2026年1月16日金曜日

●「言ったから、一〇〇〇万円ためられた」■言霊※2026/01/13 23:50

言霊主義者は、「言えば言ったことが、現実化する」という文と「言えば言ったことが、言霊の力によって現実化する」という文の区別をしていない。

そして、「言ったから」と「言ったあと」の区別をしていない。

そして、さらに、「言葉の力」と「言霊の力」の区別をしていない。だから、いかようにでも、誤解をすることができるのである。

たとえば、あるとき、Aさんが「一〇〇〇万円、ためる」と言ったとする。そして、Aさんが働いて、給料をもらったとする。そしてさらに、Aさんが給料のうちの一部を貯金したとする。

そして、一〇年後に、「一〇〇〇万円、ためた」とする。Aさんが言霊主義者の場合は、「言ったから、一〇〇〇万円ためられた」と言うのである。

Aさんが言霊主義者の場合は、「実際に、一〇〇〇万円ためられたのだから、言霊(理論)は正しい」と言うのである。

しかし、Aさんは、実際に自分が働いたということと、給料をもらったということと、給料の一部を貯金したということを、無視している。なんで、無視をするのだ。無視するな。

実際に、一〇〇〇万円たまったのは、貯金したからだろ。実際に、一〇〇〇万円たまったのは、貯金をするために働いたからだろ。なんで、働いて貯金したという事実を無視するのだ。言霊なんて、関係がないのだ。

Aさんが「一〇〇〇万円、ためる」と言ったあと、実際には、働かず、貯金をしなかったのであれば、「一〇〇〇万円ためる」と言っただけで、実際には、一〇〇〇万円たまらなかったということになる。

実際に、「一〇〇〇万円、ためる」と言ったけど、「一〇〇〇万円、ためるられなかった」人もいるはずだ。

とりあえず、Bさんは「一〇〇〇万円、ためる」と言ったけど、死ぬまで一〇〇〇万円をためられなかったとする。その場合、言霊の力はなかったことになる。

実際に、Aさんの場合にも、言霊の力は、働いていないのである。

「言ったからだ」とAさんが勝手に思い込んでいるだけなのである。Aさんのなかでは「言ったから、一〇〇〇万円たまったんだ」ということになっているだけなのである。

Aさんは、言霊の力によって、たまったと思っているわけだし、これは、言霊があることの証明になると、考えているのだ。

けど、これは、誤解だ。完全に誤解。

実際には、Aさんも言霊の力でお金をためたわけではなくて、働いて貯金をするという、物理的な運動をしたのだ。身体を動かして働く場合のほうが多いからな。頭を使って働くという場合だって、すくなくても、一回以上の手続きをしたはずだ。

それは、物理的な運動なのである。

なので、実際に自分の身体を動かして、稼いだということになる。もちろん、ほかの人に指示を出して、稼ぐ場合だってあるだろう。けど、指示を出すときに、なんらかの運動をしたのである。

たいていの場合、生きていれば、呼吸をしている。呼吸だって、物理的な運動だ。

たいていの場合、物理的な運動をして、生きているのである。これは、言霊の力で、生命をたもつ運動をしているのではない。言ってみれば、人体のしくみにたよって、運動をして、生命を維持しているのである。

この場合も、言霊は、関係がない。

うまれるまえに、「うまれたら、呼吸をする」と言ったから、うまれたあと、呼吸をしたわけではない。言霊なんて関係がないのである。

言霊の力で、呼吸をしているではないのである。

言霊主義者だって、普段、体のしくみに頼って、呼吸をしているのである。

そして、体内では、これまた、物理的な力によって、さまざまなものが運動をしているのである。言霊……は……まったく関係がない。

言わなくたって、細胞レベル、分子レベル、原子レベルで、運動をしている。だから、生命が維持されている。何度も言うけど、「言霊」なんて、一切合切出てこない。どうして、言霊が出てくるのか、不思議なぐらいだ。

言霊主義者だって、生まれたてのときは、言霊のことなんて、まったく知らないのである。それでも、人体のしくみによって、生命を維持できたのである。言霊の力によって、生命を維持したわけではないのである。

言霊主義者が、言語を覚えたのだって、ほんとうは、言霊の力が影響を与えだけではない。

「言語能力が発達すると言ったから、言語能力が発達した」のか?

ちがうね。

言語能力が発達しなければ、「言霊」というような概念について考えることができなかったのだ。これは、言霊の力が、けっきょくは、人間の脳みそのしくみに依存しているということの、あらわれだ。

脳みその発達にあわせて、幼児的万能感がしょうじて、幼児的万能感の一部として、言霊というような考え方が、頭のなかに浮かんだのだ。あるいは、ほかの人が言霊的なことを言っているところを見聞きして、言霊的なことを記憶したのだ。

順番を考えるのならば、言霊の概念形成よりさきに、脳みそが発達したのだ。

もちろん、個人の話をしている。つまり、個体発生について言及しているわけだ。個体発生において、言霊の概念形成よりも、脳みその発達のほうがさきだったのである。

脳みそが、ある程度、発達したあとに、言霊の概念を理解できるようになったのだ。

そして、脳みその発達というのは、これまた、物理的な運動の結果なのである。

だから、この意味でも、物理的な法則のほうが、言霊の法則よりも、強いのである。

もちろん、言霊の法則なんてものはないのだけど、言霊主義者が考えているように、言霊の法則のほうが物理法則よりも、強いということはないということを言っておきたいがために、わざわざ、「物理的な法則のほうが、言霊の法則よりも、強い」と言っておいただけだ。

物理法則のほうが、上なのである。

ここら辺も、言霊主義者が妄想のなかで勘違いしていることなのだけど、言霊には、物理法則を変更するよう力なんてないのだ。

ところが、物理法則よりも、上位の力として、言霊の法則が成り立っているようなことを、言霊主義者は、言う。

完全に、間違っている。

2026年1月15日木曜日

●「電車が動く」と言ったから、言霊の力によって、電車が動くようになった■言霊※2026/01/13 9:07

たいていの言霊主義者は、こまっている人に「いい方法」を教えてやるつもりなのである。

しかし、ダメな方法なのだ。

ところが、「ダメな方法だ」ということを言われると、たいていの言霊主義者はおこってしまう。

こういう、やばい状態が蔓延しているのである。

たいていの言霊主義者にとって、言霊理論は、絶対的な真理なのである。そのように思っている人間だからこそ、やっかいなのである。やられたほうは、対処にこまるのである。

悪意はないのだけど、悪意があると相手に思われてもしかたがないことを、多くの言霊主義者は、やってしまう。

これ以降、単に言霊主義者と書く場合は、ぼくが知っている範囲の言霊主義者を意味しているということにしておく。

言霊主義者は、「元気だ元気だと言えば元気になる」と言い、「実際に、自分は元気になった」ということを言う。「だから、言霊は存在している」ということを言うのだ。

ところが、これは、言葉による自己暗示であって、言霊の力の証明にはならない。

言霊主義者にとって、自己暗示的な言葉の力と、超自然的な言霊の力がおなじものだということになっているのである。

言霊主義者にとっては、じつは、言霊の力のほうが、物理的な力よりずっと上の存在なのだ。言霊主義者にとっては、じつは、言霊の法則と、物理の法則では、言霊の法則ほうが優位な法則なのだ。

だから、物理的な力では起こりえないことが、言霊の力で、起こるのである。それで、あたりまえだと言霊主義者は信じているのである。

しかし、これは、言霊主義者の注意が言霊に向かったときだけの話だ。

普段は、言霊も、言霊の力も無視して暮らしているのである。

電車がどうして、動くのか?

言霊主義者だって、言霊の力によって、電車が動くと思っていない。

電気の力で、電車が動くと、言霊主義者だって思っているのである。

「電車が動く」と言ったから、言霊の力によって、電車が動くようになったとは、言霊主義者ですら、考えていないのである。電車が、言霊の力によって動いているとは、言霊主義者だって考えていないのである。

そういう意味では、言霊主義者は、「それであたりまえだ」と思っていることに関しては、言霊思考にならないのである。

特別に、注意が言霊に向いたとき、言霊主義者は言霊思考をしてしまう。注意が言霊に向いたときというのは、主に、他人の悩みを聴いたときと、自分の夢や希望について語るときだ。

他人の悩みを聴いたときは、他人の条件を無視して、「言えば、言っただけで、問題を解決できる」ということを言うのである。

そして、自分の夢や希望について語るときも、言霊に注意が向いているときなのである。

『言霊の力によって、それがかなうと思いたい』からである。『言ったのだから、かならず、かなう』と思いたいのである。

言えば……言霊の力によって……言ったことが現実化する……ことになっているので、「かなう」と言えば、言っただけで、かなうことになるのである。これは、妄想的な判断だけど、本人のなかでは、真実だということになっているのである。

*     *     * 

言霊主義者が妄想しているような「超物理的な力」としての「言霊の力」と、自己暗示の効果としてあらわれる「身体に働く物理的な力」としての「言霊の力」は、まったくちがう力なのだけど、言霊主義者のなかでは、両者は区別されず、おなじものとして認識されているのである。

これも、非常に厄介なことなのだ。

言霊主義者自身が、言霊主義者自身をだましているのだけど、言霊主義者自身が、そのことについては、まったく無頓着だという状態なのだ。

まえから、「言霊の力」と「物理的な力」とどっちが上(うえ)かということを問題にしているのだけど、言霊主義者は、第一義的には、言霊の力のほうが、物理的な力よりも上(うえ)だと考えているのである。

ようするに、言霊によって、物理法則を、いくらでも、書き換えることができると思っているのだ。

言霊によって、物理法則は、改変できるのである。

しかも、改変するには「言うだけ」でいいのだ。

言霊主義者は、物理法則も、言うだけで、簡単に改変することができると思っているのだ。

ところが、普段の言霊主義者でも……『電車は、言霊の力ではなくて、電気の力によって動いている』と考えているだ。

電車に向かって、「動け」と言ったって、「動かない」と思っているのだ。

言霊理論に従えば、言霊の力によって、動くはずなのである。

自分が言えば、言ったことが現実化するので、動くはずなのである。

動かなかったら「言えば、言ったことが現実化する」という言霊理論が間違っているということになる。

だから、言っても、動きそうもないときは、「動く」とは言わないのだ。

言霊主義者も、電車は、電気で動くものだと思っている。

しかし、言霊主義者は、自分の注意が言霊に向かっているときは、言霊の力によって、電車が動くと思っているのだ。

電気に関する物理的な法則は、言霊の力によって、いくらでも、書き換えることができるのだ。自分の注意が言霊に向かっているときは、電気のことは、無視して、言霊が現実を書き換えることができると思ってるのである。

言えば、物理的な力をこえて、言霊の力が、機能するのである。

言霊主義者にとっては、電気の力なんて、いくらでも、改変できるものなのだ。

言霊主義者は、じつは、言霊によって、すべての物理法則を改変することができると主張している。言霊主義者が自信をもって言うことの背後には、物理法則をこえる言霊の法則が横たわっているのだ。

言霊主義者にとって、言霊というのは、超自然的な力として意識されているのである。どのような摩訶不思議なことでも、言ってしまえば、言霊の神秘的な力によって実行されるのである。

言葉には、そういう、摩訶不思議な力が宿っていると、言霊主義者は真剣に考えているのである。

だから、こういうところに、矛盾があるのだけど、言霊主義者自身は、それにまったく気がつかないのだ。

これ……言霊法則が物理法則を超克するという考え方は、幼稚な考え方だ。幼児的万能感が生み出している妄想にすぎない。

しかし、自分の体や感情に限って考えると、「元気だと言えば、元気になる」というような考え方が成り立ってしまう。

この 「元気だと言えば、元気になる」という考え方が、超物理的な力としての言霊の力が存在することの根拠になっているのだ。言霊主義者のなかでは……。

もちろん、理論的に考えれば、根拠にならないのだけど、だまされて、根拠になると思い込んでしまう場合がある。

言霊教祖や言霊のセミナー講師が、そういう説明をすることがあるのである。

言霊教祖や言霊のセミナー講師も、両者の区別をしていない。

言霊教祖や言霊のセミナー講師も「超物理的な力としての言霊の力」と「アファメーションとしての言霊の力」を区別していないので、「アファメーションとしての言霊の力」があるから、「超物理的な力としての言霊の力」もあるという説明をしてしまう。

あるいは、言霊教祖や言霊のセミナー講師も「超物理的な力としての言霊の力があるということは、アファメーションの効果があることによって証明できる」と説明してしまう。

教えるほうが、間違っているのだ。

だから、教わるほうも、そのまま、間違いを継承してしまうことになる。

自分の身体に限った話としての「アファメーションの効果」を、物理法則すら改変することができるような言霊の力があることの証明として使ってしまうところが……言霊教祖や言霊のセミナー講師にはある。

証明にならないということを、ぼくが説明しても、彼らは認めない。

「そんなことはない」「言霊は絶対だ」「言霊の法則は宇宙をつらぬく絶対の真理だ」と言って、聞かない。

「元気だと言うと元気になることが心理学の実験で証明されている」「だから、言霊の力はある」と言って、聞かない。

わからない人のために言っておくけど、 「元気だと言うと元気になるということ」は、「自分の身体に限った話なのだけど、アファメーションの効果がある」ということを言っているにすぎないのだ。

ところが、これを「言霊があることの証明」として語ってしまう。「言霊があり、言霊の力によって元気になっている」と説明してしまう。

けど、これは、間違っていることなんだよ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。