということになるけど、それは、兄が他人であったばあいも同じだ。家族か他人かで違うということはない。
むしろ、家族だからこそ、警察には連絡できないというような悩みが生じてしまう。むしろ、家の問題だからこそ、他人が介入しないという問題が生じてしまう。たとえば、続柄「兄」に強姦された、続柄「妹」は、他人が他人を強姦する場合よりも、難しい立場に置かれてしまう。また、親が子どもに暴力をふるう場合は、他人が他人に暴力をふるう場合よりも、肯定される。だいたい、「家」の問題は、社会の構成メンバーには、隠されがちなのである。
あと、実際は「人のせい」ではないのだが、「人のせい」にしないと、精神が崩れてしまうばあいがあるので、精神が崩れてしまう人は、そうしてもよいのではないかということが書かれているけど、これは、前半部分が間違った決めつけだと思う。
何度も言うが、「人のせい」かどうかは、ケースバイケースで違う。一括には論じられないことなのだ。この人は、「食べることができない」かつ「学校にも通わせもらえない」というふたつの条件で、線引をして、ふたつの条件を満たしている人が「人のせい」にするのは許せるが、ふたつの条件を満たしていない人の場合は、「人のせい」だということ自体が間違っていると思っていると思う。線引はそれだから。だから、「食べることができない」かつ「学校にも通わせもらえない」というふたつの条件を満たしていない場合は、すべての場合において、「実際は人のせいではない」のに「人のせいにしている」ということになる。その、「実際は人のせいではない」のに「人のせいにしている」人が、そう思うのは、自我を保つためにしかたがない場合があるので、肯定されるということになる。けど、「食べることができない」かつ「学校にも通わせもらえない」というふたつの条件を満たしていないばあいでも、実際にその人が言っていることが正しい場合があると私は思う。つまり、本当に「人のせい」である場合だ。
兄による強姦について書いたけど、これは実際にあったケースで、この場合も、妹のほうは「「食べることができない」かつ「学校にも通わせもらえない」というふたつの条件を満たしていない。けど、妹のほうが、男性と付き合う、あるいは、結婚して家族をつくるということに関して問題を抱えたことは事実なのである。兄がやったのだから、兄のせいなのである。しかし、ふたつの条件を満たしていないから、「家族のせいで(不感症になった)」とか「家族のせいで、異性と付き合うことができなくなった」と思うのは、間違いだということになるのだろうか。私の意見では、これは、兄がやったことなのであるから、兄に責任があるのであり、妹は、されたことについて、責任を追及していいし、「兄のせいで、・・できなくなった」ということを言っても良いのではないかと思う。
まあ、この妹さんは、兄の結婚式に出た後、自殺してしまうんだけどね。こういう場合もあるのだから、実際に「その人のせいであるばあい」はその人がたとえ「家族」「親」「兄弟」であったとしても、「その人のせいで・・できなくなった」ということを言っても、間違いではないだろう。
(注)訴えにくいというのは、家族から犯罪者が出るのは問題だから、親が妹を説得していた。
「こういう物の考え方をする方は、ほぼ壊れかけ」……これに関しては、私はそのテレビ番組を視てないから、わからないけど、順番が逆なケースもあるのではないかと思う。私が「ほぼ壊れかけ」なのは、否定しない。「ほぼ壊れかけ」が実際にはなにを意味しているかわからないが……。言葉を濁したいところだから、濁したのであろう。他の人の例を出して言うと、問題が生じるかもしれないので、自分のことだとして言っておこう。
実際に、壊れるようなことをされたので、「○○のせいだ」と言っているのではないか。そういう可能性もある。また、「○○のせいだ」という考え方をするので、ほぼ壊れかけになったと考えているような印象を受けるけど、やはり、順番が逆なのではないかなと思う。
まあ、「実際は○○のせい」ではないのに、「○○のせいだ」と、言う人、あるいは、そう考えがちな人はいる。そういう妄想を持っている人もいる。そういう人は、たしかに問題を抱えている。だから、ケースバイケースだと最初から言っているわけで、「実際は○○のせい」ではないのに、「○○のせいだ」と言う人がこの世にいるということは、否定しない。それは、それで、また別の問題なんだよね。
被害妄想がある人、他罰的な人というのは、いろいろなところで、誤解して「○○のせいだ」と考えがちなので、他の人とうまくいかなくなるのである。もちろん、親とも、他の家族ともうまくいかないだろう。会社や学校でも、「そういう感覚」で他の人とぶつかることが日常茶飯事だと思う。これはこれで、別の問題。
毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/
ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。
自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。
●ヘビメタ騒音というのは
ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。
あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。
俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る
日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!
「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!
各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。
ぼくはまけない
「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。
サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。
認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。
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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。
死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。
過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。
用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。