たとえば、「エイリは、自分(Cさん)に、罪の意識を持たせようとして、わざと間違ったことを言っている」と思う人が、同時に、「すべては自己責任」だと思っている人だとする。
ようするに、「エイリのせいで、自分(Cさん)が反省しなければならないような気分になった」と言っているのだ。
Cさんというのは、ブラック社長が、名前だけ店長に、無理なことを押し付けたときに、ブラック社長がっていることが正しいと言って、ブラック社長に協力をした人だ。
こういう人が、実際に、名前だけ店長を追い込んでいる。ブラック社長だけではなくて、Cさんのような人も、名前だけ店長を追い込んでいる。
Cさんの理論というは、単純で、間違っている。『できると言えばできる』と思っているのだ。『これが正しい』と思っているのだ。だから、名前だけ店長は「できると言って、頑張ればいい」ということになる。こういう問題を指摘したのだ。
エイリがこういう問題を指摘したとする。
そうすると、Cさんは、「自分は正しいことをやっているのに、エイリというやつが、自分(Cさん)に罪の意識をもたせようとしている」とも思うのだ。
しかも、「すべては自己責任」なら、「罪の意識をもたされそうになった」ことも、自己責任だ。そもそも、「言えば言ったことが(言霊の力によって)現実化する」という考え方が間違っている。こまるんだよ。
Cさんの発言で、名前だけ店長はこまったんだよ。ブラック社長の側に立つやつがいる。ブラック社長の言っていることが正しいと決めつけるやつが、いる。いやーー。
ブラック社長が言っていることは、間違っている。
「人に親切にしましょう」「人がいやがることはやめましょう」「すべては自己責任だ」と言っている人が、こういう反応なのだ。
Cさんやブラック社長は、たぶん認めないと思うけど、「言えば言ったことが(言霊の力によって)現実化する」という考え方は相当に間違っている。その考え方は、妄想的な考え方なのである。現実的ではない考え方なのである。
そして、「言えば言ったことが(言霊の力によって)現実化する」ということを前提にして「できると言えばできる」と言うことも、相当に、よくない行為だ。
「エイリというやつは、自分(Cさん)に罪の意識を持たせようとしている。だから、そういう発言をしている」という推測は、邪推だ。ほんとうは、自分は間違っていないのに、間違っていると言われたのが、くやしいという気持ちがある。
エイリというやつが、よこしまなやつだから、ほんとうは悪いことをしていない自分に、悪いことをしたと思い込ませようとしているのだと考えてしまうのだ。
いやーー。どこまで、自分勝手なんだよ。
名前だけ店長がかわいそうだろ。
「エイリのせい」にしているじゃないか。自分の不機嫌な気持ち(不愉快)を、エイリのせいにしている。
しかも、Cさんは、「すべてに感謝」とか「感謝をすれば幸福になる」とかというようことを言っている人なのだ。
けど、いままで、人の代わりに、強烈にくるしいサービス残業をしてきた名前だけ店長には、ぜんぜん感謝しないのだ。
Cさんにとって、名前だけ店長は「できない」とネガティブな発言をする人だ。それだけなのである。
こういうやつが、「すべては自己責任」「人のせいにしない」などと言っているのだ。
こんなのない。