たとえば、いじめられるだけで、統合失調症になるかというと、ならない。母親の態度に問題があるから、統合失調症になるかというと、母親の態度に問題があったとしても、統合失調症になる場合とならない場合がある。むかし、ダブルバインド説というのがあったんだけど、ダブルバインドされるだけでは、統合失調症にはならない。まあ、問題のある母親の態度と、脳の機能障害は、排他的ではないので、両方の理由が重なる場合もある。
なにかを「きっかけ」にして統合失調症になることがあるということになっているけど、そのきっかけとなる事件が生じる前に、すでに、脳の機能障害が生じていたのではないかと思う。これは、僕が勝手にそう思っているだけ。脳の機能障害が生じていたから、きっかけとなる他人との交流が生じたのではないかと思う。
いずれにせよ、母親の態度だけが問題で、統合失調症になるということはない。もっとも、母親の態度だけの問題で、ほかのまあ、障害が生じる場合はある。たとえば、強迫性障害になる場合はある。摂食障害になる場合がある。
(だから、統合失調症の人が、自分が統合失調症になったのは、母親のせいではない(あるいは、だけのせいではない)とかんがえるのは、正しい。あってる。けど、すべての事柄について、そういうことが成り立つかというと、それは違う。
たとえば、人間は老化する。AさんもBさんも老化する。老化すれば、さまざまな障害を抱えることがある。その障害について、誰のせいにしてもしかたがないという点はある。実際、誰のせいでもないから。Aさんが老化するのは、誰のせいでもない。Aさんのせいですらないだろう。Aさんが、自分が老化するのは自分のせいだと考えても、なにもいいことはないだろう。Aさんが、「自分が老化するのはBさんのせいだ」と考えていたとしたら、Bさんは「そんなんじゃないのに、迷惑だな」
と思うだろう。実際、Aさんが老化するのは、Bさんのせいじゃない。
たとえば、認知症になる人がいる。で、これも、その人のせいじゃないし、ほかの人のせいでもない。Aさんが、認知症になったとして、自分が認知症になったのは、Bさんのせいだと考えても、なにもいいことはないだろう。あるいは、自分が認知症になったのは、自分のせいだと考えても、なにもいいことはない。実際、自分が認知症になったのは、自分のせいとはいえない部分があるからだ。で、たとえば、認知症のAさんが、「自分が認知症になった責任の一端は、自分にある」と考えたとしても、これまた、なにもいいことがない。「自分のせいで認知症になった」と考えたとしても、認知症に良い影響を与えるか? 「自分のせいで認知症になった」と考えることで、「現実と向かい合った」ということになるか? 「自分が認知症になった責任の一端は、自分にある」と考えないことは、現実逃避だと言えるか? そんなこと、言えるはずがないだろ。