2026年8月30日日曜日

●これが……ぼくが経験した世の中だ■社会※2026/08/30 8:27

きちがい兄貴にとって、なんでもないことで、ほかの人たちにとっても、なんでもないことだ。あれが……。あれが……。あれが……。

ほんとうに、ひどい世の中だな。 

丼だけひどい空間か、みんな、わかっていない。影響、受けるにきまっている。鳴っているあいだも、鳴らされたあとも、影響を受ける。鳴り終わったあと、勉強しようとしても、無理なんだよ。さんざんやろうとしたけど、無理だった。体が、影響を受けている。あの音の、打撲が、どういうものだか、わかっていない。「影響を受けずに過ごす」というのが無理なことなのに、ほかの人には、「無理なことだとは」思えない。実生活として、一日二四時間、影響を受けている生活になる。勉強、鬱感情、怒りの感情、やる気、その他普段の精神(心の状態)……影響を受けるにきまっている。影響を受けないで暮らすということが、無理なことなんだよ。けど、実際に体験したことがないやつらが……否定する。言霊主義者なんて「無理だというから無理なんだ」「できると言えばできる」と言う。こいつらはこいつらで、正しいことを言っているつもりだから、ゆずらない。実際に経験していないから、わかっていないだけなのに、自分ならできるという前提で、えらそうなことを言ってくる。無理なことを言ってくる。無理だということを説明すると……「そんなのは、言い訳だ」「そんなのはあまえだ」「気にしなければいい」「こだわらなければいい」「言い方が悪いから現実化しない」「こころをこめて言えば、現実化する」という返事が返ってくる。

これが、どういうことなのか……言霊主義者は理解しない。こっちには、ほんとうのきちがいヘビメタ騒音生活がある。騒音生活でこまっている。きちがい兄貴がきちがい兄貴だから、まったく気にしない。どれだけ言っても、まったくなにも伝わらない。きちがい回路で、遮断して、事実を認めない。きちがい回路で遮断して、はねのけてやりきれば、本人のなかでは、やっていないことになってしまう。こんなの、きちがい家族と一緒に暮らしていて、きちがい家族の行為によって、実際にこまらされている人にしか、わからない。けど、きちがい兄貴の認めない態度と、言霊主義者の認めない態度は、ちょっとだけ似ているのである。似ているんだよ。

普通の人の発言というのは、言霊主義者の発言から、言霊的な発言をのぞいたものだ。たいしてかわりがない。普通の人の態度と言霊主義者の態度は、まったくおなじだ。しかも、こいつらは、ヘビメタ騒音の影響は認めないけど、ヘビメタ騒音が鳴っていた(なっている)と言うことは、認めたやつらだ。ヘビメタ騒音の話自体が嘘だとは思っていない。普通の人のなかには、ヘビメタ騒音の話自体が嘘だと思うやつらが、相当にいる。こいつらの感覚と、きちがい兄貴の感覚のズレなんだよね……。嘘であるなら、俺が、兄貴の悪口を言っているということになる。実際には、そんな音でヘビメタを鳴らしていない兄貴の悪口を(ぼくが勝手につくって)言っていると、こいつらは、思うのだ。判断するのだ。こんなの、ない。こいつらになにを言っても、認めない。俺が嘘を言っていると思うだけだ。

こんなやつらばかりなんだよ。実際にやられてきついのに、こんな一般人にたたられることになる。口癖だ……健康管理だ……自己責任だ……と、こいつらのなかの、普通の人たちが、せめてくる。ただ単に、実際にやられていないから、わからないだけなのに、こいつらも、えらそうだ。こんな、幼稚なおとったやつらが、(自分はエイリより上だ)という前提で、クソを言ってくる。 

これが……ぼくが経験した世の中だ。 

●「おカネをもっている人間は、働かなくてもいい」■社会※2026/08/29 17:48

「おカネをもっている人間は、働かなくてもいい」ということについて考えてみよう。「人間は働くべきだ」という文の中には、おカネと条件が含まれていないのだ。

ところが、人々が「人間は働くべきだ」ということを考える場合、だれか対象となる人がもっているおカネの量は重要な条件になっている。

こういう重要な条件が「XはYするべきだ」という言い方から、はぶかれているということは、じつは、重要なことだ。こういう重要な条件が「人間は、Yするべきだ」という言い方から、はぶかれているということは、じつは、重要なことだ。

見えない条件になっているのである。

そして、見えない条件が(実際には)いろいろなところで、効力を発揮しているのに、あたかも、効力を発揮していないように考えられてしまうのだ。

見えない条件と書いたけど、実際には、見えない条件がもたらす、個々人の値だ。この場合は、資産額のちがいという条件がもたらす、個々人の値だ。人によって資産額がちがうのであれば、その値が、個々人の値になる。

実際には、条件ではなくて、条件の値が、効果を発揮している。

けど、条件の値のちがいを、単に条件と言う場合もある。

値と言ったけど、数値化できないこともある。数値化できない(条件がもたらす現実的なちがい)も値ということにする。まあ、たまたま、資産額だから、「値」が数値になるのだけど、そうではない場合のほうが多い。

意味合いのほうが重要なのだ。

値という言葉を使うべきではないんだな。まあ、条件と言っておこうか。

けど、ほんとうは、出来事が実質的な意味合いをもっている。条件によって、おこる(だろう)出来事がかわってくるのである。 

たとえば、父親の性格がいいか悪いかということについて考えてみよう。この場合は、父親の性格が「条件」であり、「性格がいい」場合は「性格がいい」という値をもち、「性格が悪い」という場合は「性格が悪い」という値をもつことになる。この場合「いい」と「悪い」の二値しかない。

しかし、性格がいいとか、性格が悪いというのは、実際の出来事から、推測されることなのである。一人の人について、「性格がいい」とか「性格が悪い」という判断は、あまりにも、大雑把すぎる。ここでも、分野や実際の条件がかかわってくる。

ある条件下では、こういういい反応をするけど、ある条件では、こういう悪い反応をするというようなことが、実際にある場合、それが、データになる。

けど、これは、出来事から、(そういう分野の)性格を推測しているにすぎない。

言いたいことは、「値(あたい)」と書いたけど、これは、数値だけではなくて、質を意味しているということだ。

数値である場合は、数値にした質や、数値の質について考えているということになる。資産額は数値だけど、父親の資産額が同一であった場合、(同一資産額の)父親が、カネに関して、おなじ行動をとるわけではない。

だから、数値として切り取った場合は、数値として切り取っただけなんだということになる。数値として切り取ったときに、「質」を犠牲にしている。

これは、しかたがないことだ。試験(テスト)でもおなじことが言える。試験では、はかれる能力しかはかっていない。

*     *     *

話を元にもどそう。

「人間は働くべきだ」という文の中には、おカネと条件が含まれていないけど、じつは、おカネという条件は、人間の「人間は働くべきだ」という考え方に影響を与えている。

たとえば、定年退職者が「自分は、もう、じゅうぶんに働いたから、働く必要がない」と考えているとき、じつは、「じゅうぶんに働いて、じゅうぶんなカネをためたから、もう働く必要がない」ということも考えているのではないかと思える。

ほんとうは、「じゅうぶんに働いた」ということと「じゅうぶんなおカネがある」ということは、ちがうことだ。だから、別々に語られるべきなのだ。

ところが、「じゅうぶんに働いた」ということが「だから、自分には、じゅうぶんな資産がある」ということを意味していることがある。

過去においてじゅうぶんに働いても、今現在、じゅうぶんなカネがないなら……働かなければならないと考える場合がある。

この場合は、「人間は働くべき」だから「自分は働く(べきだ)」と考えているわけではなくて、「人間は働くべきかどうか」に関係なく、自分は、カネがないから、働かなければならないと考えているわけだ。

過去において、じゅうぶんに働いても、おカネがない場合はある。さらに、借金がある場合だってある。

だから、「じゅうぶんに働いたから、もう、働かなくてもいい」と言う場合にも、じつは、背後に「働いた結果、じゅうぶんにカネがあるから、もう、働かなくてもいい」という意味がかくれている場合がある。

本人が、どっちの意味で「じゅうぶんに働いたから、もう、働かなくてもいい」と言っているのかは、わからない。本人も、区別をしていないかもしれない。

いずれにせよ、人には「人間は働くべきだ」と言っているのだから、「自分は、もう、働かなくてもいい」と言うことは、避けるべきだ。自分が人間ではないのであれば、別だが、人間である場合は、どちらかに絞って言うべきなのだ。

そして、両方ともいう場合は、自分の言っていることが相互に矛盾しているということについて、考えるべきだ。

矛盾したことを言って、ぜんぜん認めない人がいる。

「人間は働くべきだ」と言っている場合も、人間という集合に入る人間は、すべて働くべきだと言っているということに気がつくべきだ。そういうところに、あいまいな部分があり、あいまいな部分が、さまざまな問題を引き起こしている。

人間という範囲を考えるなら、「人間は働くべきだ」という文は、一〇〇%構文の文なのだ。だから、他人に言う場合は、今まで説明したような問題がしょうじる。

「自分は人間だけど、自分だけは例外だ」と考えている時点で、矛盾を抱えていることになる。 

*     *     *

ほかの人に「人間は働くべきだ」と言っているときは、倫理に関係することについて語っているのである。ところが、「自分がおカネを貯めたら、退職する」ということになっている場合は、「おカネの額」の問題になっているのである。

ようするに、資産額の問題になっているのである。

「じゅうぶんに働いたから、もう働かなくていい」というのは、おカネをためれば、倫理の問題なんて関係なく、働かなくてもいいということになってしまうのである。

人にものを言うときは、倫理の問題として語って、自分がいざ退職するだんになると、倫理の問題は関係がなくなってしまうのである。

退職者が、自分は無職なのに、他人に「人間は働くべきだ」というのは、よくないことだ。自分というのは、人間なのだ。言っていることが、矛盾している。

倫理の問題なのか資産額の問題なのか、自分のなかではっきりさせたほうがいい。

そして、「人間は働くべきだ」と思っているので、自分は、ずっと生きているあいだは働く……つもりだという人は、ほかの人に「人間は働くべきだ」と言わずに、そうすればいいのである。


けど、他人は関係がない。 

自分が退職したあとに、「人間は働くべきだ」と他人に言うのは、よくない。じつは、自分が働いているときも、他人に対して「人間は働くべきだ」と言うべきではない。どうしてかというと、他人に言っているときは……倫理の問題にすりかえているからだ。

ほんとうは、金額の問題なのである。

資産額の問題なのである。

ところが、倫理の問題にすり替えている。

人間は働くべきだと言うことによって……『他人が働かないのは、けしからん』と思っているということを、表明しているのである。

ところが、じつは、資産額の問題なのだ。

こういうところで、本人のことなのに、本人がよくわかっていないことを言うのはよくない。問題のすりかえがある。

自分が、倫理的な問題を考えて、『人間は働くべきだ』と思っているのであれば、死ぬまでずっと、本人(自分)が働けばいいだけだ。.

自分が……『人間は働くべきだ』という倫理観をもっているので、自分は!死ぬまで働き続ける……。それでいいじゃないか。自分の倫理観に従って生きるということは、たいせつなことだ。

他人のことは、関係がないはずだ。

他人は『人間は働くべきだ』と考えていないかもしれない。

他人は『資産がじゅうぶんにあれば、働かなくてもいい』と考えているかもしれない。

他人は、『じゅうぶんに働いたなら、働かなくてもいい』と考えているかもしれない。

他人が「じゅうぶんに働いたかどうか」ということを決めるのであれば、じつは、勤続年数は関係がない。働いた年数は関係がない。他人(本人)が『じゅうぶんだ』と思えば、じゅうぶんなのである。 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。