2025年6月9日月曜日

おまじないで、解決したら、苦労しないよ

たとえば、AさんとBさんがいたとする。

Aさんは、言霊主義者だ。Bさんは、過去一五年間にわたって、休日も含めて、一日に、二時間か三時間しか眠れない状態でくらしていたとする。

Bさんが「つかれた」と言ったとする。それを聞いたAさんが「つかれると言うから、つかれる」「つかれないと言えばつかれない」とBさんに言ったとする。

Bさんは、「つかれないと言っても、つかれる」と言ったとする。それに対してAさんが「自分は、つかれたときに、つかれないと言ったら、つかれがふっとんでつかれなくなった」と言ったとする。

けど、Aさんは、Bさんのように、一日に、二時間か三時間しか眠れない状態でくらしているわけではないのだ。ちゃんと、八時間から九時間、毎日、眠って暮らしていた。

けど、そういうAさんだって、一年に、一日、徹夜をしたときがあるとする。その日は、午前四時まで起きていたのだ。一年に、一日だけ、午前四時まで起きていたときがあるとする。そのとき、Aさんは眠たく感じたけど「眠たくない」と言ったら、眠気がふっとんだと言うのだ。

けど、その日だって、午前四時以降に、眠ったのだ。

そして、次の日は、ちゃんと、いつものように八時間眠れた。Aさんが、眠たいときに「眠たくない」と言ったら、眠たくなくなったというのは、事実だ。

それは、「ストレス対抗」期間内のことだから、そうなる。ストレスに対抗できる、時間がある。あるいは、ストスレに対抗できる期間がある。

ストスレに対抗できる時間内で、ストレスに対抗できる期間内であれば、人間は、ストレスに対抗できる。

けど、それは、長くは続かないのである。

ずっとずっと、長く続くと、ストレスに対抗できなくなってしまうのである。ストレスに対抗している時間というのは、いってみれば、ふんばっている時間なのである。

そりゃ、ちょっと時間は、「緊張」にたえられる。「無理をしている状態」に耐えられる。

けど、だから、ずっとずっとずっと、たえられるかというとそうじゃないのである。「無理をしている状態」がずっとずっとずっと続けば、たえられなくなる。

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言霊主義者は「言ったあと」に起こったことは、言ったから起こったことだと勘違いしてしまう。勘違いなのだけど、勘違いだとは、思わないので、その人のなかでは「真実」になる。

「明日、雨がふる」と言って、雨だった場合のように、たまたま、発生する場合もあるけど、「ストレス対抗力」も、よく、誤解をされる。

ようするに、「ストレス対抗力」でどうにかなったのに、「言ったから」どうにかなったと思ってしまうのだ。「免疫システムによる自然治癒力」も、よく、誤解さをされる。

「ストレス対抗力」も「自然治癒力」も、人間に「そなえつけられた」チカラだ。自然治癒力が、ない人間もいるはいるけど、たいていの場合は、自然治癒力をもっている。自然治癒力がない人間と書いたけど、その人は、自然治癒力がほかの人よりも弱いだけであって、たぶん、完全に自然治癒力がないわけではないと思う。

まあ、ともかく、人間が「体のしくみ」として持つ力がある。その場合、言霊主義者が、言葉を発したあとそうなったという場合は、完全に誤解をしてしまう。

「眠らない」と言ったら「しばらくのあいだ眠たくなくなった」という場合も、ストレス対抗力でそうなっただけなのだが、言霊主義者は「眠らない」と言ったから、眠たくならなかったのだと認識してしまう。

この認識はまちがいだ。どこまでも、眠らないということは、言霊主義者だってできない。ずっとずっと、「眠らない」と言って、眠らないですますことができるのかというと、できない。

ようするに、ストレス対抗期間内に、言霊主義者が「できる」と思ったことが「完了」しているので、言霊主義者が、言霊の力で、「できた」と勘違いしているだけなのだ。

けど、この間ちがいは、「言霊(理論)は正しい」というまちがった確信をうみだしてしまう。けど、何度も言うけど、一五年間、ずっと眠らないことなんて、言霊主義者だって、ほんとうはできない。できないけど、できたつもりになっているのだ。
 

「眠らない」と言って、何千日もずっと眠らないですごすことは、人間にはできないことなので、言霊理論は正しくない。言ったことが、現実化しない場合がある。

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Aさんは、Bさんの「眠れない時間の影響」について、勘違いをしているのである。

Aさんは、Bさんの「苦労」について勘違いをしているのである。

Aさんは、Bさんの「困難」について勘違いをしているのである。

Aさんの場合は、ストレス対抗期間内におさまる「ねむけ」だった。Aさんの場合は、ストスレ対抗期間内におさまる「つかれ」だった。

神様視点で、Aさんの睡眠に関する苦労は、Bさんの睡眠に関する苦労よりも小さいのである。

ところが、Aさんの視点で、自分の睡眠に関する苦労もBさんの睡眠に関する苦労もおなじなのである。Aさんは、睡眠に関してBさんと「同質・動力の苦労をした」と勘違いしているのである。

だから、言霊的な解決方法をすすめるのである。「自分はできたから、Bさんもできる」と自信満々で言うのである。

しかし、条件がちがうので、Bさんにはできないことなのである。長年にわたって、睡眠不足が続けば、「つかれた」という言葉が出やすくなる。

Bさんが「つかれた」という言葉を発すると、Aさんは「つかれたと言うからつかれるのだ。つかれないと言えばつかれない」ということを言うのだ。

Aさんは、言霊主義者なので、そのように解釈して、そのように言う。

しかし、条件がちがう。そして、Bさんがつかれているのは、長年の睡眠不足のせいであって、Bさんが「つかれた」と言うから、Bさんがつかれているわけではない。

ところが、Aさんの頭のなかでは、Aさんが、Bさんにあったときに、Bさんがつかれたというので、Bさんが「つかれた」と言うから「つかれるのだ」と解釈してしまう。

けど、Bさんがつかれているのは、BさんがAさんにあって、Aさんが聞こえるところで、「つかれた」と言ったからではない。

そのまえに、睡眠不足でつかれている。

かりに、Aさんにあったとき、Bさんが「つかれた」と言わなくても、つかれたままなのだ。Aさんにあうまえから、ずっとずっと、つかれているのだ。だから、Aさんは、Bさんの疲労の原因について、勘違いをしていると言える。

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たとえば、Aさんが「自分だって眠たいときはあった」と言ったとしよう。それは、事実だ。けど、Aさんは条件を無視している。そして、条件の格差を無視している。

たとえば、Aさんが「眠たいときに、眠たくないと言ったら、眠たくなくなった」と言ったとしよう。Aさんにとっては、それは事実だ。ストレス対抗期間内に、そのようなことをやったとき、あるていど、効果があるかもしれない。けど、Aさんは条件を無視している。そして、条件の格差を無視している。条件がちがえば、ちがう。状況がちがえば、ちがう。環境がちがえばちがう。実際に起こったことが、ちがえば、ちがう。そして、「眠たいときに、眠たくないと言ったら、眠たくなくなった」というのが事実だとしても、それは、言霊の力によって引き起こされたことではないのだ。ここでも、Aさんは、勘違いをしている。なにか神秘的な言霊の力によって自分の身体が、改変されたのではない。言霊の力ではないというのは、ずっと眠らないということができないということで、証明できる。人間の体というものを使ってAさんは生きているのだ。人間のからだのしくみが成り立っている。しくみの影響をうける。そして、Aさんは、日本語を理解している。日本語を使って生きているので、当然、日本語を理解している。日本語を理解しできない人には「NEMU TAKU NAI」という音声は、意味がないものなので、言葉としての影響をあたえない。ようするに、「眠たくない」と言って、気合を入れる場合は、言葉の力に頼っているのである。これは、神秘的で自律的な言霊の力とは関係がない。言霊の力というのは、物理的な動きや、身体のしくみを離れた自律的な力なのである。そういう力として、設定されている。いったん言ってしまうと、どこまでも、自律的な力として作用するのである。そういう力として設定されている。もちろん、実際には、そんな力は、ない。そんな力が言葉に宿っているわけではない。もし、かりに宿っているなら、言っただけで、すべてを、好きなようにできる。言っただけで、すべての問題を解決できる。それから、言っただけで、人間のからだのしくみを改変できるのである。改変できる力があるということになっている。しかし、言っただけで、人間のからだのしくみを改変することはできない。「の」の重複は指摘しなくても、いい。

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けっきょく、言霊というようなぎょうぎょうしい言葉を使うから、人が惑わされるのだ。基本的なことを言ってしまえば、「おまじない」なのである。全部、おまじないで解決できると言ったら、わらわれるだろう。言霊主義者だって、「おまじないじゃ、解決しない」と言うだろう。けど、言霊主義者が言霊にたくして言っていることは、「おまじないがきく」ということとおなじなのである。 

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問題は、「おまじないがきく」という希望をもつことじゃない。問題なのは、一〇〇%詐欺を行い、法則性詐欺を行うことだ。条件のちがいを無視することは、よくないことなのである。 

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他人事であれば「そんなのは、おまじないで解決すればいい」と言えるのである。他人事であれば……。そして、おまじないの効果を信じていれば、「このおまじないは、絶対だ」と言えるのである。「なんだ! せっかく、おまじないを教えてあげたのに、その態度はなんだ!」とおこることもできるのである。 

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言霊理論と自己責任論の組み合わせは、最悪だ。他人の条件は、自分の条件ではないので、他人の条件を、ガン無視することができるのである。他人の条件を無視して「おまじないで解決できる」と言うのは、気分がいいことなのかもしれない。そして、条件を無視しているので、他人が失敗をしたら、自己責任だと言えば済む。「絶対にきくおまじない」で、失敗しても、失敗した人の責任だからな。

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おまじないで、解決したら、苦労しないよ。 

ともかく、ぼくは、おさまりがつかない

 ほかの人が、どうなのかは、知らないけど、ともかく、ぼくは、おさまりがつかない。きちがい兄貴が鳴らしているあいだずっとつらかった。そして、きちがい兄貴が鳴らしていないあいだも、ずっとつらかった。きちがい兄貴が、毎日、きちがい的な意地で、でかい音で鳴らしていたので、きちがい兄貴が鳴らしていないあいだも、その影響で、ずっとずっとずっと、つらかった。

鳴らしていないあいだは、ヘビメタ騒音でつらいということはないのでは」と思う人がいるかもしれない。その人は、まっーーーったく、わかってない。まーーーーったく、わかってない。どれだけ、一日がつらいものになるかわかってない。どれだけ、「睡眠の影響」をうけるか、まるでわかってない。起きて活動している時間は、眠っている時間の影響をうける。どれだけ、ヘビメタ騒音が睡眠に影響をあたえるかまったくわかってない。 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。