まあ、俺もいろいろとやってきたわけだけど……むなしい。限りなくむなしい。むなしいよーー。むなしい。あーー。
けっきょく、これが終着駅なのか。ほんとーーう、いろいろとやってきた。ぼくなりに、あがいたんだよ。ぼくの人生は、兄の長期ヘビメタ騒音でくるしかった。もう、それだけになっちゃったなぁ。
しかし、ほんとう、いろいろとやってきた。やってきたんだよーー。もう、つかれたけど……。もーーう、つかれたわぁ。動きたくない。
どうにかしようと、やってきたことが、全部……ほんとうに全部……くるしいことだ。ものすごいハンディを抱えてやってきた。不遇な環境の中でがんばってきた。
けど、限界があるんだよな。限界が……。どれだけ、ヘビメタ騒音生活が、はりつめた生活か、ほかの人のには、わからないのだ。まーーったく、わからない。
はりつめた生活になる。どろどろの生活になる。発狂的な生活になる。不安な生活になる。
あの音で、あの至近距離で、鳴らされて、影響を受けないわけがないだろ。けど、「自分なら、だいじょうぶだ」「自分なら影響を受けない」と思っているやつが、ひどいことを言ってくるのだ。
どうして、そいつらが俺を見下して、無理なことを言ってくるのかというと、そいつらには、きちがい兄貴がおらず、俺にはきちがい兄貴がいるからなんだよ。
きちがい兄貴のきちがい行為で、ぼくが「できなくなる」のである。きちがい兄貴がきちがい行為をするから……きちがい行為をし続けるから……できなくなる。できていたことができなくなる。ぼくが……できなくなって、ほかのやつらから、いろいろと言われるようになる。
言ってくるやつらは、「自分なら、だいじょうぶだ」「自分なら影響を受けない」と思っている。
機転が、よそのうちにはいない、きちがい家族の行為なんだよ。よそのうちには、きちがい家族がいないのだから、経験のしようがない。やり方がおかしい。やっているときの認知がおかしい。やっているときの感覚がおかしい。やったあとの認識がおかしい。
全部、普通の人じゃない。全部、普通の人なら、ありえないことだ。だから、普通の人は、経験していないのだ。
そりゃ、騒音は経験したことがあるけど、きちがい家族がやり続ける……しつこい騒音を経験したことがない。一緒に住んでいる家族の常軌を逸している騒音を経験したことがないのだ。きちがいだから、やり方がきちがいなのである。みんな、わかっていない。
影響を受けるに、決まっているだろ。影響を受けるということがわからないやつが、的外れなことを言ってくるんだよね。その的外れなことというのは、基本的にぼくを侮辱したことなのだ。そして、たとえば、これに、言霊思考がつみかさなる。言霊なんことを持ち出すやつは、「自分がいいアドバイスをしてやった」と思っているだけだ。ちがうんだよ……。
けど、言霊主義者は、普通の人であって、きちがい家族の騒音を毎日経験した人じゃないのだ。常識人の判断も、言霊主義者の判断も、きちがい家族の騒音を毎日経験したことがないという点では一致している。
ぼくが経験したことだけが異常で、ぼくだけが、この騒音の異常性を理解している人間なのだ。多数決をするとまけるのである。
そういう状態を、きちがい兄貴が、きちがい的な感覚で作り出してしまう。あんな音で鳴らすやつは、うちのきちがい兄貴しかいないんだよ。
しかも、なんか、うちの環境は、あいつが鳴らし続けることをゆるしてしまった。きちがいなら、きちがい行為をやっていないつもりで、押し通すことができたのだ。普通のうちだったら、できないことなんだよ。どれだけきちがいでも、きちがい行為を、押し通すことなんてできないんだよ。
これは、むかしも言った話だけど、兄貴が、おばあちゃんのうちに下宿していたとして、あの音のでかさで、きちがいヘビメタを鳴らせるかというと、鳴らせないのだ。
もちろん、ぼくがそう思っているだけだ。実際には、きちがい兄貴は、おばあちゃんのうちには下宿しなかった。下宿していなかった。うちで鳴らしていたのである。うちなら、鳴らせるのである。
きちがい感覚で、でかい音で鳴らししているということを、頑固に無視して、鳴らし続けることができるのだ。本人の意識としては、ほんとうに、でかい音で鳴らしたつもりがないのだ。
しかも、毎日、ヘビメタ騒音でこまっているということを、きちがい兄貴に言っているのに、それも、きちがい親父のように無視してしまう。きちがい親父ときちがい兄貴は、頭の構造がおなじなんだよ。
「うち」はきちがい親父がつくった「うち」なんだよ。
きちがい親父が、ヘビメタ騒音以外のことで、ヘビメタ騒音とおなじやりかたで、きちがい行為をしていたんだよ。うちのなかでは、きちがい行為があたりまえだという、歴史があるんだよ。
ほかのうちには、そんなものはない。
よそのうちには、そんなことをする人はいない。きちがいが、きちがい行為をがんこにやりきることができる「うち」だったのだ。普通の人は、この点も理解していない。
だから、ほんとうは、やられたことがない。どういう意地で、どういう認識で、どういう感覚で、きちがい家族が、きちがい行為をやってしまうか、わかっていない。
よその人はまったくわかっていない。わかっていないところで、常識を持ち出して、「そんなのは関係がない」と言う。関係……あるんだよ。毎日、体(からだ)と心(こころ)に影響を与えるんだよ。不可避的に影響を与えるんだよ。