歯の治療が終わるまえに、完全な鬱病になってしまうよ。これは、やばい。ヘビメタ騒音がベースにある。
ぼくの全部が、ヘビメタ騒音でなくなってしまった。これは、ぼくにとっては、でかいことだけど、ほかの人にとっては、まったくでかくないことだ。小さいことだ。完全に無視できることだ。
よその人の話というのは、参考にならない。
まったく、参考にならない。
全部というのは、ヘビメタ騒音がなかったら、手に入れられたこと、全部、という意味だ。こういうことができた自分というのは、なくなってしまったんだよ。ヘビメタ騒音がはじまることによって……。
普通の気分がなくなってしまった。きちがいヘビメタ騒音にたたられる日々の憂鬱は、ほかの人にはわからない。しんどさも、ほかの人にはわからない。きちがい兄貴と、ごくごく少数の例外を除くほかの人は、「ヘビメタ騒音の影響」を無視するという点では、おなじなんだよ。
きちがい兄貴が、頑固に無視して、やりやがった。やり続けた。毎日毎日、こっちの状態を無視してやり続けた。そうすると、よその人たちも、ヘビメタ騒音の影響を無視するようになるのだ。こっちが言わなければもちろんわからない。
だから、言わない時点で、ヘビメタ騒音の影響を受けている身体で動いている「ぼく」は、よその人から、誤解をされる。これは、ほんとうに、きちがいヘビメタ騒音がなければ、なかったことなんだよ。
ところが、ごくごく少数の例外を除くほかの人たちは、「そんなのは、言い訳だ」「そんなのは、あまえだ」「人のせいにしている」と言いまくる。
こいつらは、みんな、影響を無視する。兄貴の騒音で「こうなっている」ということを認めない。兄貴の騒音で「できなくなった」ということを認めない。
兄貴の騒音が鳴っていないか、あるいは、兄貴の騒音がそんなにでかくないか、あるいは、兄貴の騒音がぼくの言っている通りだとしても、影響を受けないと考えているのだ。
そりゃ、あれだけの音でずっと鳴らされたら、どれだけ影響を受けないように頑張って頑張って頑張っても、不可避的に影響を受けるでしょう。けど、もちろん、そんなのは、証明できない。
「そんなのは関係がない」「そんなのは影響がない」という、くさったやつらが、くさったことを言う。言いまくる。えらそうに言う。
こういう世界だったよ。