2024年11月20日水曜日

どれだけ、鳴らしたって、入試のじゃまをしたと、まったく思わないのである

 毎日、ズルいことをやる他人といっしょに住んでいるということが、どういうことなのか、毎日、ズルいことをやる他人といっしょに住んだことがない人はわからない。しかも、ズルいことをやっている本人が、ズルいことをしているというつもりがないのだ。ズレと言ったけど、ズレが、ズルをうみだしているのだ。指導的にそうするのだ。そして、自動的に「そうしてない」ということになる。きちがいの頭のなかだとそうなる。思いっきり鳴らしたいということを固定すると、思いっきり鳴らしたいということに「はむかうこと」は、たとえ事実であったとしても、絶対に認めたくないことだから、認めないということになる。認めないのだけど、認めなかったという認知もないのだ。認めなかったというつもりがない。一切合切ない。だから、本人の主観としては、「やってないこと」になっているのである。

きちがい的にでかい音で鳴らしている……思いっきり鳴らしているということも、やってないことだし、「しずかにしてくれ」と言われたあと、しずかにせずにずっと思いっきり鳴らしたということも、やってないことになっているのである。「しずかにしてくれと言われたあと」というのは、「兄貴が、俺から、しずかにしてくれと言われたあと」ということだ。もうひとつ、無視していることがあって、それは、相手が言ってきた内容だ。相手になにか都合が悪いことを言われら、瞬間的に頭にきて、瞬間的に認めない状態になるので、相手が言ってきた内容というのは、頭にはいってない。何万回言われても、相手が言ってきた内容というのは、頭に入っていない状態なのだ。だから、「相手がしずかにしてくれと言ってきたけど、無視して鳴らした」ということが、頭のなかにまったくない状態で、鳴らし続けることができるのだ。これを、毎日、五千日繰り返しても、「相手がしずかにしてくれと言ってきたけど、無視して鳴らしてやった」ということになってないのである。頭に、そんな内容が、まったくない状態で生きている。頭に、そんな内容が、まったくない状態で、思いっきり鳴らし続ける。けっきょく、どれだけ鳴らしても、相手がこまったということを認めないのだから、自分(兄貴)は、お党の勉強の邪魔をしてないということになってしまうのである。きちがい的な意地で、七時間鳴らせるなら、七時間、一分間もゆずらずに、思いっきりでかい音で鳴らしても、じゃまをしたとは思えないのである。きちがい的な意地で、十三時間鳴らせるなら、十三時間、一分間もゆずらずに、思いっきりでかい音で鳴らしても、じゃまをしたとは思えないのである。そんなつもりがまったくない状態で生きている。そういう認識が、ほんとうに、兄貴の頭のなかにはない。まったくない。たとえば、おとうとの入学試験の前日が日曜日だったとする。日曜日は、一日中鳴らせる日だ。一日に、十三時間鳴らせる日だ。十三時間鳴らせるから、自動的に十三時間鳴らす。どれだけ、鳴らしたって、入試のじゃまをしたと、まったく思わないのである。

意識を捻じ曲げて、「でかい音で鳴らしている」ということを認識しないようにするのだ

 きちがいのなかで「思いっきり鳴らす」ということが決まっているので、なにを言われても気にしないのだ。気にしないと言っても、「思いっきり鳴らせなくなるようなこと」は、認めない。この「認めない」状態というのが、無意識がかかわっているものだから、普通の人にはわからない状態なのである。ようするに、「思いっきり鳴らす」ということが固定されているとする。固定されていたら、「思いっきり鳴らすこと」が固定されているので、どれだけ「でかい音で鳴らしている」と言われても、「でかい音で鳴らしている」ということを認めないということになる。普通の人の場合、「でかい音で鳴らしている」ということは、聴覚が正常であれば理解できることであり、いやおうなく、認識してしまうことなのである。だから、普通の人がこういう態度をとる場合は、「でかい音で鳴らしているのは認識しているけど」「思いっきり鳴らしたいので」「でかい音で鳴らしているということを無視して認めない」ということになる。ところが、きちがい兄貴の場合は、きちがいなので、普通の人とはちがう状態が成り立っている。意識を捻じ曲げて、「でかい音で鳴らしている」ということを認識しないようにするのだ。だから、本人の意識のなかでも、『実際に自分は、でかい音で鳴らしてない』ということになってしまう。そういう都合がいいところがある。これは、自分をだましているわけで、都合がいい。自分をだますことができると、「思いっきり鳴らしている」ということを認めずに、思いっきり鳴らすことができるのだ。 

ここに、きちがい兄貴がまったく気がつかない「ズレ」があるから、こまるんだよ。ちなみに、親父の「ズレ」もおなじなのである。だから、こまるんだよ。こまるんだよ。

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けど、実際に一緒に住んでいて、そのずれがわからない人にとっては、なんでもないことなんだよ。人間といっしょに住んでいれば、「俺だって……」「わたしだって……」「自分だって……」と言いたくなることがあるということは、わかる。けど、ちがう。正常な家族といっしょに住んでいる人が経験する困難と、異常な家族といっしょに住んでいる人が経験する困難は、困難の質がちがう。そして、この世では、困難の量も、おそろしく、ちがってくる。ようするに、正常な家族としいっょに住んでいる人が経験する(家族からもたらされる)困難の量と、異常な家族といっしょに住んている人が経験する(家族からもたらされる)困難の量がちがう。異常な家族といっしょに住んている人が経験する困難の量のほうが、おびただしいほど大きい。そして、正常な家族といっしょに住んでいる人は、異常な家族といっしょに住んでいる人の「困難」の質がわからない。量もわかってないんだけど、「質」がわかってない。だから、「おなじだ」と思ってしまう。おなじ質の困難を、おなじ量だけ、経験していると思ってしまう。異常な家族といっしょに住んでいる人の話を聴いたとき、無意識的に「おなじだ」と前提してしまう。だけど、もたらされていることがちがうのだ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。