上書きの問題というのがある。実際には、上書きできないという問題だ。
たとえば、「自分はガンになるぞ」と思った人がいたとする。Aさんだとする。
Aさんが「自分はガンになるぞ」と言ったとする。そのあと、思い直して「自分はガンにならない」と言ったら、ガンにならないのである。
言霊理論が正しいなら、上書きは可能で、ガンにならないのである。
そのあと、Aさんが、強烈な発がん物質が入っている注射をして、ガンになったとする。その場合、実際にガンになった理由は、かつて、Aさんが「自分はガンになるぞ」と言ったことではないということになる。本当の理由は、注射なのである。(注射液以外のものが関与している可能性はある。)
まあ、これ、抵抗がある人がいるかもしれないので、Aさんが、「ガンにならない」と言ったあと、発がん物質が入っている食べ物を、毎日、ガンガン食べまくったとする。
その場合、発がん物質が入っている食べ物を、毎日、ガンガン食べたので、Aさんがガンになったのだけど、Aさんは「自分が、ガンになると言ったからガンになった」と思ってしまうのである。(食べ物以外のものが関与している可能性はある。)
言霊理論が正しいのなら、ガンになったって「ガンが一秒以内になおる」と言えば、一秒以内になおるはずなのである。言霊主義者なら、失望する必要はないのである。あせる必要もない。
「自分は、これ以降、病気にならない」と言えば、これ以降、病気になることがないのだから、なにも心配する必要はないのだ。
Aさんが、言霊理論を信じているようで、じつは信じていないということが、わかる。
言霊理論を信じているなら、いくらでも、上書きが可能なのだから、上書きをすればいいのだ。言い直せば、それですぐに、問題が解決する。言霊理論が正しいなら、問題が解決しないわけがない。言えば言ったとおりになるのだから、言っただけで問題を解決できるのである。
どうして、ガンになってしまったAさんが、不安になるのか?
「ガンがすぐになおる」と言ったって、なおらないかもしれないと思っているから、不安になるのである。Aさんが、「自分はガンになるぞ」と言ったから、自分がガンになったと思ったのは、実際に、ガンになったあとの話なのである。
言霊の力でガンになったのではなくて、体に取り入れた、発がん物質の力でガンになったのである。
しかし、実際に、ガンになったら、ガンになったという現実がその人をおそうことになる。
ようするに、Aさんがガンにならないと言って、ガンにならなかった場合の現実は、Aさんがガンになったことによって、消えてしまうのだ。これが問題なのだ。これが問題なの。
Aさんは「自分はガンにならない」と言ったから、ガンにならないはずなのである。ガンにならないと言ったのに、ガンになった……。
Aさんがこれを正確に理解しているのであれば、「言霊理論は間違っている」ということに気がつくはずなのである。
「言霊理論は間違っているので、自分がガンになると言ったからガンになったという考えたも間違っている」と気がつくはずなのである。
ところが、Aさんは、「自分がガンになるぞ」と言ったということについては気にするけど、「自分はガンにならない」と言ったということは、無視してしまうのだ。
こういう態度が、どうしてしょうじるのかという問題がある。こういう態度は、基本的には、……じつは、言霊理論とは関係がないのである。
だって、「ガンになるぞ」とも言ったけど「ガンにならない」とも言ったのだから、言霊理論とは関係がない話になるのである。
しかし、言ってしまったから、実際にガンになったのではないかという疑念が消えないとする。その場合、Aさんは、不安になる。
Aさんは自分が「ガンにならない」と言ったことを無視して、「自分はガンになるぞ」と言ったというほうを重視してしまう。言霊理論が正しいなら、「ガンにならない」と言えば、癌にならないはずだ。Aさんが言霊主義者なら、Aさんが「ガンにならない」と言った時点で、不安は解消されなければならないのである。
ところが、解消されない場合が多い。
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「言ったのではないか」ということが問題になるのは、「なったあと」なのである。ガンになったあと、「自分がガンになると言ったから、ガンになったのではないか」ということが、気になるのである。
そして、別の場合は、言ったときに、気になるのである。
不幸な出来事が、この世の中で実際にあるので、不幸な出来事に関する「抽象的な恐怖」が生じるのである。抽象的な恐怖というのは、具体的な個別の出来事から、つくられるのである。頭のなかにつくられるのである。
ようするに、おぎゃーっと生まれてから、この世で、実際に、「理不尽な出来事」を経験してしまうので、「理不尽な出来事」が「いつ、生じるかわからない」といったタイプの恐怖がうまれるのである。
恐怖と書いたけど、抽象度がもうちょっと高くなって、理由が明らかではないものに関する恐怖は、不安となってあらわれる。ようするに、実際にしょうじてしまう「理不尽な出来事」が、抽象的な不安をつくりだすのである。
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ところで、上書きができないということは、『防衛』に失敗したということなのである。たとえば、「なんとか病にならない」と言えば、なんとか病にならないわけだから、ほんとうは、防衛に成功するはずなのである。
幼児的万能感により、気分的に補完されているのだけど、気分的に補完されているだけなので、気分がかわってしまったら、ダメなのである。
小さなことであっても「理不尽な出来事」が実際に発生したことが、気分がかわるきっかけになるのであろう。小さなことでも、「防衛に失敗した」ということが、明らかになってしまうのである。
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言うことは、『お札』のようなものなのである。あるいは、『お守り』のようなものなのである。あるいは、強迫神経症者における、強迫行為なのである。
たとえば、言霊理論が正しいなら……「病気にならない」と言うことによって、「病気にならない」ようになるのである。そうなるはずなのである。
ところが、病気になってしまった場合、「言うこと」によって、病気を「おいはらう」ということができなかったということになってしまうのである。ようするに、防衛に失敗したのである。