「ぬけ」という言葉で表現してきたのだけど、人によって、自分が提唱している理論に、自分が、普段、あわせて暮らしているかどうかという意識には、差があるのである。
「ぬけぬけ」度が高い人は、自分が提唱している理論とはちがうことをしていても、「ぬけぬけ」だから、まったく気にしない。
一方、「ぬけぬけ」度が低い人は、自分が提唱している理論とはちがうことをしているということを、意識してしまう。
だから、自分が提唱している理論とはちがうことをしているということを、意識してしまうような人は、自分の内なる基準にやられて、くるしむことになるのである。
この感度の差というのは、どうすることもできない。
「ぬけぬけ」度が高い人……鈍感力が強い人に、もっと、注意して考えたほうがいいと言っても、「ちゃんと考えている」と言ってゆずらないので、本人が、本人のぬけぬけ具合に、気がつくことがないのである。
言霊主義者が、普段、自分が当たり前だと思っていることに関しては、現実的な思考になり、言霊的な思考にならないということも、「ぬけぬけ」度が高いかどうかと関係がある。
「一〇円玉が下に落ちるのは当たり前だ」と考えている場合は、「一〇円玉が下に落ちる」と言わなくても、一〇円玉が落ちたことに関して、まったく疑問を抱かないのである。
どうしてかというと、あたりまえだからだ。
「万有引力によって落ちる」と考えている場合だってあるだろう。
「万有引力によって落ちる」と考えている言霊主義者は、「言霊の力によって落ちる」とは考えないのだ。
「電車は、電気の力で動く」と考えている言霊主義者は、言霊の力で、電車が動かなくても、まったく疑問をもたないのだ。
ぬけぬけ度が高いから、疑問を抱かない。
「冷蔵庫(庫内)が冷えるのは当たり前だ」と思っている言霊主義者は、「冷蔵庫(庫内)が冷える」と言ったから、冷蔵庫(庫内)が冷えるのだとは思っていないのだ。
冷蔵庫(庫内)は冷えてあたりまえだから、言霊の力なんて関係なしに冷えると思っているのだ。
けど、言霊の力なんて関係なしに冷えると思っているということに無頓着なのだ。
ようするに、「ぬけ」がある。