2026年11月3日火曜日

●両方とも正しいというのは、理論的にあり得ないことなんだよ■騒音※2026/11/03 19:54

たとえば、なんだけど、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」ということが、事実だとしよう。

これは、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」場合があるということではなくて、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」という一〇〇%構文の文が、文として正しいということにしておくということだ。

その場合、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と文が正しいと思っている人は、実際につらそうな人を見た場合、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と助言する確率が高くなる。善意の助言だ。「事実そうなのだから、楽しい楽しいと言えば、楽しくなるのだ」と思っている。

けど、相手が、「楽しい楽しい」と言っても、楽しくならなかったとする。

そうなると、事実を否定されたと、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と思う人は、思うことになる。そうすると、高確率で機嫌が悪くなるのだ。絶対に正しいことを否定された」と思うわけ。「せっかく、助言してやったのになんだ」と思うわけ。

ようするに、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」という「思考的な構え」があると「楽しい楽しいと言っても、たしくならなかった」と言ってくる人に、不愉快な感情をおぼえるようになるのである。あるいは、「言い方が悪いから、楽しくならない」ということを言ったりする。

これも、へんな話で、一〇〇%構文の文で言っているのだから、言えば楽しくなるのである。楽しくならないのであれば、一〇〇%構文の文が間違っていたというとになるのである。

ところが、一度、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」という一〇〇%構文の文は正しいと思っているので、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」という一〇〇%構文の文は間違っているということを、肝がんることができない状態になっているのだ。

しかし、これは、理論的に破綻している。「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」のだから、どれだけ、へたくそな言い方で言っても、楽しくなるのである。楽しくならないのであれば、自動的に、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」という一〇〇%構文の文は間違っているということになるのである。

ところが、理論的な思考ができないので、「言い方が悪いと、楽しい楽しいと言っても、楽しくならない」という文を正しいと思ってしまうのである。

これ、「言い方が悪いと、楽しい楽しいと言っても、楽しくならない」という文が正しいのであれば、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」という文は、自動的に間違っているということになるのである。

これが、わかっていないのだ。

これは、感情の問題ではなくて、理論の問題だ。これは、経験の問題ではなくて、理論の問題だ。理論の問題だけは、認めなければならないのである。

「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」という文と「言い方が悪いと、楽しい楽しいと言っても、楽しくならない」という文の両方が正しいと考えることは、理論的に不可能なのである。

これがわかっていないやつが多い。

そして、こういう人たちに、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」という文と「言い方が悪いと、楽しい楽しいと言っても、楽しくならない」という文の両方が正しいと考えることは、理論的に不可能だということを言ってしまうと、こういう人たちは、かなりの高確率でおこってしまう。「理屈じゃないんだよ」などと言いだすことがある。

しかし、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」という文が語っている内容も、理屈なのである。「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」という理屈は、理屈じゃないのか?

ただ単に理論的な帰結を認めることができないから、苦し紛れに、もっと破綻したことを言っただけなのである。

「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」という文と「言い方が悪いと、楽しい楽しいと言っても、楽しくならない」という文の両方が正しいと考えることは、理論的に不可能ということが、理屈なら、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」ということも、理屈だ。

最初から、自分自身が、理屈を述べているのである。それを、「理屈じゃねーーんだよ」と否定してしまう。

こんなやつばかりだ。

こういうやつがどれだけ多いか、ぼくは経験的に知っている。

「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」という文を「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」という命題として考えるなら、最初から、この命題は『偽』なのである。

これを理解しないやつが、「言い方が悪いから、楽しくならない」と言い出す。

「言い方が悪いから、楽しくならない」という文は、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」という文を……いわば「否定」しているのだ。両方とも正しくないか、片方は正しいけど、もう片方は正しくないということになる。両方とも正しいというのは、理論的にあり得ないことなんだよ。

ヘビメタ騒音に毎日やられると、こういうやつになめらることになる。こういうやつに、あわせることはできない。どうしてかというと、毎日ヘビメタ騒音にやられたからだ。まあ、こういうやつに、上に書いたようなことを言えば、こういうやつは、かなり高確率で、ぼくに嫌悪感をもち、ぼくをうらむことになる。

これが、現実。たいていの場合、説明したことが、まったく伝わらないのだ。

これが、現実。

ぼくの経験の範囲で言うと、すべての場合において、言ったことが、伝わらなかったね。

この伝わらなさはなんだ?

これ、兄貴に対して、俺が言ったことも、まったく兄貴に伝わらなかったんだよ。そういうことを、想起させてしまうような態度なんだよ。

こいつらの態度は、きちがい兄貴の伝わらなさを(ぼくに)想起させてしまうような態度なんだよ。こいつらの態度は、きちがい兄貴の頑固さを(ぼくに)想起させてしまうような態度なんだよ。

ぼくの経験の範囲で言うと、こういうレベルの思考しかできないやつが、みんな、ぼくのことを、見下してくるのである。そして、バカにするのである。そして、次から次へと理論的に間違ったことを言ってくるのである。

こんなの、いやだ。どういう、罰ゲームだ。きちがい兄貴にやられただけで、まわりのこういうやつらかも、やられるようになる。

こいつらは、俺がきちがい兄貴の騒音にやられているということで、根本的に見下してくる。どうしてなら、『自分なら平気だ』と思っているからだ。

そして、 「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」という命題が『真』であると思っていて、ぼくに、助言してやっているつもりだからだ。

こいつの頭のなかには、たいていの場合『せっかく助言してやったのになんだ』『せっかく、いい解決方法を教えてやったのになんだ』という考えが浮かぶんだよ。

たいていの場合、「『楽しい楽しいと言えば楽しくなる』という命題は『偽』だったのか」……なんて、思わない。

たいていの場合、「『楽しい楽しいと言えば楽しくなる』という文が正しいという考え方と『言い方が悪いから、楽しくならない』という文が正しいという考え方は両立しないのだな」と思わない。

こういうレベルのやつに、軽く見られ、バカにされるのである。

きちがい兄貴が、きちがいセンスで、よそのうちでは絶対に鳴らせないようなでかい音で、ヘビメタを自分が満足できる時間、鳴らし続けるとことにこだわると、こういうことが(ぼくとほかの人の間で)しょうじる。

*     *     *

文を書き始めたときに言いたかったことを、書いておこう。「楽しい楽しいと言って、楽しくなろうとしないからダメなんだ」という言い方について、ちょっと説明しておきたい。「たとえ、どれだけつらくても、楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」ということを信じている人は、楽しい楽しいと言って、楽しくなろうとしない人に、不満を言うのである。つまり、「楽しい楽しい」と言うような努力をしないから、ダメなんだ」ということを言いたくなるのである。この場合、悪いのは「楽しい楽しいと言わない人」だ。きちがい兄貴のヘビメタ騒音で、くるしい状態で暮らしている。けど、どれだけ、つらくても、楽しい楽しいと言えば、楽しくなるのである。俺は、一日に何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も続く、爆音ヘビメタ騒音でつらいのである。別に「楽しい楽しい」と言わないから、つらくなっているのではないのである。本当の理由を無視してしまう。そういう言い方をすることで、ほんとうの原因を無視してしまう。本当の原因は、ぼくの場合、ヘビメタ騒音なのである。相手がつらい思いをしているとする。相手には相手がつらいと感じるような原因がある。その原因について、間違った考え方をもっているのである。これは、批判につながる。「自分で楽しもうとしないからダメなんだ」「楽しい楽しいと言わないからダメなんだ」と言うことになってしまうのである。けど、ほんとうは、そういうことではなくて、「自分で楽しもうとしないからダメなんだ」「楽しい楽しいと言わないからダメなんだ」と言っている人たちが、無視している原因で、つらい思いをしているのだ。その原因は、相手にとって、無視できるような原因ではないのである。ところが、「気にしているかダメなんだ」「ことだ割るからダメなんだ」とダメ出しをしてくる確率が非常に高い。そりゃ、「自分で楽しもうとしないからダメなんだ」「楽しい楽しいと言わないからダメなんだ」などと言っている人たちにとっては、ほんとうの原因は、どうでもいいことなのである。この人たちは、ほんとうの原因は、「こだわりだ」と思っている。あるいは、この人たちは、ほんとうの原因は、「楽しい楽しいと言わないことだ」と思っている。ちがうんだよ。ちがう。こうやって、相手にとって重要なことを無視して、わけのわからない妄想的なことを言うのである。

これ、非難に長るんだよね。相手の悪いところをせめているわけ。けど、相手の悪いところと言うのは、「自分で楽しもうとしないからダメなんだ」「楽しい楽しいと言わないからダメなんだ」と言っている人たちが、勝手に作った「相手の悪いこと」なんだよね。

自己責任論でもおなじことが成り立っていて、「相手が、人のせいにするからダメなんだ」とせめる。ほんとうは、いろいろなケースがある。たしかに、ほんとうは人のせいではないのに、人のせいにしている人もいる。けど、ほんとうに人のせいである場合もある。けど、ほんとうに人のせいである場合は、すべて、ないことにして無視してしまうのである。ようするに、自己責任論者は、個別の理由について考えないで、相手が「ひとのせいにしているからだめなんだ」と相手をせめはじめる。自己責任論は、非難の道具なのである。基本的に、相手を非難するための言葉なのである。「相手がなっていない」から「相手は、ほかの人せいだと思っている」という考えを頭のなかに作ってしまう。あるいは、「相手がなっていない」から「相手は、社会のせいだと思っている」という考えを頭のなかに作ってしまう。そうしたら、その人たちにとっては、そうなのである。この決めつけは、簡単にはくつがえらない。最初から、決めてかかっているからだ。そういう思考スタイルを採用しているのである。

 

●同等のことをやられたという前提でものを言ってくる■騒音※2026/11/03 17:41

快楽系の店ってあるじゃない。まあ、みんな、快楽を求めてそこに行くと……。まあ、ギャンブルもそういうところがある。ギャンブルも含めて、快楽系の店ということにしておこう。でっ、普通の人の場合は、そこに行くことを考えただけでもわくわくして、実際に行ったら、実際に快感が得られるわけ。だから、また、行ってしまう。けど、けど、けど、ぼくは、きちがいヘビメタ騒音で、すべてのことが憂鬱になっている。快楽系の店について話したけど、旅行をする場合もおなじだ。普通の人は、旅行をすることを考えているとき、わくわくするわけでしょ。でっ、実際に行くと、いちおう満足するわけでしょ。まあ、旅先で、いやなことがある場合もあるのだけど、まあ、それは、普通の範囲でいやなことが起こったと思うだけでしょ。ところが、ちがうのよ。ぜんぜんちがう。ぜんぜん、ちがう。旅行すれば、満足する人……。快楽系の店に行けば、満足する人……。こういう人たちとは、見る景色がちがう。もう、根本の感情がちがう。ぜんぜんちがう。旅行することを考えるとわくわくする人も、快楽系の店に行くことを考えればわくわくする人も……ぼくの観察したところで言うと……「自分だって苦労した」と言うのである。ヘビメタ騒音をめぐる文脈では、ぼくの経験の範囲で言うと、みんな、「自分だって苦労した」と言う。このひとことで、きちがいヘビメタ騒音を毎日浴び続けることとおなじレベルの苦労をしたということになってしまう。いやーー。ほんとうに、おなじレベルの苦労をしたなら、そんなことは言えない。ほんとうに、おなじレベルの苦労をしたなら、快楽系の店に行くことを考えただけで、死ぬほど憂鬱になる。ほんとうに、おなじレベルの苦労をしたなら、旅行することを考えただけで、死ぬほど憂鬱になる。通勤して働いているという立場で、「俺だって苦労した」「わたしだって、つらい思いをした」と言う。こういうことを言う人たちは、みんな、実際に、家族による毎日のきちがい騒音を経験していない。こういう人たちの横には、きちがい的な家族が住んでいない。ぜんぜん、ちがう。毎日やられたことが、ぜんぜん、ちがうのだ。けど、同等のことをやられたという前提でものを言ってくる。「俺だって苦労した」「わたしだって、つらい思いをした」という言ってしまえば、同等のことをやられた経験があるということになってしまうのだ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。