気分的に、きちがいヘビメタ騒音のことが気になって、苦しい。友達に会うために、出かける寸前まで、きちがいヘビメタが、ドッカスッカドカスッカ鳴っている状態だから、友達とあっている時も、気分を引きずって、腹立たしい気分でいたり、憂鬱な気分でいたり、不安だったりする。「このままヘビメタ騒音が続いたら、僕の人生はダメになってしまう」という不安が、常にあった。で、事情を知っている友達に、愚痴ってしまう。俺が、どれだけ親友に愚痴ってしまったか。その愚痴は、やっぱり、友だち関係に悪い影響を与えた。本当に、心配してれたからね。どうして、本当に心配してくれると、だめになるか?わからないかもしれないけど、長い年月をかけて、ダメになる。こっちの方で、線を引いてしまう。「もう、(俺に)関わらないほうがいいよ」というような気分になってしまう。ヘビメタ騒音で、「だめ」が積み重なっていると、そういう気分になる。
きちがい兄貴は、いまですらわかってないけど、本当に、ヘビメタ騒音は深刻な問題だった。本当に深刻な問題。これ、本当に、教師とか、わからないんだよな。言えば、静かにしてくれると思っている人たちだからな。それから、教師とかじゃなくて、俺が三〇代になってから、新しくあった人たちだけど、……だいたい五分五分にわかれるんだよな。ヘビメタ騒音のことを、理解してくれる奴と、理解してくれない奴が、だいたい、五分五分でわかれる。けど、理解してくれているとしても、なんというかな、……そんなにひどいとは思ってないんだよね。時間数を言っても、きちがい兄貴の酷さが伝わらない。やっぱり、わかってくれる人ですら、「言えば、どうにかなったんじゃないか」みたいな考えがあって、あんまり、こっちの深刻な状態がわからない。
ともかく、あって話しているわけだから、ちょっと気合いを入れれば、働けると思っているわけだよな。それで、無職だというと、「どうして?」という話になる。で、ヘビメタのことを話すわけだけど、「そんなのはおかしい」と考える人が、いる。「そんなのはおかしい」と思っている人は、俺の話を、……簡単にいえば、信じない。「そんなわけない」と思う。「親は、やめさせなかったのか?」「近所の人は?」と質問してくる。それに答えても、「変な話だなぁ」という印象が消えなかったりする。……その人の中で、そういう疑問が成り立ち続ける。こっちが答えた後もね。
それから、たとえ、一〇年間鳴っていたにしろ、いまは鳴っていないのだから、どうにかなるだろ。働けるだろというふうに思う人もいる。で、これも、睡眠障害のことなどを説明しても、一度、無職のダメ人間だと思うと、そのあとの睡眠障害うんぬんの話も、「そんなのは、甘えだ」というような感触を持ってしまう。で、本当は、ぜんぜんそんなのじゃないんだけど、ここに書いたことを、全部、一〇分ぐらいで、説明するということが無理なので、その人は、「そんな昔のことは関係がない。睡眠障害なんて言うのは、ちょろっと治せばいい」と思うわけだよ。ようするに、「サボって働かない」と思うわけだ。で、ともかく、人物評価という点では、ものすごく、下に見られる。
俺がそいつに物乞いをしたわけでもないに、ものすごく、下に見られる。で、こういうことは、無職になってから始まったことじゃなくて、むかしからそう。勉強のこととか、遅刻のこととか、忘れ物のこととか、注意不足でドジをすることとか、いつも憂鬱そうな顔をしているところとか、いつも元気がないところとか、いつも体力がなさそうなところとか、いつも不満そうな顔をしているところとか、そういうところが、「ダメ人間」に見えるわけで、評価は低い。……こちらかいうと、全部、ヘビメタの作用なんだけど、それを説明してもしかたがない。「ヘビメタが鳴っているから」と言っても、勉強が出来ない理由にはならない。いちおう、僕は頭がいいので、ヘビメタにたたられていても、学校で授業を受けているだけで、普通ぐらいにはできた。けど、ちょっとできるやつからは、下に見られるわけだよな。……ヘビメタがなければ、絶対に、そいつらより、勉強ができるわけなんだけど、ヘビメタが鳴ってないということがないから、本来の力が出ない。そりゃ、家に帰ってから、全部、きちがいヘビメタが鳴っているわけだから、勉強が出来ない。休みの日なんて、すべての時間、ヘビメタが鳴っているわけだから、勉強が出ない。ちなみに、夏休みもそうだ。朝から、晩まで、どれだけなにを言っても、ずっと、ずっと~~~~~~~~~~~~-鳴っている。
他の人には、「だからなんなんだ?」というようなことなんだけど、至近距離で、あの音をどかすか鳴らされていると、本当に、勉強することができない。それは俺だけじゃなくて、俺と同じ状態にさらされたら、あの騒音の中で、勉強できる人なんていないと思う。まあ、例外的に、ヘビメタが大好きで大好きで、その音を聞くと、ハイになって、勉強が捗るというような人もいるかもしれないけど、それは、例外中の例外だと思う。一〇〇人のうち、九九人は、絶対に、勉強できない。僕に、綺麗事を言った人たちだって、同じ条件なら、絶対に勉強できない。あの騒音の中で勉強できるのは、ヘビメタが特別に好きな人達だけ。もう、本当、強烈な音で鳴っている。ヘビメタが好きな人だって、ヘビメタに対してあまり、拒否反応がない人だって、それは、自分が聞きたいときに鳴っているから、いいわけで、たとえば、試験中にあの音が鳴っていたら、文句を言うと思うな。
一つの教室に集められた一〇〇人の人が、試験中に、あの音を聞かされ続けたら、やっぱり、文句を言うと思うよ。他の一〇〇〇〇〇人の人は普通に静かな環境で試験を受けて、それで、その教室に集められた一〇〇人の人だけ、きちがいヘビメタ騒音をずっと聞かされたら、やっぱり、ヘビメタがそれほど嫌いじゃない人も含めて、文句を言うと思うな。「試験をやり直せ」って文句を言うと思う。「どうして自分たちだけ、あんな騒音の中で試験を受けなければならないのか。不公平じゃないか」って文句を言うと思う。「他の九九九〇〇人は、静かなところで受けたのに、ものすごい騒音の中で受けた俺達と同じように評価されるのは、不公平じゃないか」って文句を言うと思う。
俺なんて、毎日、そういうことをやられて、毎日毎日、不公平な状態で、勉強していて、それで、「甘いとか」「甘えている」とかそんなことを言われなきゃならないのだから、やってられない。本当に、ヘビメタが一日に七時間から一四時間鳴っている。ハンディ、でかい。他の人は経験していないから、わからないだけ。けど、それだって、実際に、経験してないのだから、ハンディがないということがわからない。俺にくらべてハンディがないということがわからない。だから、本当は、自分が一〇年間も毎日やられたら、やはり、無職にならざるを得ない人だって、……実際にはやられていないので……「無職はけしからん」という思いに駆られることになる。もっと詳しく言えば、「働けるのに、無職なのはけしからん」ということになる。「働ける」という前提になっているのは、見た感じ、健康そうだから、働けるはずだと思うわけで、ヘビメタ騒音云々の話を聞いた後だって、そのヘビメタ騒音の影響がそんなに大きいはずがないと考えるから「働ける」と思っているわけで……その人にとってみれば、目の前の俺は、「働けるのに、働いていない無職」なのである。あるいは「働けるのに、ヘビメタ騒音がなんだとかへんないいわけをして、働こうとしないダメな無職」なのである。
けど、そうふうに思う人だって、一一歳から二五歳まで、ヘビメタ騒音を浴び続ければ、働けない体になる。これは、よっぽどヘビメタが好きな人を抜かして、一〇〇人中一〇〇人が働けない体になると思う。それから、その人達が、ヘビメタ騒音という理由……認められない理由……横の部屋のきちがい兄貴が好きでヘビメタを鳴らして絶対にやめないという理不尽な理由……で、勉強することができず、からだも悪いのに、底辺の仕事に追い込まれるということに、納得できるとは思えない。だいたい、底辺の仕事のほうがきついわけだから、健康な体じゃないとできない。体育会系じゃないとできない。見かけはともかく、人よりも力があって、繰り返し作業に強い人……人よりも持久力がある人じゃないとできない。
本当は、綺麗事を言っている人だって、俺と同じ経験をすれば、絶対にどれだけ頑張っても、普通に通勤することができない体になると思う。あの騒音の中で、いい席に座れるほど、高い偏差値の大学に受かる人はいないと思う。だって、二、三日鳴ってるわけじゃなくて、一一歳から鳴っているんだから。日曜日も休日も、夏休みも冬休みも春休みも、中間期末試験期間中も中間期末試験前もずっとずっと、容赦なく、鳴り続けているのだから、無理だ。これ、本当に、遅刻をしないで学校に通うということが、不可能なことになってしまう。どれだけ、死に物狂いの努力しても、学校に遅刻をしないで通うということができない……そういう状態になる。絶対に、他の人だってそうなる。俺はよく「もった」ほうだと思う。ひょっとしたら、「働けるのに、ヘビメタ騒音がなんだとかへんないいわけをして、働こうとしないダメな無職」と思った人よりも「もった」ほうかもしれない。強いほうかも知れない。できるほうかもしれない。けど、そいつには、ヘビメタ騒音一五年というハンディがなく、僕には、ヘビメタ騒音一五年というハンディがある。実際に、僕の身に起こったことで、その人の身に起こったことじゃない。だから、そのひとは、わからない。わからないし、わからなくても良い人生だったのかもしれない。
なんというのかな、ともかく、ヘビメタ騒音が一五年間鳴っていなければというのは、仮定の話になってしまう。そして、もし、その人も、ヘビメタ騒音を一五年やられたらというのも、仮定の話になってしまう。仮定の話は、仮定の話なんだよ。やられてしまったわけだから。一年で終わるのではなくて、足掛け一五年、やられてしまったわけだから。
それは、他の人じゃなくて、僕の身におこったことだから。そして、それは、かなり特殊なことで、誰もが経験することじゃない。あるいは、誰もが一年間は経験することじゃない。普通は経験しない。だから、実際に、一日に七時間から一四時間鳴っている状態で、中学生活、高校生活をこなすということが、どういうことだか、身をもって知っているわけではない。それから、五〇%ぐらいの人は
、俺の話を聞いた後も……ヘビメタの話を概要だけ聞いた後も……「それが、本当の話かどうか、疑っているような人」なのだから、その人には、絶対にわからない。わからなというよりも、俺の身にそういうことが起きたということを認めないわけだから。変な話だから認めないわけだから。「お兄さんにもっとはっきり言えば良かったんじゃないの?」ぐらいの感想しかないんだから。そういう人は、本当に、どれだけつらいか、わかるはずがない。わかるとかわからないというよりも、なんというか、俺の身にそういうことが起きたということに関して、半信半疑なのだから、その設定で、考えないわけだから……なんていうのかなー……考えもしないのだから、大変さがわかるはずがない。酷さがわかるはずがない。一〇〇人中一〇〇人が、ダメだろう……俺と同じような状態になるんじゃないかなということを、信じない。ようするに、目の前にいる俺が、健康そうに見えるので、通勤できるはずだ……できないのは甘えているからだ……というような考え方に、固着してしまう。俺の話を信じてないし、たとえ俺の話が一〇〇%真実だとしても、それで……騒音ぐらいで……働けなくなるはずがない……と思っているから、「騒音ぐらいで働けなくなった」と言っている俺は、怠け者なのである。「甘えている」のである。ダメ人間なのである。
で、そういう人でも、目に見てわかる障害者には、とてつもなく理解があって、障害者が働けないのは、しかたがないことだと考えているわけなのである。働けない障害者なのだから、障害年金をもらうのは、しかたがないことであり、むしろ権利だと思っているのである。俺のことは、無職のダメ人間だと思って疑わない人が、目に見てわかる障害者には、ものすごく理解があったりするのである。
……俺のハンディがわかってないだけだろ。おまえだってヘビメタ騒音を小学六年生から二五歳まで毎日鳴らされ続ければ、働けなくなるよ。通勤ができなくなる。底辺に追い込まれて、苦手な作業や、そもそもできもしない体力が必要な作業をする羽目ハメになる。する羽目になってもできないから、無理だ。そういうところしか、働く場所がないということになる。そもそも、底辺職も、上級職?も、通勤できなゃ、無理なんだけど、その通勤ができない。毎日同じ時間に起きるということが、どうしてもできない。これも、「甘えだ」と言われそうなんだけど、本当に、至近距離でヘビメタを七時間浴びた後、眠れなくなるというようなことを経験すれば、だいたい、どういう状態なのかわかるようになるんじゃないかと思う。で、俺は、そういう状態なのに、頑張って七年間、ほとんど毎日学校に通った。「通えたなら、いいじゃない」ということになるかというと、ならない。ぜんぜんわかってない。通っから、通ってしまったから、ダメになっている。「もう通えない」状態になっている。