2025年7月12日土曜日

●「二〇倍働いてくれ」と言われたら、むりだと思うだろう■騒音※2025/07/12 11:34

これからさき、たとえ、理想の女の子と暮らすことができたとしても、ぜーーんぜん、おもしろくないのだ。もう、そういうところまで、こころが消耗してしまった。デザイン関係のことも、興味がなくなってしまった。パソコン関係のことも興味がなくなってしまった。ともかく、ダニやネズミから解放されたい。痛みや苦しみや痒さから、解放されたい。しかし、しかし、かりに、痛みや苦しみや痒さから解放されても、ぼくは、つらいままなのだ。おもしろくない。きちがい兄貴にやられすぎた。きちがい兄貴が、きちがいモードで、きちがい感覚で、きちがいの音をガンガン、最大限の音で鳴らしているとき、ぼくが消耗した。きちがい親父のネズミが、追い打ちをかけた。ほかの人はどう言うか、知らないけど、あんなきちがい騒音生活が七年以上続いたら、どんな簡単な仕事でも、どんな短時間労働でも、できなくなる。基本、「通勤」の必要があるところに関しては、たとえ、一日に二時間だろうが、むりだ。完全にむりだ。普通の人の体力感覚で言えば、二〇倍、働いてくれと言われたのとおなじ状態になる。一日に残業を四時間やっている人が、二〇倍の仕事をしてくれと言われたのとおなじ状態になる。まあ、一日・二四時間として考えると、そもそもがむりな設定なのだけど、「二〇倍働いてくれ」と言われたら、むりだと思うだろう。「元気だ元気だ」と言えば元気になると言っている人も。実際に、一日にやっとこなせる量の、二〇倍の量をおしつけられたら「そんなのはむりだ」と言うだろう。きちがいヘビメタで、「仕事体力」と言うべきもの、「生活体力」と言うべきものを、毎日、ガンガンけずられて無理な生活をしてきたぼくには、普通に働くというのは、土台むりなことになっている。普通の人が、「二〇倍の分量、働いてくれ」と言われたら「むりだ」と思うだろう。普通の人の分量働くということが、きちがいヘビメタにやられた俺には、むりなことなのだ。土台、むりなことだ。けど、それが、毎日毎日、きちがいヘビメタ騒音にやられたなかった人間には、わからないことなのだ。そりゃ、経験していないからわからない。ほかの人の身の回りには、きちがい家族のような家族がいないのである。これがでかい。これが感覚のちがいをつくりだしている。俺だって、きちがい兄貴が、きちがい的なレベルで、ヘビメタにこだわらなければ……思いっきりヘビメタを鳴らすということにこだわらなかったら、普通に、普通の量の仕事ができる体力があった。能力があった。けど、その体力と能力をうしなった。けど、体力と能力をうしなう過程というのが、ほかの人にはわからないのである。体力とと能力をうしなう過程は、ぼくにとっては、自明のことだ。そりゃ、学校に行くという普通のことが、二〇倍仕事量の行為になってしまう。むりにむりをかさねてやっていることになってしまう。それは、おなじ生活をしてみればわかることだ。普通の人だって、自分のきらいな音をあの音のでかさで、あの時間の長さ、あの期間の長さ、聞かされ続けたら、生活が、無茶苦茶になるということがわかるのだ。体力と能力をうしなうということが、わかるのだ。ところが、一倍速で意見していないのでわからない。ぜんぜん、自明のことではないのである。一般人にとって……普通の人にとって……普通の家族に囲まれて生活している人にとって……自明の理ではないのである。どうしてかというと、普通に暮らせていたからだ。きちがい家族による騒音にさらされずに、暮らしてきたからだ。普通の人だって、騒音はあるけど、きちがい家族の騒音は、普通の騒音ではないのである。

言霊主義者にとって、相手が言っていることは、記号だけの理解にとどまるのである。たとえば、普通の仕事をしてつかれている人と、二〇倍の仕事をしてつかれている人には、差がある。「つかれ」において、普通の仕事をしている人と、二〇倍の仕事をしている人のあいだには、差があるのだ。ところが、言霊主義者の理解だと、どっちも「つかれているんだな」という理解になってしまうのである。「つかれている」ということは、理解できるのだけど、つかれの差は、理解できないのである。あるいは、ガン無視してしまう。言霊理論が、まっさきに頭に浮かぶからだ。言霊理論は、「言えば、言ったことが現実化する」というものだから、「元気だ元気だと言えば元気になる」はずなのである。だから、普通の仕事をしている人と、二〇倍の仕事をしている人に、「元気だ元気だと言えば元気になる」と言ってしまう。もちろん、言霊主義者にとっては、善意のアドバイスだ。しかし、「つかれの度合い」を無視したアドバイスになってしまうのだ。普通の仕事をしている人と、二〇倍の仕事をしている人のあいだには「つかれかた」の差がある。おなじじゃない。同じレベルの疲れを感じているわけではない。しかし、言霊主義者は、程度のちがいを無視して、…「どちらもつかれているんだな」と思うだけなのである。言霊主義者の頭のなかには、程度の差がない「つかれ」しか、浮かばない。どの程度つかれているのかということは、無視されてしまう。程度は無視して、「つかれ」として理解するだけなのだ。「つかれているなら」……「元気だ元気だと言えば元気になる」とアドバイスをしてあげればいいということになってしまう。言霊主義者のなかでは、そうなってしまう。

●そんなことであるわけがないだろ■騒音※2025/07/12 2:15

 汚染された雪が降り積もるような人生だった。きちがいヘビメタ騒音なんて、ほんとうに、汚染物質だ。きちがいヘビメタ騒音の汚染物質で、体が悪くなる。体調が悪くなる。これ、浴びていたら、不可避的なんだよ。「過去は関係がない」とか「ヘビメタ騒音なんて関係がない」と言ったやつを、ぶん殴ってやりたい。最後の力を振り絞ってぶん殴ってやりたい。そのくらいに、腹がたつ言葉だ。そりゃ、そうなんだよ。ぼくの立場からするとそうなんだよ。ぼくの立場からするとそうなんだということが、まったくわかってない人は、「あたりまえのことを言っただけなのに、なんだ!」と思うだろう。もう、そういうレベルでも、対立がある。こっちとしては、おもしろくない。きちがい兄貴は、まったく知らないまま、自分がやりたいように、鳴らしている。一日に、五分だって、一分だって、一秒だって、自分が満足できない音で鳴らすつもりはないわけ。すべての時間を、自分が思った通りの音で鳴らさないと、気分が悪いわけ。発狂してしまうほど、頭にくるわけ。だから、俺がなにを言っても、きちがい兄貴が、きちがい親父の態度で、鳴らすのである。実際に鳴っていると、鳴っている時間、影響をうけるのである。それで、鳴っている時間の影響というのが、鳴ってない時間に波及するのである。不可避的に波及してしまうのである。これだって、実際に、一倍速で経験したことがない人にはわからないことだ。「鳴っているあいだだけ、ちょっとうるさいだけだ」と思っている。そんなことであるわけがないだろ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。