2026年2月25日水曜日

●どうして、言霊主義者は、こんなにも、無頓着でいられるのか■言霊※2026/02/24 0:20

言霊について語るときは、万能感があるのだけど、現実的な問題に関しては、万能感は、うしなわれ、現実的な「しょぼい」方法が採用されるのである。言霊主義者の頭のなかですら、そうなのである。

言えば言ったことが言霊の力で、現実化するのだから、どこかの空き地を見つけて、「これ以降、この土地は、Bさんの所有地になる」と言えば、Bさんの所有地にすることができるのだ。

そして、「その土地のうえに、三秒以内に3LDKの家が建つ」と言えば、3LDKの家が建つだ。3LDKの家が建たなかったら、「言い方が悪い」のだ。

言霊主義者は、ほかの人の悩みを聴いて、ほかの人に、言霊的な助言をしているときは、「自分は、言霊の力を使うことができる」という前提でものを言っていることが多い。

「自分は、言霊の力を使うことができる」と本気で思っている。「自分は言い方がいいので、言うだけで、言ったことを現実化できるのだ」と本気で思っている。

ところが、欲しい本を目の前に出現させることなんてできないのだ。3LDKの家を目の前に出現させることなんてことも、できないのだ。

その場合、自分ができないのは、言い方が悪いからではないのである。


「そんなことは、そもそもできるわけがない」と思っているから、言霊的な解決方法を思いつかないだけだ。

けど、自分以外の人が、自分の助言に従って「言った」にもかかわらず、そうならなかったという話を聴いた場合は、相手の言い方が悪かったから、現実化しなかったということになってしまう。こういう矛盾を抱えているのが言霊主義者だ。

「言えば、言ったことが現実化する」と(言霊主義者は)言うけど、絶版本を手に入れる場合は、オークションサイトに頼ったりするのである。

ようするに、ほかの人とおなじような方法で、自分の欲しいものを呈似れようとするのである。袋ラーメンがほしくなったら、駅前の店で買ったり、通販で買ったりする。

「これこれこういう袋ラーメンが、三秒以内に、目の前に出現する」と言って、手に入れるわけではない。最初から、言霊的な解決方法は、無視されているのである。

もし、これこれこういう袋ラーメンが、三秒以内に、目の前に出現する」と言ったのに、これこれこういう袋ラーメンが、三秒以内に、目の前に出現しなかったら、言い方が悪いから、出現しなかったのだと(言霊主義者が考えるかというと……考えないのだ。

「そんなのは、言ったって出現するわけがない」と思っているのだ。

つまり、「言っても、言っただけでは出現することはない」と考えているのだ。

つまり、「言っても、言っただけでは現実しない」と考えているのだ。

つまり、言霊の力によって、現実化しないと考えているのだ。

言い方がよくたって、現実化しないのである。

どれだけこころをこめて「これこれこういう袋ラーメンが、三秒以内に、目の前に出現する」と言ったって、袋ラーメンが目の前に出現することはないと考えているのだ。言霊主義者本人は「言ったって、現実化するわけがない」と考えているのだ。

ところが、言霊主義者は、普段、自分が、「言ったって、現実化するわけがない」と考えて行動しているとは思っていない。自分の具体的なことに関しては「そんなの、言ったって無駄だ」と思って、現実的な手段を模索するのである。

現実的な行動をして、問題を解決しようとするのである。その場合、現実的な行動というのは、すべて、物理的な世界で、物理的な運動をすることによって、完了するのである。

一切合切、言霊の力がかかわっていない。

一切合切、言霊の力がかかわっていないということについて、どうして、言霊主義者は、こんなにも、無頓着でいられるのか?

「言ったって、現実化しない」と考えているから、無頓着なのである。

2026年2月23日月曜日

●「一括思考で決めつけられて」いやな思いをする■社会※2026/02/22 22:59

 一括思考をする人は、「ほんとうに自業自得である場合」と「ほんとうは責任がない場合」を、区別しないのだ。

たとえば、就職氷河期においては、就職氷河期以外の期間にくらべて、あきらかに、就職しにくい状態だった。正規従業員(正社員)として、就職するということが、難しい時代(時期)だったのだ。これは、その年に生まれた人の責任ではない。

つまり、就職氷河期マイナス一八年・生まれの人や、就職氷河期マイナス二二年・生まれの人……の責任ではない。

そして、日本の商習慣についても、この人たちの責任ではないわけだ。

日本の商習慣というのは、この場合、学校を卒業してからの正社員歴がないと、いろいろと不利な扱いを受けるということだとする。不利な扱いを受けるほうに責任があるのかというと、ほんとうはない。

何年何月に生まれたということも、日本の商習慣にも、氷河期世代の人には責任がないわけだ。

ところが、「すべては自己責任」という考え方を他人に適応すると、何年何月に生まれたということも、日本の商習慣からしょうじることも、その人たち(氷河期世代の人たち)の責任だということになってしまうのである。

いっぽう、自分の行為については、責任がつきまとう。

たとえば、自分がでかい音で鳴らしたいからずっと、でかい音で音楽を鳴らすという行為は、迷惑行為なのだ。「自分」が選んでやったことだ。

もちろん、責任がある。でかい音で鳴らし続けたという責任がある。これを、わざわざ、自己責任という言葉で表現する必要はない。

あるいは、気分がむしゃくしゃするから、駅前に行って、駅前にいた人を包丁で刺した人がいたとする。とりあえず、Aさんだとする。Aさんには、責任がある。どうしてかというと、自分が、やりたくてやったことだからだ。

騒音とおなじように、迷惑行為を、自分の意思に従って、やったという責任がある。

これも、自己責任という言葉で表現するのは、問題があると思うけど、自己責任だ。本人に責任があるということを表現するなら、自己責任だ。

一括思考をしてしまうと、何年何月に生まれて(就職において)不利な扱いを受けたということも、自己責任であり、駅前にいた人を包丁で刺した結果、自分が捕まって死刑判決を受けたということも、自己責任だということになってしまう。

「すべては、自己責任だ」と考えるので、そうなってしまうのである。

しかし、何年何月に生まれて(就職において)不利な扱いを受けたということと、駅前にいた人を包丁で刺した結果、自分が捕まって死刑判決を受けたということには、明らかな「差」があるのである。

その差を無視するのが、一括思考だ。

*     *     * 

「すべては自己責任だ」という一括思考について語ってきたけど、これは、「すべては受け止め方の問題だ」という一括思考にもあてはまることだ。

「すべては、受け止め方の問題だ」という言い方も、個別具体性を無視した言い方なのである。

なので、条件が悪い人と……「すべては、受け止め方の問題だ」と考える人の「相性」は悪くなる。

基本的なことを言ってしまうと、「すべては……思考」が間違っているのだ。

一括思考は、個別具体性を考えない思考なので、個別具体性をもっていることに関しては、問題がしょうじる。「個別具体性をもっていること」と書いたけど、人間というのは、各人が各人の具体的な条件をもっている世界で生きているのである。

うまれた家がちがえば、条件がちがう。

うまれた家の「だいたいの経済レベル」がおなじでも、母親や父親の性格がちがえば、ちがう条件下に生まれたということになるのである。

だから、経済的に同レベルであったとしても、条件は、(人によって)ちがう。

人の人生に関係することや、人の生活に関係することにおいては、この条件の差というのは、結果の差を引き起こす原因になる。

ところが、「すべては自己責任だ」「すべては、受け止め方の問題だ」と言い張る人は、個々人の条件を無視して「すべては自己責任だ」「すべては、受け止め方の問題だ」と言い張っているわけである。

当然、条件が不利な人は、「一括思考で決めつけられて」いやな思いをするということになると思う。まあ、これも、一〇〇%の人がいやな思いをするとは決めつけられないので、多くの人が、いやな思いをするだろうと(わたしが)思うという言い方になる。

しかし、程度はどうであれ、いやな思いをすると思うよ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。