2025年12月6日土曜日

●関係……あるんだよ■騒音※2025/12/06 20:30

まあ、俺もいろいろとやってきたわけだけど……むなしい。限りなくむなしい。むなしいよーー。むなしい。あーー。

けっきょく、これが終着駅なのか。ほんとーーう、いろいろとやってきた。ぼくなりに、あがいたんだよ。ぼくの人生は、兄の長期ヘビメタ騒音でくるしかった。もう、それだけになっちゃったなぁ。

しかし、ほんとう、いろいろとやってきた。やってきたんだよーー。もう、つかれたけど……。もーーう、つかれたわぁ。動きたくない。 

どうにかしようと、やってきたことが、全部……ほんとうに全部……くるしいことだ。ものすごいハンディを抱えてやってきた。不遇な環境の中でがんばってきた。

けど、限界があるんだよな。限界が……。どれだけ、ヘビメタ騒音生活が、はりつめた生活か、ほかの人のには、わからないのだ。まーーったく、わからない。

はりつめた生活になる。どろどろの生活になる。発狂的な生活になる。不安な生活になる。

あの音で、あの至近距離で、鳴らされて、影響を受けないわけがないだろ。けど、「自分なら、だいじょうぶだ」「自分なら影響を受けない」と思っているやつが、ひどいことを言ってくるのだ。

どうして、そいつらが俺を見下して、無理なことを言ってくるのかというと、そいつらには、きちがい兄貴がおらず、俺にはきちがい兄貴がいるからなんだよ。

きちがい兄貴のきちがい行為で、ぼくが「できなくなる」のである。きちがい兄貴がきちがい行為をするから……きちがい行為をし続けるから……できなくなる。できていたことができなくなる。ぼくが……できなくなって、ほかのやつらから、いろいろと言われるようになる。

言ってくるやつらは、「自分なら、だいじょうぶだ」「自分なら影響を受けない」と思っている。

機転が、よそのうちにはいない、きちがい家族の行為なんだよ。よそのうちには、きちがい家族がいないのだから、経験のしようがない。やり方がおかしい。やっているときの認知がおかしい。やっているときの感覚がおかしい。やったあとの認識がおかしい。

全部、普通の人じゃない。全部、普通の人なら、ありえないことだ。だから、普通の人は、経験していないのだ。

そりゃ、騒音は経験したことがあるけど、きちがい家族がやり続ける……しつこい騒音を経験したことがない。一緒に住んでいる家族の常軌を逸している騒音を経験したことがないのだ。きちがいだから、やり方がきちがいなのである。みんな、わかっていない。

影響を受けるに、決まっているだろ。影響を受けるということがわからないやつが、的外れなことを言ってくるんだよね。その的外れなことというのは、基本的にぼくを侮辱したことなのだ。そして、たとえば、これに、言霊思考がつみかさなる。言霊なんことを持ち出すやつは、「自分がいいアドバイスをしてやった」と思っているだけだ。ちがうんだよ……。

けど、言霊主義者は、普通の人であって、きちがい家族の騒音を毎日経験した人じゃないのだ。常識人の判断も、言霊主義者の判断も、きちがい家族の騒音を毎日経験したことがないという点では一致している。

ぼくが経験したことだけが異常で、ぼくだけが、この騒音の異常性を理解している人間なのだ。多数決をするとまけるのである。

そういう状態を、きちがい兄貴が、きちがい的な感覚で作り出してしまう。あんな音で鳴らすやつは、うちのきちがい兄貴しかいないんだよ。

しかも、なんか、うちの環境は、あいつが鳴らし続けることをゆるしてしまった。きちがいなら、きちがい行為をやっていないつもりで、押し通すことができたのだ。普通のうちだったら、できないことなんだよ。どれだけきちがいでも、きちがい行為を、押し通すことなんてできないんだよ。

これは、むかしも言った話だけど、兄貴が、おばあちゃんのうちに下宿していたとして、あの音のでかさで、きちがいヘビメタを鳴らせるかというと、鳴らせないのだ。

もちろん、ぼくがそう思っているだけだ。実際には、きちがい兄貴は、おばあちゃんのうちには下宿しなかった。下宿していなかった。うちで鳴らしていたのである。うちなら、鳴らせるのである。

きちがい感覚で、でかい音で鳴らししているということを、頑固に無視して、鳴らし続けることができるのだ。本人の意識としては、ほんとうに、でかい音で鳴らしたつもりがないのだ。

しかも、毎日、ヘビメタ騒音でこまっているということを、きちがい兄貴に言っているのに、それも、きちがい親父のように無視してしまう。きちがい親父ときちがい兄貴は、頭の構造がおなじなんだよ。

「うち」はきちがい親父がつくった「うち」なんだよ。

きちがい親父が、ヘビメタ騒音以外のことで、ヘビメタ騒音とおなじやりかたで、きちがい行為をしていたんだよ。うちのなかでは、きちがい行為があたりまえだという、歴史があるんだよ。

ほかのうちには、そんなものはない。

よそのうちには、そんなことをする人はいない。きちがいが、きちがい行為をがんこにやりきることができる「うち」だったのだ。普通の人は、この点も理解していない。

だから、ほんとうは、やられたことがない。どういう意地で、どういう認識で、どういう感覚で、きちがい家族が、きちがい行為をやってしまうか、わかっていない。

よその人はまったくわかっていない。わかっていないところで、常識を持ち出して、「そんなのは関係がない」と言う。関係……あるんだよ。毎日、体(からだ)と心(こころ)に影響を与えるんだよ。不可避的に影響を与えるんだよ。

2025年12月4日木曜日

●一番、こまっているときは、無視して、我慢させる■騒音※2025/12/04 7:55

 はっきり言って、鬱なんだよ。どうしても、明るい気持ちで、部屋探し、うち探しができない。いろいろとありすぎたんだよ。きちがい的な父親の行動ということを考えるなら、うまれたときから、たたられている。うまれたときから、普通の環境じゃないのである。いや。もう、うまれるまえからたたられている。当時、おかあさんが、病院に持ち込むための電気ストーブみたいなものを買ってもらえなかったのだ。おかあさんと別の人ひとりで、ひとつの部屋を使っていたのだ。相部屋(あいべや)で、隣の人が、おかあさんにもあたるようにしてくれたみたいだ。そのときだって、おかあさんは、隣の人に「かり」ができてしまう。わかるかな? もっていないから、かりるということになる。おかあさんが、「さむいから、早く電気ストーブを買ってきて」と父に言ったのだけど、父が、拒否したのだ。もったいなくて、買えなかった。カネはあったんだよ。電気ストーブぐらい、買うカネはあったんだよ。けど、けど、けど……親父の性格がたたって、買えなかった。けっきょく、一番寒いときは、電気ストーブを買わず、春になって?電気ストーブが「セール」になったら、買ってきたのだ。けっきょく、一番、寒いときには、電気ストーブがなかったわけ。母親のストレスが、当時、子宮内にいた俺に影響を与えている。うまれるまえから、きちがい的な父の影響があった。この、必要じゃなくなったときに、買ってやるというのが、父の手口なのだ。きちがい的な父は、特に考えてそうしているわけではないのだけど、いつもいつも、そうなる。必要性がなくなったとき、あるいは、必要性がうすれたときに買ってくるというのは、いじわる以外のなにものでもない。だって、そうだろ。一番、こまっているときは、無視して、我慢させる。やせ我慢だ。おかあさんの話だと、当時は、病室に、おのおのが、暖房機を持ち込むような方式だったのらしい。

*     *     *

まあ、親父としては、「せっかく買ってきてやったのになんだ」ということで、腹を立てるのだろう。腹を立てたのだろう。相手が、あるものを必要としているときには、絶対に買ってやらないという性格なのだ……。親父は……。おカネがかかわっているけど、おカネがかかわっていない場合でもそうなることがある。買ってやらないということは、やってやらないということに、内包される。買ってやらないということは、やってやらないということの部分集合。ごく自然に、そうなるんだよ。これも、きちがい親父が(よその家で)やってもらえなかったということが、影響している。きちがい親父がよその家で虐待され続けていたわけだから、そうなる。きちがい親父は、自分が(本当に必要なとき)いつもやってもらえなかったのである。いつも、その家の子どもはやってもらえるのに、親父はやってもらえなかったのである。そりゃ、ぐっとくるだろう。けど、これがまた、普通の人には、そういうときのくやしさが、あんまりよくわからないのである。だから、こういうところでも、親父の行為が誤解される。「そんなことないんじゃないの」と言うわけだよ……。よその人は……。けど、きちがい親父は、やってやらないことを、無意識的に選択しているのである。相手にとって(それが)必要ではなくなったら、やってやれるようになるのだ。もっとも、これは、カネがかかわっている。電気ストーブだって、子どもの机だって、子どもの鉛筆だって、子どもの消しゴムだって、子どもの靴だって、子どもが必要しているハンダゴテだって、全部、おなじなのである。全部!おなじ事になっている。「親父がかかわったら、おしまい」なんだよ。けど、よその人が……また・・ 「親父がかかわったら、おしまいだ」というのは、ぼくの側の間違った思い込みだと思うようにできているのだ。こういうズレが、いろいろなところ発生してしまう。

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ちなみに、何度も言うけど、親父の頭と、兄貴の頭は部分的におなじなので、やっぱり、相手が、「それで」どれだけこまっているのかということがわからないところがあるんだよね。相手がこまっているということを、自動的に無視してしまう。これは、「きちがい親父は、やってやらないことを、無意識的に選択しているということ」とは、ちがうことだ。関係があるのだけど、ちがうことだ。両方が重なっているのである。親父と兄貴の場合、きちがい親父は、やってやらないことを、無意識的に選択している」ということと「相手がどれだけこまっているかまったくわからない」ということが、重なっているだけで、いちおう、別のことだ。あたかも、おなじことのように見えるけど、べつのことだ。

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かさなっているので、兄貴は、自分のヘビメタ騒音で、弟がどれだけこまっているかということを、普通に、無視してしまうのである。普通の人は無視できない部分を、あたりまえのように無視してしまうのだ。ヘビメタ騒音に対する、親父の態度だって、『普通の親』というものを考えた場合、明らかにおかしいのである。だから、「そんなにでかい音で鳴ってなかったんじゃないか」とよその人が……これまた……誤解してしまうのである。 

ともかく、うちの父を、「普通の父」だと思ってしまう人は、誤解をするんだよ。俺の言っていることを、誤解する。けど、これまた……誤解しているということを認めない。よその人は、認めない。むしろ、よその人にとっては、ぼくが「父」のことを誤解していると思っているのである。こういうことばかりなんだよ。 

ともかく、うちの兄を、「普通の兄」だと思ってしまう人は、誤解をするんだよ。俺の言っていることを、誤解する。けど、これまた……誤解しているということを認めない。よその人は、認めない。むしろ、よその人にとっては、ぼくが「兄」のことを誤解していると思っているのである。こういうことばかりなんだよ。 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。