これ、ちょっとだけ言っておくけど、精神世界の教えというのは、ほとんどすべて、悪魔側の教えだ。ほとんどすべてと、書いたけど、ほんとうは、すべてと書きたい。とくに精神世界の教えということではなくても、たとえば、テレビに出ている人のいい話も、悪魔側の教えなのだ。悪魔側の教えというのは、基本において「条件を無視する」という共通項がある。そして、ことさらに、条件を表に出す場合は、「こういう悪い条件でも、これこれのことをすれば、よくなる」ということを説明した場合に限られる。悪質なのは、こういうふうに、話題になること……は、それ用に、つくられた話題だということだ。テレビに取り上げられることは、悪い意図があって、テレビに取り上げられるのである。ものすごい貧乏人が、世界的な金持ちになった話などは、全部、でっちあげだ。悪い意図があって、つくられた話なのだ。「条件が悪いと、ダメだということはない」ということを言うために作った話というのは、ほとんどすべて、でっちあげのはなしだ。特に悪魔側の金持ちを取り扱った場合は、すべて、でっちあげの話だ。そうすると、「悪い条件」は関係がないという話になってしまうのである。だって、こんなに悪い条件でも、成功する人は成功するということになるからだ。条件を取り上げるとすると、かならず、悪い条件でも関係なく成功するという文脈で取り上げるのだ。ところが、現実はちがうのである。条件によってものすごい力が加わるのである。つくられた話のなかでは、悪い条件を覆すことができるのだけど、たいていの場合、実際には条件を覆すことができないのである。
ほんとうなら、条件の格差について考えなければならないし、なるべくなら、条件の格差を縮小する方向で努力しなければならないのだけど、「悪い条件でも成功した人の話」をすることによって、悪い条件でも成功する人がいるのだから、条件なんて関係がない」というような「間違った結論」を導き出して、目をそらせようとするのだ。条件の格差から、大衆の目をそらせようとする。ほんとうなら、条件の格差を縮小することに、注意を向けなければならないのだけど、注意を向けなくてもいいということになってしまう。
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精神世界の話に戻すけど、精神世界で言われていることは、すべて、条件を無視した話なのである。心がけでどうにかなるような印象を与える。しかし、現実世界では、そんなことはないのである。きちがい的な親にたたられた人間は、たいへんな思いをするのである。その場合、きちがい的な親にたたられたほうの人間に、問題があるかというと、そうではないのだ。しかし、精神世界の人は、きちがい的な親にたたられたほうの人間に問題があるということにしてしまう。きちがい的な親にたたられたほうの人間が、ネガティブになるので、ダメなんだということを言い出すのである。たたられたって、そんなのは、関係なしに、こころがけをよくすることはできるということになる。やられているほうの心がけがどれだけよくても、きちがい的な親は、全力でたたるのである。やられているほうの人間が、どれだけ、善人でも、性格がよくても、やられると、心がいたむのである。ところが、きちがい的な親にたたられなかった普通の人が、精神世界の話に凝って、「心がけが問題なんだ」ということを言い出すのである。
波動というのも、めちゃくちゃな専門用語で、精神世界における波動というのは、なんでもありのめちゃくちゃな言葉だ。これ、ニセ科学タームなのである。心がけも、波動の問題になってしまう。気持ちがかわると、波動がかわるからだ。心がけがかわると、波動がかわるからだ。ニセ科学タームと理論的な誤謬によって、精神世界の話というのは、成り立っている。「いい話を聴いた」と普通の人が思う場合は、要注意なのである。