命題として考えた場合「努力をすれば成功する」という命題は、あきらかに、『偽』だ。
「だれも、努力をすれば、瞬間移動ができるとは言っていない」と思う人もいるかもしれない。
しかし、「努力をすれば成功する」という命題が『真』であるなら、自動的に「努力をすれば、瞬間移動をすることに成功する」という命題も『真』であるということになってしまうのである。
「常識で考えればわかる」と思う人もいるかもしれない。
この人たちが言いたいのは……「努力をすれば成功するということは、そういうことではなく、人間が努力をすればできることについて、努力をすれば成功すると言っているだけなんだ」ということになると思う。
「常識で考えればわかる」と言う人たちの多くが「人間ができることに限定した話に決まっているだろ」と思っているのだ。
しかし、「努力をすれば成功する」という命題は、「人間ができることなら、努力をすれば成功する」という命題とはちがうのだ。
でかいでかい「ちがい」がある。
このちがいを無視して、気分次第で「努力をすれば成功する」と言うことは、あってはならないことなのである。
どうしてかというと、『間違いのバッファー』ができあがってしまうからだ。
間違いなんだよ。
そして、「人間ができることなら、努力をすれば成功する」という命題も『偽』だ。
どうしてかというと、「あなた」という特定の人ができることと、「別の人」ができることはちがうからだ。
まえ、走り幅跳びで八メートル以上跳ぶことについて、話したけど、走り幅跳びで八メートル以上跳ぶことができる人間はこの世に存在するけど、だれもが、走り幅跳びで八メートル以上跳べるわけではないのだ。
多くの人間は、どれだけ、努力をしても、走り幅跳びで八メートル以上跳ぶことなんて、できないのだ。
「人間ができることなら、努力をすれば成功する」という文を口にする人は、「人間ができることなら、あなたも、努力をすれば成功する」という意味で、その文を口にしているとする。
その場合、「あなた」は、「人間だ」だから、「人間ができることは、あなたにもできる」と思っているのだ。
「人間ができること」の集合は、その都度、選ばれているのである。
その都度、どんなことが選ばれても、「人間ができることなら、あなたは、努力をすれば(人間ができることに)成功する」という命題が『真』であると、気軽に、考えているのである。
しかし、これは、間違いだ。
ある人間にできることが、別のある人間にできるということは、保証されていない。
ある人間にできることでも、別のある人間には、できないことかもしれないのである。
つまり、「ある人間にできることなら、別のある人間にもできるはずだ」という思い込みが間違っているのである。
「努力をすれば成功する」という言葉が、どういう場面で、他人に対して発せられるかということを考えてみよう。
この言葉が発せられる場面というのは、「できない相手」に対して「できる」と言い切る場面で発せられることが多い。
ポジティブな意味をもつ場合もあるけど、たいていは、ネガティブな意味をもっている。
言われたほうは、「いやなこと」を押しつけられるのである。「できる」と「やらなければならない」はちがう。
しかし、社会の多くの場面では、「できる」ということを認めてしまうと、「やらなければならない(ことだ)」ということを認めてしまうことになる。
たとえば、ブラック社長が名前だけ店長に「努力をすれば成功する」と言う場合について考えてみよう。
この場合、「努力をすれば成功する」という言葉を、名前だけ店長が受け入れてしまうと、名前だけ店長は、自分が「もう無理だ」と思っている、過酷なサービス残業をすることになるのである。
まさしく、過酷なサービス残業を「受け入れて」しまうことになるのである。
『成功する』という言葉を『なになにをすることに成功する』という言葉に置き換えると、『成功する』という言葉は、この場合、『なになにすることができる』と言葉とおなじように機能するのである。
『特定のなになにをすることに成功する』という言葉が意味する集合は、『成功する』という言葉がが意味する集合のなかに、含まれている。内包されている。『成功する』という集合のなかに、『特定のなになにをすることに成功する』という部分集合があるのである。
ポジティブな場合は、本人の夢や希望に関して、本人が、自発的に『努力をすれば成功する』と思うときだけなのである。これも、社会のなかでは、上のものが、下ものになんらかのことをさせるときは、プラスに働く。
だから、労働をさせたい階層にとっては、「努力をすれば成功する」という言葉はプラスに働く言葉なのである。ようするに、過剰な奴隷労働をおしつけるときの「あまい言葉」になる。
ほんとうは、社会が「そういう圧力が高い状態」を目指さないほうが、社会のなかにいる「人間」の幸福度を高めることができる。社会のなかで「努力をすれば成功する」と頑張り続けると、かなりの高確率で、しっぺ返しを食らうことになる。
そして、社会のほうが、ダメダメな社会なので、かなりの勢いで努力をし続けないと、みじめな思いをすることになるのである。
みじめな思いをする人は、社会の一員だ。
ようするに、社会が「悪い社会」なので、「努力をすること」に対する圧力が、めちゃくちゃに高くなっているのである。
そして、すべてをかなぐり捨てて「努力をしても」……結果的にはあんまりしあわせになることができないのである。
すべてをかなぐり捨てなくても、かなりのことを捨てて、努力をしないとしあわせになることができず、みじめな思いをすることが決まっている社会というのは、よい社会とは言えない。
ようするに、「努力をすれば成功する」というような言葉がははやっている社会というのは、よい社会ではない。
そんなに努力をしなくても、あるいは、まったく努力をしなくても、しあわせに生活できる社会のほうが、よい社会だと言える。