たとえば、Aさんがいたとする。Aさんが「おっぺけぺ」と言ったあと、かならず、よいことが起こるということを経験したとしよう。
その場合、「おっぺけぺと言うこと」と「よいことが起こる」ということは、関係性のあることになる。
時間的に、「おっぺけぺと言うこと」ことが先で、「よいことが起こる」ということが、あとだ。Aさんは「おっぺけぺ」と言ったあと、比較的短い時間のなかで、結果を得ることができた。
はたして、「おっぺけぺ」と言ったということが、その結果を引き寄せたのか、「おっぺけぺ」と言ったということと、結果はまったく関係がないのか、それは、わからない。
たぶん、「おっぺけぺ」と言ったということは、結果を引き寄せたということと、まったく関係がないと思う。
しかし、「おっぺけぺ」と言うことで、いいことが起こるということを信じた結果、Aさんが、実際の行動をすることができたなら、おっぺけぺと言うことは、Aさんにとっては、意味があったことなのだと思う。
しかし、これは、言霊の力ではない。
これは、「おっぺけぺ」の「言葉の力」だ。
自己暗示がいい影響を与える場合は、言霊の力がいい影響を与えたのではなくて、言葉の力がいい影響を与えただけだ。言霊主義者は、このことを、誤解してしまう。
言霊の力ではなくて、言葉の力なのだ。
このことは、個人の範囲において、言葉が、いい影響を与えることがあるということを意味しているだけだ。
前にも書いたけど、この言葉の力で、物理法則をくつがえすことはできない。
言霊の力は、物理法則も(言うだけで)くつがえすことができる力として想定されている。
想定されているだけで、もちろん、言霊なんてないし、言霊の力で、物理法則をくつがえすことはできない。言霊主義者は、言葉の力があるということを示す例をあげて……「だから、言霊の力はある」ということを言う。
ようするに、言霊の力と、言葉の力の区別ができていないのだ。
自分が「元気だ元気だ」と言ったら、元気になったような気がしたとする。これも、言霊主義者によれば、言霊の力によって元気になったということになっているのだけど、これは、言霊の力ではなくて、言葉の力によって元気になったような気がしたということを意味している。
このような場合、身体の機能をこえて、言葉が体に影響を与えることがないのだ。
たとえば、「三秒以内に、月が爆発する」と言ったとする。言霊理論に従えば、「三秒以内に、月が爆発する」という言葉に宿っている言霊の力によって、「三秒以内に、月が爆発する」のだ。
ところが、「元気だ元気だと言ったら、元気になったような気がした」というのは、自分の身体のなかで起こることなのである。
そして、瀕死の重傷のとき、「元気だ元気だ」と言えば、すぐに、元気になるわけではない。瀕死の重傷のときだけではなくて、睡眠不足でものすごくつかれている場合も、「元気だ元気だと言っても、元気になるわけではない。
ところが、自分が……「元気だ元気だと言ったら、元気になった」という例から、「言えば言ったことが、言霊の力によって現実化するという言霊理論は正しい」という結論を導き出した人がいたとする。
言葉の力を示す例から、言霊の力があるという判断をしたのだ。
この判断は間違っている。
「元気だ元気だと言ったら、元気になった」ということから、「言霊理論は正しい」と判断することはできない。
それだと、「三秒以内に、月が爆発する」と言えば、「三秒以内に、月が爆発する」いう言葉に宿っている言霊の力によって、「三秒以内に、月が爆発する」はずだ。
ところが、爆発しないのである。
これは、言霊主義者が、言霊と言葉の意味を区別していないという特徴から発生することだ。
本人が、言葉の意味をよく理解していないのである。
そして、推論が間違っているのである。
残念ながら、間違った飛躍がある。
言霊理論において、「言う内容」に関しては、いかなる制限もないのである。ほんとうは、元気になることや?元気になったと思うことに関しても、言霊の力ではなくて、言葉の力が影響しているだけなのだけど、ここでは、話をすすめるために、いちおう、言霊の力で元気になったとする。
たとえば、Aさんが、言霊主義者で、Aさんが「元気だ元気だと言ったら、元気になった」とする。この場合、Aさんがその言語を理解している人間だという条件や、Aさんの体が、普通の人間の体として成り立っているという条件が、ある。
だから、条件付きの話なのだ。条件付きの「例」なのだ。ところが、「言えば、言ったことが(言霊の力によって)現実化する」という場合は、一〇〇%構文になり、条件に関係なく、どんな場合でも、言ったことが……(言霊の力によって)現実化するということになる。
実際のAさんの例では、Aさんの身体や、Aさんの言語能力という制限があるのである。
これらが、見ない条件として、成り立っているのである。見えないというよりも、言霊主義者が、無視する条件として成り立っているのである。
言ったことの内容は、じつは、制限を受けるのである。
制限を受けるのだけど、制限を受けないと思い込んでいるのである。「言えば言ったことが、現実化する」という理論を信じている人は、制限を、無視してしまう。制限について考えることができない状態になっている。
ほんとうは、Aさんが人間だという条件があり、Aさんが日本語を理解する能力があるという条件があり、Aさんの体は、普通の体であり、ある程度のストレス対応力があるという条件がある。
こういう条件を無視して、すべての条件で成り立つことを言ってしまうのこと自体が、間違いなのだ。条件付きの例から、条件なしの法則性があるような文を導き出してしまうということ自体が、間違いなのだ。
これ、覚えておいたほうがいいよ。
* * *
元気だと言ったら、元気になった感じがしたとする。元気になった感じがしたので、ある行動をすることができたとする。言霊主義者は、このような例をあげて……「だから、言霊理論は正しい」と考えしまう。けど、いろいろなところで間違っている。
まず、元気だと言ったら元気になったと(本人が)感じたのは、言霊の力ではなくて、言葉の力だ。そして、「言えば言ったことが現実化する」というのは、一〇〇%構文の文なんだよ。だから、すべての言った内容が、一〇〇%の確率で現実化するということになる。
ところが、元気だと言っても、元気にならないことがあるのである。
だから、その点でもちがう。
そして、「言えば言ったことが現実化する」という表現は「言う内容」に関して、制限を受けない表現になっている。これだと、物理法則に反したことでも、現実化するということになってしまうのである。
どうしてかというと、物理法則に反したことも、言えるからだ。言った内容が、物理法則に反したことであったとしても、言ったのだから、現実化するということになる。
「言えば、言ったことが、現実化する」という文は一〇〇%構文の文なので、そうなるのである。これは、完全に理論的な問題で、感情的な問題じゃないんだよ。
そして、元気だと言ったら、元気になった感じがしたので、ある行動をとることができたということに関しても、いつも、元気だと言えば、元気な感じがして、その「ある行動」をとることができるのかというとそうではないのだ。
言霊主義者は無視しているけど、本人の体調で「元気だ」と言っても、元気にならず、その「ある行動」をとれないときがあるはずなのだ。
言霊主義者は無視しているけど、いつも、「元気だ」ということで、そのあと、すぐに「ある行動」ができるとは限らない。
けど、「元気だ」と言えば、いつも、一〇〇%の確率で、そのある行動ができると思っているのである。
関連性ということを考えると、「元気だ」と言ったことによって、ある行動をすることができたのだから、「元気だ」と言ったことは、ある行動をすることができるようになることに影響を与えたということができる。
しかし、それは、それだけなのだ。
そのとき、そうだったということだけだ。
一〇〇%構文で、法則化できるような出来事ではないのだ。
こういうことを問題にしなくても、「元気だ」ということで、元気になったような気がしたというのは、言葉に関係した作用であって、言霊に関係した作用ではない。
なんで、これがわからないのか?