まあ、端的に言って、しあわせな生活を想像できない。想像することができない。
これが、やっかいなんだよな。そりゃ、理想的な生活はある。自分にとって、理想的な生活はある。しかし、ヘビメタ騒音で破壊された。それは、わかい時期を破壊されたということだ。わかい時期というのが、ほんとうに重要なのだ。気持ちの問題というのがあるからね。
問題なのは、たとえば、楽しく感じないということだ。これも、長期騒音の結果なんだけど、そうなんだよ。実際に、そうなんだよ。実際に、楽しく感じないんだよ。意欲の問題もある。この楽しく感じる力と、意欲というのは、おなじものを別の言い方で言っているのではないかと思える。まあ、それぞれ、多少ちがう側面に光が当たっている言い方なのだろうけど、だいたいはおなじだ。もっている、実際的な意味がおなじなんだよね。
でっ、問題なのは、自分の意志では、「楽しく感じることができない」ということなのだ。これに関しては、いろいろと言いたいことがある人がいるだろう。「自分は意志で、楽しく感じることができる」と言いたくなる人もいるだろう。その人たちとぼくのちがいはなにかと言えば、きちがいヘビメタ騒音がずっと鳴っていたかどうかのちがいだと思う。
この「自分は意志で、楽しく感じることができる」と言いたくなる人は、本人は「自分だってつらい思いをした」と言うけど、ほんとうは、たいしてつらい思いをしていない人なのである。もう、はっきり断言できる。ほんとうは、たいしてつらい思いをしていないから、「自分は意志で、楽しく感じることができる」と思っているだけなのだ。たぶん、刺激の程度と期間の長さがちがうのだと思う。