2026年10月30日金曜日

●きちがい兄貴に、長年毎日やられたことが消えない■騒音※2026/10/30 15:54

腹、しくしくの範囲が広がって、胸のほうまで、胸やけ?がするような感じになっている。まあ、病院に行くべきなんだろうけど、親父のネズミと親父のダニとヘビメタ騒音でダメだ。まるで、やる気がしない。風呂も、入らなければならないと思っていたけど、どうも、入れそうにない。ヘビメタ騒音のことは、他人には理解されない。けど問題なのは、他人が理解してくれたとしてもきちがい兄貴に、長年毎日やられたことが消えないということだ。

きちがい兄貴の騒音が鳴っていた時間だけではなくて、それ以外の時間も、めちゃくちゃにつらい時間になってしまうのである。これが、「鳴り終わったら関係がない」と言っているやつらにはわからない。ぼくの経験の範囲で言うと、こいつらだって、自分が正しいことを言っていると思っているわけで、俺がなにを言っても、意見をかえなかった。他人なんてそんなものだ。けど、社会で常識的に正しいと思われているような意見というのは、きちがいヘビメタ騒音の影響を無視するものなのである。これも、きつかった。あの騒音生活の、なにがわかるというのだ。きちがい兄貴の態度の、なにがわかるというのだ。ほんとうに、兄貴はきちがいで、まったくなにもしたつもりがないのだ。これが、どういう感情をこちら側に引き起こすか、兄貴はまったく考えていない。わかっていない。そして、兄貴ではない他人も、まったくわかっていない。わかるわけがない。言われたときだけ、興奮してはねのけるということをして、なにもやっていないつもりなのだ。どれだけなにを言われても、兄貴の騒音でこっちがこまっているということを、本人の耳が悪くなるような爆音で鳴らしている兄貴が、認めない。兄貴の認めない状態は、普通の人が認めない状態とちがうのである。普通の人であれば、でかい音で鳴らしているということがわかる。兄貴は、この根本的なところを、無視している。だから、まったく悪気がない。迷惑をかけているつもりがまったくない。だから、こまる。これ、親父もおなじなのである。そして、親父でも兄貴でもない他人が、親父や兄貴の態度について誤解するのである。「(お兄さんだって)ちゃんと言えばわかってくれる」と言っているやつが考えていることと、実際の「兄貴の脳みそ」がちがいすぎるのである。「(お兄さんだって)ちゃんと言えばわかってくれる」と言っているひと、あるいは、言った人は、兄貴の構造がわかっていないのである。誤解をしている。この誤解も、地味にこたえるんだよ。全体を通して、地味にこたえる。どうしてかというと、きちがい兄貴が、きちがい感覚で、実際に鳴らすからだ。そして、どれだけ影響を受けないようにしても、影響を受けるからだ。普通の他人は「(お兄さんだって)ちゃんと言えばわかってくれる」と言った人のように、誤解をしているのである。誤解をしている部分がちがうけど、誤解をしているのである。もちろん、ぼくの経験の範囲で言えば、誤解をしている人が、誤解を認めることはなかった。けど、普通の人の誤解と「兄貴の誤解」はちがうのである。しくみがちがう。兄貴が異常すぎて、ほかの人にはわからない反応をしているのである。ほかの人には、わかるはずがない。

●「カネで幸福を買えない場合だってある」■社会※2026/10/30 9:12

  『いろいろ、あせったりするけど……それもけっきょく、カネか……』と思う。引っ越しに関しては、やはり、カネがものを言うなぁ。住環境は、カネでどうにかできる。住環境は、健康に影響をあたえる。一日の気分に影響をあたえる。とてもじゃないけど「カネで幸福は買えないから、カネと幸福は関係がない」なんて言えない。「カネで幸福は買えない」という部分は、部分的にはあっている場合がある。けど、これが重要なのは、間違っている場合もあるということなのだ。ところが、「カネで幸福は買えない」と言い切ってしまっているので、一〇〇%構文になる。ようするに、一〇〇%の確率で、カネで幸福は買えないのだ。ところが、カネで買える幸福があるのである。それも、かなり広大範囲に、存在している。住環境だって、食べ物だって、幸福に影響をあたえるのである。幸福というのは、一時的な幸福感を意味することもあるし、幸福な生活がずっと続くことを意味することがある。これも、ほんとうは、区別するべきなのだけど、区別しないで使っている場合が多い。ようするに、この発言をする人の頭のなかで、「一時的な幸福感」と「幸福な暮らし(がずっと続くこと)」が区別されていないのだ。ようするに、この区別がない状態で、「カネで幸福は買えない」と言い切ってしまっているのである。

「一時的な幸福感」と「幸福な暮らし(がずっと続くこと)」を区別しないということが、間違った文の基礎を形作っている。そして、それが、発話者において、ずっと、認識されないという問題がある。この基礎の上に、一〇〇%構文の問題がある。「カネで幸福は買えない」と言ってしまった場合は、すべての場合において、「カネで幸福は買えない」ということになる。「カネで幸福を買えない場合だってある」と言っているのではないのだ。これに関しても、「カネで幸福は買えない」という文の意味と「カネで幸福を買えない場合だってある」という文の意味がおなじだという間違った認識があるか、あるいは、「カネで幸福は買えない」という文の意味と「カネで幸福を買えない場合だってある」という文の意味を区別しないという問題がある。自信をもって「カネで幸福は買えない」と言っている人が、その文の意味を、よく理解していないのだから、問題だ。自信をもって、「カネで幸福は買えない」と言っている人が「カネで幸福は買えない」と文の意味を理解していない。これは、問題だ。しかし、この問題は、めったに指摘されることがない。言っている人は、正しいと思っている。自分が言っていることを、自分が正しく理解しているし、自分が言っていることは、正しいと思っている。だから、ほんとうは、それ自体が問題のある行為だ。

しかし、ぼくの知る範囲では、ぼく以外の人は、このことを指摘しない。指摘してしまうとどういうことが起こるかというと、争いが起こるのである。ぼくに、このことを指摘されたほうは、たいていの場合、おこる。おこる確率が非常に高い。いちおう、その人がいい人であったとしても、おこる確率が非常に高い。立場ということを考えた場合、「カネで幸福は買えない」と言った人が、ぼくのことを、なんらかのことついて、「下に見ている」場合、おこる確率が、あがる。たとえば、ぼくが、無職であったり、ひきこもりであったりすると、これまた、かなりの高確率で、ぼくをことを下に見ることになる。そうなると、「おこりやすくなる」のである。どうしてかというと「下のやつが、否定した」と言うことになるからだ。上の人が、批判をした場合は、その意見を、いちおう考えて受け取りやすいけど、下の人が、批判をした場合は、その意見を、あんまり考えないで、否定するということに、なりやすい。これも、一〇〇%そうなると言っているわけではなくて、そうなる場合が多いということを言っているのだ。これは、「カネで幸福は買えない」と言った人のなかにある、かりそめの「上下関係」だ。ぼくのほうは、ぼくのほうで、そんな上下関係が成り立っているとは思っていないのである。ようするに、社会的に固定化された上下関係ではない。あくまでも、その人の「頭のなかにある」上下関係だ。けど、この「頭のなかにある」上下関係は、相手が言ったことをどのように受け取るかに影響をあたえる場合が非常に多い。かなりの高確率で、相手が言ったことを意味をどう考えるかと言うこと自体に、影響をあたえるのである。まあ、相手が「上」の人間であったとしても……ようするに、「頭のなかにある」上下関係において、相手のほうが格上である場合も、自分が「絶対に正しい」と思っていることを、否定されると、かなりの高確率で、「怒り」の感情が発生する。これは、しかたがないことだ。しかし、 「カネで幸福は買えない」という文の意味と「カネで幸福を買えない場合だってある」という文の意味を区別しないという点に問題があるのだから、しかたがない。これは、 「カネで幸福は買えない」と言っている人の問題だ。受け入れるしかない。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。