2026年10月22日木曜日

●ずっとずっとずっと、『断絶の時代』だったわけだ■社会※2026/10/22 13:23

まあ、受けないよなぁ。受けないのがわかる。俺が言っていることが、受けないことは、わかる。どうしたって「これこれこれをすれば、運があがる」というような話のほうが受ける。「これはこうだ」と決めつけた話のほうが受ける。それは、しかたがない。しかたがないと思う。けど、こういう現実が、「やばい家族」にやられた人を追い込んでいるということも、また、事実なのだ。けど、「やばい家族」にやられたことがない人は、それがわからない。だから、「やばい家族」にやられた人と「やばい家族」と一緒に住んだことがない人のあいだには、断絶がある。まさに、『断絶の時代』なのである。ずっとずっとずっと、『断絶の時代』だったわけだ。


●こんなのない■騒音※2026/10/22 9:19

 「すべては、受け止め方の問題だから、受け止め方をかえればいい」と俺に言ったひどいやつら。自分がおこっているときは、受け止め方をかえずに、おこるやつら。こんなことをして、「いいことをした」と思っているひどいやつら……。きちがいヘビメタにやられると、こういうやつらにひどいことを言われるようになる。こんなのない。

レベルが低すぎる。自分がなまの感情で反応しているときは、なまの感情で反応しているという自覚がない。なまの感情で反応しているときは、「自分が正しい」「こう感じてあたりまえだ」と思っているのである。「相手に合わせて、自分の感じ方をかえよう」なんて思っていない。ところが、ひとごとになれば、「受け止め方をかえればいいんだ」とどや顔で言ってしまう。しかも、ほんとうに、悪いと思っていないのだ。相手に失礼だと思っていないのだ。自分が実践できないことだと思っていないのだ。「自分は、実践できている」と思って、相手には「受け止め方をかえればいいんだ」と言ってしまう。しかも、相手が、正しいことを言っても、「そんなのは、受け止め方の問題だ」と決めつけて、自分の受け止め方をかえようとしないのである。

こいつら、兄貴が「悪いことをしている」ということは、ガン無視なんだよ。それで、俺に「受け止め方をかえればいい」と言ってくる。こういう発言の暴力性がわかっていない。自分は、「自由に、受け止め方をかえられる」と思っているのだ。ところが、頑固に受け止め方をかえないのである。

これも、「明日、雨がふると言ったら、雨がふった。だから、言霊理論は正しい」という考え方とおなじで、そう思えるような「例」がひとつあれば、それで、納得してしまうのである。じつは、抽象的な思考が苦手なのである。ひとつ、例があれば、それで、全体にそういう法則性が成り立っていると誤解をしてしまう。こういう脳みそなのだ。

たとえば、足をぶつけて、「運がない」と思ったとする。そのあと、「頭をぶつけなくてよかった。頭をぶつけなかったから、運がある」と思ったする。こういう例について考えると、「すべては、受け止め方の問題だ」ということになってしまうのである。

きちがい兄貴がやっていることは、悪いことなんだよ。きちがい兄貴がやっていることは、普通の人がやらない、迷惑行為なんだよ。それをガン無視して、「エイリが受け止め方をかえればいい」と言ってしまう。こういうレベルの人たちなんだよな。 

*     *     *

じつは、これ、抑圧装置になってしまうのである。相手に我慢をさせることができる言い方なのである。相手の状態、相手の立場、相手が経験したこと、相手が経験したことの意味を、粉砕する考え方なのである。自分がなまの感情で、ある出来事を受け止めているときは、ある出来事に対する受け止め方をかえない……。これが、デフォルトだ。相当の確率で、自分の受け止め方をかえない。そうやっていきている。そうやって、日常生活をおくっている。そうやって、日々、暮らしている。

自分のことであれば、ごく限られた範囲以外のことは、受け止め方をかえない。何度も言うけど、これがデフォルトだ。けど、本人(たち)は、自分は、どんな場合でも、受け止め方を自由にかえることができると思っているのだ。これは、「例」について、考えているとき、そうだと思っているので、引き続き(陸続きで)そう思えるのだ。まあ、言ってみれば、ぬけぬけなのだ。

ごく限られた範囲ないことについて、ちょっと語っておこう。足をぶつけただけで、頭をぶつけなくてよかった」と受け止め方をかえられる場合について、ちょっと、語っておこう。これらの例は、受け止め方をかえることで、利益が得られると考えられることに限られているのである。Xと考えたけど、Yと考えたほうが得だと(意識的に)思えることであれば、受け止め方をかえることができる……場合がある。場合があるだけだ。いつも、かならず、そうしているわけではないのだ。

そして、この考え方が、自分に適応されているのか、他人に適応されているのかの、ちがいがある。ちがいがあるんだよ。けど、「すべては受け止め方の問題だ」と考えている人は、他人にも「すべては受け止め方の問題だ」ということを押しつけてしまう。正しい考え方だと思っているので、押し付けられる。相手の出来事について、「すべては受け止め方の問題だ」と決めつけてしまうことに躊躇がない。決めつけられる。もちろん、決めつけているときは、自分が正しいと思っているわけで、ほとんどの場合、その考え方をかえることがない。ようするに、その考え方自体の受け止め方は、かえないというスタンスを守っている。

前置きが長くなってしまったけど、抑圧装置になるということは、相手に(相手がいやだと思っていることを)押し付けるときの思考的な材料になるのだ。ある職場にAさんとBさんがいたとする。Aさんは、Bさんの上司だとする。Bさんは、あることについて、これは、半分犯罪行為なのではないかと思っているとする。Aさんが、あることをBさんにやるように言ったとする。その場合、Bさんは、あることをやることに抵抗があるわけ。どうしてかというと、Bさんは、これは、半分犯罪行為だと思っているからだ。このとき、たとえば、Aさんのなかに「受け止め方をかえればいい」という考え方が成り立っていたとする。そのとき、Aさんは、Bさんに「受け止め方をかえればいいんだ」と言うことができる。Aさんにとっては、そういうことでしかないのである。Aさんは、それは、犯罪ではなくて、まともなことだと思っているとする。Aさんのなかでは、Bさんが間違っているのである。犯罪行為ではないことを、半分犯罪行為だと思てっいるBさんが間違っているということになる。Bさんが、受け止め方をかえればいいのである。そうすると、Bさんが「それ」をやることができる。

まあ、犯罪行為ではなくても、「いやなこと」を相手に「受け止め方理論を利用して」やらせることができるのだ。「受け止め方をかえればいい」と言えば、いやだと思っている相手に、「そのこと」をやらせることができる。そういう場面だってある。

「受け止め方をかえればいい」という考え方は、相手にいやなことを押しつけるときの思考的な材料になるんだよ。 


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。