実際に、一日でも、自分のきらいな音で、経験してみれば、どれだけひどいことか、わかるのに、実際には、一日も、自分のきらいな音で、経験したことがないから、わからない。
一〇〇一日目には、どういうことになるか、一〇〇一日目にはわかる。けど、一〇〇一日間、ずっと経験したことがないので、どういうことになるかわからない。
そうなると「関係、ない」「影響、ない」と悪気なく、言うことになる。
これ、ほんとうに、『自分なら、影響なく、生きることができる』と思っているのだ。自分なら、どんな音が鳴っていたって、宿題ぐらいできると思っているのだ。
自分なら、どんな音が鳴っていたって、夜になれば、鳴っていないときとおなじように、ちゃんと眠れると思っているのだ。
自分なら、どんな音が鳴っていたって、遅刻をしないでちゃんと、通学できると思っているのだ。
自分なら、そういう生活がどれだけ長く続いても、鳴っていない期間とおなじように、通勤できると思っているのだ。こんなやつ、ばかりだ。
何度も言うけど、きちがい兄貴が、きちがい的な意地で「ほかの人がやらないこと」を十数年間にわたって、毎日毎日やったために、ぼくが、「ほかの人が経験しないこと」を十数年間にわたって、毎日毎日、経験してしまったのだ。
きちがい兄貴は、親父モードで、きちがい的な意地で鳴らしているだけだから、こっち(弟)に対する影響なんて、まったく、わからない。きちがいモードで無視をして、やりきる。
そして、別にほんとうに、悪いことをしたつもりがないのである。
影響を与えることをしたつもりがまったくないのである。
自分(兄貴)だって、あの音で、(自分が聞きたくない音を)鳴らされたら、一分で発狂するのに、それがまったくわからないのである。ぬけぬけなのである。