まず、条件が無視されているである。そして、条件が無視されているということも、無視されている。
ところが、条件が与える影響がものすごくでかいのである。条件がちがう人は、ちがう状態で生きているのである。かりに、AさんとBさんで、能力がまったくおなじだとしても、条件がちがえば、ぜんぜんちがう結果になるのである。
ところが、条件のちがいを無視して、「言えば言ったことが現実化する」ということを言う人たちがいる。
この人たちは、洗脳されている人たちだ。
より条件の悪い人に、「無理なことを言う」というという役目がある。まあ、そのほかにも役目があるのだけど、あんまり、いい役目ではない。
ともかく、言霊について語る人たちというのは、現実的な条件を無視している。もちろん、自分のことに関しては、無視しないのである。自分が一倍速で感じることに関しては、現実的な判断をするのである。
言霊なんて、ひとつも出てこないような判断をする。
しかし、「ぬけぬけ」だから、ひとつも出てこないような判断を……自分がしたということは無視してしまう。
ともかく、条件の無視というのが非常に重要なポイントになっている。見えないスタート地点で、条件を無視している。あとの話というのは、見えないスタート時点で、条件を無視したことが、土台になっている。
あとは、特殊なことなのだけど、「人間は働くべきだ」という前提もある。
働くと書いたけど、現実的な意味を言ってしまうと、「人間は奴隷労働をするべきだ」ということになる。特権階級の人間は、奴隷労働をしなくてもいいのである。
しかし、非・特権階級の人間は、奴隷労働をするべきなのである。こういう意識がある。こういう意識が、見えないスタート時点で成り立っている。
だから、非・特権階級の人間であって、奴隷労働をしている人は……非・特権階級の人間なのに、奴隷労働をしない人間を見かけると、攻撃したくなるのである。
しかし、「生きるためには、奴隷労働をしなければならない」という前提もうたがう必要がある。「生活をするために、非・特権階級の人はだれでも、奴隷労働しなければならない」という考え方は、間違った考え方かもしれない。
まあ、非・特権階級の人間であるにもかかわらず、奴隷労働をしなくてもいい社会というのが、できあがるかもしれない。そういう社会において、働くということがどういう意味をもつかというと、たぶん、ボランティアのような意味をもつと思う。
ともかく、現実世界の現実世界的な条件を無視しているということと、「生きるためには、奴隷労働をしなければならない」ということが、無視された前提として、話の最初にあるのだ。話の土台になっている。
言霊理論、思霊理論、引き寄せ理論、努力論を考えた場合、各論のスタート地点のまえに、現実的な条件の無視と「生きるためには、奴隷労働をしなければならない」という感覚がある。
「生きるためには、奴隷労働をしなければならない」と、文にすると、違和感を覚える人がいるかもしれないけど、「生きるためには、奴隷労働をしなければならない」という前提は、すべての論に影響を与えている。
特に、サブルーチンのなかに出てくることに影響を与えている。ものすごく、いいことを言っているように思える場合でも、「生きるためには、奴隷労働をしなければならない」という前提が横たわっている場合がある。
その感覚があるんだよ。
だから、けっきょく、どの理論をとっても、「がんばればいい」ということになる。
まあ、たとえば、言霊理論の場合は「できるできると言って、がんばればいい」ということになるわけだ。言霊理論が正しいなら、別にがんばらなくてもいいのである。
言えば、それで、問題を解決できる。
だから、ほんとうは、「言えば言ったことが現実化する」ということから、「できるできると言って、がんばればいい」ということが出てくるのはおかしなことなんだよ。
けど、たいていの言霊主義者は「おかしい」と思わない。
ぬけぬけだからだ。