「ぬけぬけ」だから、わからない。「ぬけぬけ」だから、自覚しないというのは、めちゃくちゃに重要なことなのである。
そして、一倍速で感じることができる『自分のこと』と、一倍速で自分が感じることができない『他人のこと』のちがいが、よくわかっていないということも、重要なことなのである。
ほんとうは、両者のちがいがわかっていないのだけど、なんとなく、わかったつもりになっているのである。
「わかっていない」ということを指摘されると、この人たちは、かなりの高確率で、「わかっている」とこたえるのだけど、相当に大雑把な理解なのだ。肝心なところがぬけている理解なのだ。
たとえば、言霊理論について、言霊主義者に話したとする。その場合、言霊主義者が「以上のような特徴をもっている」ので、いくら、理論について語っても無駄なのである。
言霊主義者は、自分の「現実的なこと」に関しては、言霊なんて気にしていないということが、わかっていない。
「夢にかかわること」に関しては、言霊が関係している。
そして、他人だって現実の問題を抱えているのに、他人が一倍速で実際に感じていることは、自分が感じていることのようには理解できないので、本人は、無視するつもりはないのだけど、無視してしまうのである。
他人にとっての現実を、無視してしまう。あるいは、軽視してしまう。しかし、本人は、ちゃんと考えているつもりなのである。「こういうことでこまっているんだろ」と思っているのである。
「そんなのは、言霊で解決できる」と思ってしまうのだけど、それは、言霊主義者本人にとって、他人の現実が「自分一倍速で経験しているような現実」ではないから、他人にとっ非常に重要な条件を無視してしまうのである。この、条件の無視ということは、重要なことだ。
他人が、なんとか病で、仕事ができないとする。その場合は、「なおると言えばなおる」と他人に言ってしまうのである。「できないと言うからできないんだ」と言ってしまうのである。
「できると言えばできる」と言ってしまうのである。自分がなんとか病にかかって、仕事ができなくなれば「なんとか病だから、仕事なんてとてもできない」と思って、仕事をやめてしまうのである。
仕事場で、ぎっくり腰になった場合、「三秒以内になおる」と言っても、「三秒以内になおらない」ということに、気がつかない。自分が一倍速で感じていることだから、言霊思考にならないのである。
けっきょく、言霊に頼らず、普通の方法でなおすことになるのである。
もちろん、余裕ができれば「なおる」と言って、なおそうとする。
しかし、それは、病院に行って、いちおうの処理をしたあとのことなのである。ほんとうに、言霊理論が正しいなら「なおる」と言えば、言ったとたんに、なおるのである。
「余裕ができれば」と書いたけど……現実的な問題なのだけど、「夢」や「希望」のステータスに移行しただけなのである。なにが移行したのかというと、「ぎっくり腰の感覚」が現実的な感覚から、「夢」や「希望」を語るステータスに移行したのである。
しかし、それは、現実的な処理をしてからのことなのである。
言霊主義者が老化して働けなくなった場合、言霊でどうにかすることができるかというと、できないのである。言霊主義者が認知症になった場合、「自分の認知症は一秒以内になおる」と言っただけで、なおるのかというと、なおらない。
自分が一倍速で感じていることに関しては言霊的な解決方法は、無力なのである。そして、自分が一倍速で感じていることに関しては、言霊的な解決方法が無力であるということを、言霊主義者が知っているのだ。
しかし、「ぬけぬけ」だから、意識的に考えているわけではないのである。
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たとえば、言霊主義主義者が、ほんとうは、豪華なホテルに泊まりたかったのだけど、おカネのことを気にして、安いホテルに泊まったとする。
この場合、言霊理論が正しいなら、いくらでも言霊を使って、解決することができることなのである。「この豪華なホテルに、ただで泊まれる」と言えば、「この豪華なホテルに、ただで泊まれる」という言葉に宿っている、言霊の力によって、「ただで泊まれる」ようになるのである。
ただで泊まれるようにならないなら、言霊理論が間違っているということなのである。
つまり、「言ったことが、言霊の力によって現実化する」という言霊理論が間違っているということになる。
ところが、現実的な問題なので……言霊主義者は……「この豪華なホテルに、ただで泊まれる」と言って、ただで泊まることを、最初から、あきらめてしまうのである。
しかも、言霊なんて頼りにならないから、現実的な方法を模索したということについても、無視してしまうのである。
「この豪華なホテルに、ただで泊まれる」と言って、ただで泊まることをあきらめたときも、意識的な思考のレベルでは「言霊は絶対だ」「言霊は正しい」ということになっているのである。
ようするに、言霊主義者の言霊に対する信頼がゆらいでいない。
言霊主義者の言霊に対する信頼がこわれていない。
どうしてかというと、「ぬけぬけ」だからだ。ぜんぜん、気にしていないのである。
「この豪華なホテルに、ただで泊まれる」と言っても、ただでは泊まれないだろうと……言霊主義者が、考えたとする。その数分後に、友人から電話がかかってきたとする。友人が「他人が、ぎっくり腰で働けない」という話をしたとする。
その場合、言霊主義者は……「なおると言えばなおる」と他人には、言ってしまう確率が高い。自分で、自分の矛盾に気がつくことがないのである。
「この豪華なホテルに、ただで泊まれる」と言う方法のほかに、『自分の口座に一〇〇〇万円が、振り込まれる」と言う方法も考えられる。今日中に欲しいのであれば「今日中に、自分の口座に一〇〇〇万円が、振り込まれる」と言ってしまえばいいのである。
言霊理論正しいなら、かならず、振り込まれる。
なので、振り込まれた一〇〇〇万円を使って、豪華なホテルに泊まればいいのである。一〇〇〇万円全部を使う必要はない。一〇〇〇万円のうち、一部のカネを使って、その豪華なホテルに泊まればいいのである。
言霊主義者が、クーポン券を使って食事をしたとする。ほんとうは、クーポン券なんて使う必要がない。前述のとおり、 今日中に、自分の口座に一〇〇〇万円が、振り込まれる」と言えば、今日中に、自分の口座に一〇〇〇万円が、振り込まれるので、クーポン券などは使わずに、食事をすればいいのだ。
だいたい、そこに行って、食べなくても、「これこれこういう料理が目のまえに出現する」と言えば、「これこれこういう料理が目のまえに出現する」ので、言霊的な方法を使って、これこれこういう料理を食べればいい。
なんで、クーポン券を使って、食事をするんだ?
おかしいじゃないか。「クーポン券なるものを使ってみたかっただけだ」と言うかもしれない。まあ、それはそれでいいけど、現実の暮らしのなかでは、言霊なんて、無視して暮らしているのではないのか?
現実の暮らしのなかでは、言霊の力に頼らずに、現実の問題に対処しているのではないのか?
おかしいじゃない。