2026年9月17日木曜日

●空想世界で、集合的な一括思考をしてしまう■騒音※2026/09/17 21:14

『「キーワード」と「人間」に関する抽象化』 にも書いたけど、ほんとうに、わかっていないのである。

毎日、ボロボロにされているやつが「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるなんて、本気で言えるとは思えないね。

ともかく、きちがい兄貴がやったことが、度外れなんだよ。異常なことなんだよ。普通の家では起こりえないことなんだよ。

だから、普通の人は経験していない。

だから、実際に、そういう騒音が鳴る日常が、どういう日常なのか、まったくわかっていない。

けど、みんな言うんだよ……。

「俺だって苦労した」「わたしだって苦労した」とね。

そのときは、意識はしていないけど、同質化、同量化、同レベル化している。空想世界で「人間」を考えたときとおなじだ。「自分は、ものをあげたとき、しあわせになった」……。

「だから、人間は、ものをあげるとしあわせになる」と思ってしまう。条件がちがう人のことは考えない。

こっちが、「おカネがなくてプレゼントをかえない人だっている」と言えば「おカネなんてかけなくても、心のこもったプレゼントをすればいいのだ」ということを(その人たちは)言うだろう。

そして、ネットやオールドメディアに、おカネがない人が、心のこもったプレゼントをして、ラブラブでハッピーエンドになった話があれば……「おカネなんて関係がない」「心がこもったプレゼントならいいのだ」と確信してしまう。

……そうやって、「おカネがない条件」について考えしまう。

……けど、「おカネがない人」と表現される人のあいだにも、格差がある。

条件の差がある。ありありなんだよ。

「おカネがない」ということについても、ステレオタイプの集合的な一括思考をしてしまう。

空想世界で、集合的な一括思考をしてしまう。

そうすると、個別の条件が無視されてしまうのだ。

おカネがない……と、ひとくちに表現されている人にだって、ものすごい差があるんだよ。

だいたい、きちがい家族の騒音に悩まされているという条件は、出てこない。

きちがい家族の騒音に悩まされ続けて、七年たったとき、バイトをするにしても、きちがい家族の騒音に悩まされずに、七年たった人とは、ちがう条件でバイトをしなければならなくなるんだよ。

バイトだって、限られてくるんだよ。ヘビメタ騒音が七年間鳴っていたいうことで、学歴がなければ、できるバイトだってちがってくる。

たとえば、Aさんは、おカネはないけど、七年間、家族のきちがい騒音にたたられ続ける生活をしていなかったとする。Bさんは、おカネがなく、七年間、家族のきちがい騒音にたたられ続ける生活をしていたとする。

その場合、「おカネがない」という条件は、AさんもBさんもおなじだということになる。

けど、実質的な内容はちがうのである。「おカネがないなら、バイトをして、カネを稼げばいい」と言う人がいたとする。しかし、人によって、条件がちがう。

心のこもったプレゼントだって、あげる本人が、心のこもったプレゼントだと思っていたって、もらったほうが、心のこもったプレゼントをもらったと思うかどうかはわからない。

「プレゼントをあげれば、しあわせになる」と考えているときは、あげたあと、いい反応が返ってくることを期待している。

けど、個々の場面ではちがったことが起こる可能性がある。

あげるほうは「心のこもったプレンと」だと思っていても、もらったほうが、いやな気持ちになる場合だってある。いやな気持ちになったということが、もらったほうの態度に出て、あげるほうが、もらった人の態度を認識した場合は、あげた人は「しあわせな気分」になるわけではない。

現実の出来事というのは、さまざまな条件のなかで、特定の誰か(C)が、特定の誰か(D)にプレゼントあげるということになるのだから、当然、特定の誰か(C)と、特定の誰か(D)の関係は、重要な意味をもつ。

けど、こういう部分も、「プレゼント」という抽象化があり、「あげる」という抽象化があり、「もらう」という抽象化があると、無視されてしまうのである。

それまでの、あげるほうともらうほうの関係を無視してしまう。

現実的なことを考えるなら、現実的な個人が、現実的な個人に、プレゼントをあげるわけだから、それまでの関係というのは、重要な意味をもつ。

……どうして……「プレゼントあげると、しあわせになる」「プレゼントをもらうと、しあわせになる」と(そういうことを言いたくなる人が)考えているときは、そういう個別性を無視してしまうのか?

空想世界で、切り捨てられた、個別性が、現実世界では、猛威を振るうのである。

どうしてかというと、個々人が、現実をつくりだしているからである。

たとえば、CさんとDさんの場合は、CさんとDさんがCさんとDさんの現実をつくっているのである。

個別の関係性を無視して、「プレゼントあげると、しあわせになる」「プレゼントをもらうと、しあわせになる」と考えるときは、両方ともしあわせになるのだから、よい行為でしかないということになる。

ところが、現実の場面では、ちがうことが起こる可能性がある。

個々人の抱える、個々の条件というものを、無視して、考えるから、現実的な人間が抱える、トラブルが目に入らないのである。

はっきり言えば、プレゼントをもらったことで、不幸になることだってあるんだよ。

プレゼントをあげたことで、不幸な気持ちになることだってあるんだよ。

けど、「プレゼントあげると、しあわせになる」「プレゼントをもらうと、しあわせになる」と決めつけてしまう。あるいは、「プレゼントあげると、しあわせな気持ちになる」「プレゼントをもらうと、しあわせな気持ちになる」と決めつけてしまう。

ある人がいたとする。Eさんだとする。Eさんは、ある場面で、ある相手から、プレゼントをもらったとき、不愉快な気持ちになたっことがあるとする。

Fさんがいたとする。Fさんは「プレゼントをもらえば、しあわせになる」ということを信じていたとする。Eさんが、Fさんに「プレゼントをもらっても、しあわせになるとは限らない」ということを言ったとする。そうすると、Fさんは、自分が信じていることを否定されたので、不愉快になる可能性がある。不愉快になる確率は非常に高い。

空想世界の思考実験をするのであれば、『毎日をプレゼントデーにすれば、すべての人が、毎日、しあわせになるはず』なのである。

ところが、実際には、そうならない。そりゃ、うまくいく人もいるけど、うまくいかない人もいる。

そうすると、相手の条件を無視して、「うまくいかない人は、ネガティブなことを考えたからうまくいかないのだ」という決めつけをするのである。Fさんのような人は、そういう決めつけをする。

あるいは、相手の条件を無視して、「うまくいかない人は、ネガティブなことを考えたからうまくいかないのだ」という決めつけをするのである。Fさんのような人は、そういう決めつけをする可能性がある。

相手の条件を無視して、勝手なことを言う可能性がある。。相手の条件を無視して、勝手な決めつけをする可能性がある。

そして、「プレゼントあげると、しあわせになる」「プレゼントをもらうと、しあわせになる」というのは、正しい……と言い切る可能性がある。

「実際に、自分は、プレゼントをあげたとき、しあわせな気持ちになった」「実際に、自分は、プレゼントをあげたとき、しあわせな気持ちになった」「実際に、そうなったのだから、正しい」と言って、相手が言うことを、認めないということが、発生する可能性がある。

自分の場合、そうなったということと、人間の場合そうなるということは、ちがうんだよ。

人によって条件がちがうからだ。おなじ人間でも場面がちがえば、条件がちがうので、いつもおなじことが成り立つとは限らない。 

*     *     * 

こんなのは、他人を対象とした自己責任論とおなじだ。

条件が悪いから、ひどい目にあった人にむかって、「そんなのは、おまえの自己責任なんだよ」と言う人になってしまうわけ。

よく吟味して、相手の自己責任なのかどうかを考えるのではなくて、最初から、「相手の自己責任だ」と言うことが決まっているのである。こんなの、ない。 

●けっきょく、家族由来のことが、ぼくの人生を破壊した■騒音※2026/09/17 19:45

どうやって、希望をもてばいいのだ?

どーーすんだ、俺?

ずっと、我慢して、たえてきたけど、これは、もう、限界だ。体がきつい。

そうだなぁ。8年ぐらい前から、ひどくなった。きちがい親父がネズミを入れてから、ひどくなった。もう、それからは、きついこと、不衛生なことの、連続なのである。

もう、つかれたなぁ。ほんとう、つかれた。そして、そのまえに……ヘビメタ騒音で、人間関係が崩れている。

これも、でかい。

けっきょく、家族由来のことが、ぼくの人生を破壊した。

ぼくの今現在における意識というのは、家族によって破壊されたあとの意識だ。 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。