2026年10月19日月曜日

●間違ったことを助言されるというマイナスの出来事を経験しやすい■社会※2026/10/19 10:39

ほんとうは、掃除をすることと、運があがることなんて、関係がないのである。一切合切、関係がない。

実際には、関係がない。

しかし、「関係がある」と思っている人は、掃除という儀式的な行為をしたから、「運があがる」と信じることができる。とりあえず、信念プラシーボ効果だとする。

その場合、「掃除をすれば、運があがる」と信じることができる人には、信念プラシーボ効果かもしれない。

しかし、「掃除をすれば、運があがる」と信じることができない人には、信念プラシーボ効果はない。ようするに、人によってちがう。

人によってちがうことを、一〇〇%構文の文で言うことは、悪いことだ。

これ、いいことじゃないのである。

ところが、『いいことだ』ということになっているのである。

まあ、社会通念として、それほど悪いことではないということになっていると思う。

しかし、助言というかたちになってあらわれると、それは、悪いことになる場合があるのである。助言と言えば聞こえがいいけど、「確かではないこと」を押し付けているだけだ。

しかも、一〇〇%構文の文で言っている以上、「確かではないこと」を「確かなことだ」と嘘をついて、言っているということになる。

本人が……言っている本人が、一〇〇%構文の意味をとりちがえていて、「確かなことだ」と思っているだけなのである。

ほんとうは、助言をする側に、根本的な間違いがある。

ところが、これまた、これが、社会通念として、成り立っていないのである。助言をするほうは、善意で、間違ったことを言うのである。

これは、理論的に完全に、間違ったことなのである。

ところが、言っている本人には、間違ったことだという認識がないのである。言っている本人は、「正しいこと」を言っているつもりなのである。だから、問題がしょうじる。

それから、「掃除をすれば、運があがる」と信じることができた人だって、何回も何回も何回も何回も何回も何回もやってみたけど、運があがった実感がないという場合がある。

その場合は、「掃除をすれば、運があがる」と信じることをやめてしまうのである。「掃除をすれば運があがる」と一〇〇%構文の文で言っている人は、「掃除をすること」で、問題がしょうじる場合があることを、完全に無視している。

掃除をしていて、手を怪我する場合だってあるし、掃除をしていて、むせる場合だってある。家にある(家族のもの)を捨てたという理由で、争いが発生する場合だってある。かならず、一〇〇%の確率で、運がよくなるようなことが起こるわけではないのである。

そして、「掃除をすれば運があがる」と言っている人たちは、じつは、条件が悪い人の、条件を無視している。条件が悪い人のなかには、体力と時間に余裕がない人もいる。

掃除をするということは、じつは、時間がかかることであり、体力を消費することなのである。

だから、時間消費と体力消費という点では、むしろマイナスになる行為なのである。条件が悪い人ではない場合、掃除程度の時間消費と体力消費は問題にならないので、この点を完全に無視している。

ようするに、条件が悪くない人は、最初から、時間消費と体力消費を無視してしまうのである。

そして、一〇〇%構文の文で「掃除をすれば、運があがる」と言ってしまう。相手の条件を無視するのは、よくないことなのである。条件を無視され人のうち、かなりの人は、自分の条件を無視されて、不愉快な思いをするのである。これは、自己責任論のときもおなじなのだけど、たいていの場合、条件が悪い人が、条件を無視されると、腹が立つのである。

しかも、相手は、自分が言っていることが絶対に正しいと思っているわけだから、条件を無視したということについて、とくに気にしないのである。

むしろ、自分が絶対に正しいと思っていることに関して、ケチをつけられたと感じるだろう。助言をされたほうが、なにかを言えば、助言をしたほうは、自分が絶対に正しいと思っていることに関して、ケチをつけられたと感じる確率が非常に高い。

だから、もともと、一〇〇%構文の文で言うことには、問題がある。特に、本人が、一〇〇%構文の文で言うということに、ついて、よく考えない場合は、問題が発生する。

本人の信仰は自由だけど、本人が理論的間違ったことを、正しいことだと思って言っている場合には、トラブルが生じやすい状態になるのである。

しかし、現実社会というのは、過酷だ。助言をするほうが、比較優位(相対的に優位な立場)である場合は、比較優位であるので、自分の間違いを認めないということが、発生しがちになるのである。

助言されてしまったほうは、たとえ、相手の言っていることが間違いであるということに気がついても、それを指摘することが、事実上できない場合もある。

どうしてかというと、比較劣位(相対的に劣位な立場)だからだ。

そして、条件が悪くて、不幸な暮らしをしているということは、絶対的な劣位なのである。だから、どうしても、助言をするほうの助言内容が正しいという、認識がうまれがちだ。

だから、条件が悪くて、絶対的に劣位である人は、間違ったことを助言されるというマイナスの出来事を経験しやすいのである。

マイナスと書いたけど、ネガティブでもいい。

理論的に間違った言い方で、確かではないことを、助言されてしまうということ自体が、ネガティブな出来事なのである。

●『そりゃ、誤解されるよなぁ』■騒音※2026/10/19 4:23

夢を見たんだけど、『そりゃ、誤解されるよなぁ』と思った。

ヘビメタ騒音がはじまってから、よく生きてきたと思う。こんなの、普通の人だったら、とっくに死んでいる。俺が、いま生きていることだけで、奇跡だ。奇跡。

普通の人たちが、普通に、誤解する。これ、無理なんだよ。理解を求めても無理だ。たいていの言霊主義者が俺の言ったことを理解しないように、たいていの普通の人は、ぼくの言ったことを理解しない。

おなじしくみが成り立っている。

無理なものは、無理だね。その人たちが、根底にもっている考え方というのがある。そして、その人たちがもっている「推論スタイル」というものがある。

だから、勝手に誤解する。勝手に、間違った推論をする。土台となる考え方は、うたがわれない。土台となる考え方について、批判されると、「怒り」の感情が湧き出す。相手……この場合は、批判した相手に対する嫌悪感がしょうじる。

そうなると、「認めたくない」という感情に支配される。認めたくないことは、結果としての表面上の結論(批判された内容)で、たいていの場合、奥底にある考え方……土台となる考え方……間違った前提ではない。間違った前提のほうは、隠れている。

兄貴のヘビメタ騒音にしろ、親父の奇行にしろ、ほかの人にとっては、推論の領域にあるものなのだよ。

そりゃ、誤解をする。俺が、誤解をかぶらなければならなくなる。いままでずっと説明してきたけど、兄貴のヘビメタ騒音というのは、普通の人が考えるような騒音じゃない。そして、普通の人は、経験してこなかった騒音なんだよ。

あるいは、騒音の連続なんだよ。

だから、自分の身で、騒音を経験したわけではない。だから、ほんとうの効果というのがわからない。わからないからわからない。きちがい兄貴も、わかっていないけど、きちがい兄貴は、やっている人……やった人だからね。

そりゃ、普通の人は、やっていないわけだから、普通の人が「きちがい兄貴と普通の人は似たところがある」と言われたら、腹も立つ。それは、わかる。

けど、これも、誤解なんだよね。ぼくが言っているのは、普通の人は、きちがい兄貴のように、人の迷惑を考えずに?うるさい音を鳴らすということではないんだよ。そこが似ているというわけではない。

実際に、きちがい兄貴が特殊な人間だから、ぼくがこまっている。きちがい兄貴は、普通の人が理解できないような人間だから、ぼくがこまっている。普通の人が「そんなことはやらないだろう」ということを、きちがい兄貴はやる。

普通の人が「言えば、いくらなんでもわかるだろう」ということについても、きちがい兄貴は、わからない。そのわからなさが、人間として特殊なのだ。

けど、普通の人は、攻撃側にまわるのである。どうしても、攻撃側にまわる。そりゃ、理解していないわけだから……。影響があるのに、影響があると考えないわけだから……。

ぼくが言っている「ヘビメタ騒音の影響」を普通の人は、普通に、無視するわけだから、無視した発言をする。

そうなると、それは、ぼくにとっては、攻撃になる。だって、そうだろ。影響を無視して、「そんなのは関係がない」と言って、無理なことを言い始めるわけだから、攻撃だ。無理なんだから、攻撃だ。

けど、普通の人は、自分のみで体験していないから、「無理なことだ」とは考えないんだよ。

だって、「影響がないと思っている」のだから。あとは、「ヘビメタ騒音の話は嘘だ」と考えるやつらのことだけど、こいつらは、もっとたちが悪い。こいつらも、嘘だと思っているから、「影響がない」と思っているということになる。

だって、嘘なのだから、影響なんて受けているはずがないのだ。ヘビメタ騒音が鳴っていないと、間違って思っているのだから、それが、考え方の土台になる。

ヘビメタ騒音が鳴っていないと考える場合も、ヘビメタ騒音が……ぼくが言っているような音のでかさで、鳴っていないと考える場合も、おなじだ。

あとは、土台として、人のことは(あまり)関心がないというのがある。ともかく、社会人としてちゃんと機能してくれればいいのである。

あるいは、学生なら、学生としてちゃんと機能してくれればよいのである。機能できない場合、立場によっては、不満を感じる。「ちゃんと動けよ」「ちゃんと、想定されたことをやれよ」ということになる。

その場合、こっちが、ヘビメタ騒音のことを言っても、「そんなのは関係がない」ということになる。土台として、人のことは、関係がないのだ。

他人の身の上に起こったことについて、そんなに時間をかけて考えるひまがない。

まあ、ちゃんと理解しようとする姿勢もない。

他人のことは他人のことなので、関係がないのである。

これが、土台にある。

これは、しかたがないことだ。

けど、きちがい兄貴のやったことが、特殊だから、これ自体が、ぼくに負担をかける。絶対に通らなければならない道になる。

他人と付き合うのであれば……あるいは、社会人として、ほかの社会人として付き合うのであれば、絶対に通らなければならない道になる。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。