2026年9月19日土曜日

●まさかと思ったけど、いる■騒音※2026/09/19 5:35

買い物に行って、帰ってきた。帰ってきたあと、Youtube動画を視ていた。名前は出さないけど、ともかく、社会系の動画だ。これを視ていたら、憂鬱になった。まあ、視なくても、憂鬱ではあるのだけど……。

憂鬱ではある。しかし……。しかし……。

たぶん、いまは、眠れないけど……。眠れない6時間をどうやってすごしていいのかわからない。この憂鬱にたえて、なんとか、生きていくわけか。それにしても、ほんとうに、家族で人生がちがう。ぜんぜん、ちがう。多くの人が……みんな、認めないよなぁ。認めない装置を頭に取り付けられているように認めない。 

 

*     *     * 

 ネズミが出た。しかも、横の部屋にいる。あるいは、俺の部屋にいる。もう、だめだ。

これ、捕まえることができない。混みすぎていて、無理だ。向こうの部屋に、追い込むということができない。この部屋に、ずっと、いることになる。はーー。腹がいたい。腹がいたい。腹がしくしくする。喉がかわく。眠れない。まさかと思ったけど、いる。 

 *     *     *

  この部屋にいるかもしれない。じつは、わかめの味噌汁をつくろうとして、わかめとだしを入れたものを煮た。でっ、腹の調子が悪かったので、食べずに冷蔵庫に入れた。けど、やっぱり、食べないで、けっきょく、わかめをとりだし、だし汁はトイレに流した。これを、今日やった。これが原因じゃないかと思う。ほんとうは、こういうものを流したときは、いっしょに、パイプユニッシュのようなものも流すことにしている。けど、なかった。そして、買い物に行ったけど、パイプユニッシュのようなものがなかった。だから、パイプユニッシュのようなもを流せずにいた。買うつもりだった。

たぶん、だし汁のにおいにつられて、きたのだ。これ、終わっている。この部屋に入られたら、おしまいだ。歯医者どころじゃないわ。ほんとうに、やばい。この部屋に置いてある食べ物がやばい。自殺行為はしないけど、自殺行為はしないけど、くるしい。やられた。この状態で眠るのは……。

やばい。これ、この部屋から出ていかない。この部屋から、出ていってもらうこと自体がものすごくむずかしい。この部屋で退治できるかというと、退治もできない。

歯医者どころじゃない。これは、きつい。この部屋にいる。実際には、横の部屋だけど、横の部屋というのは、この場合、仕切りがないので、この部屋とおなじだ。ドアをとってしまったから、そういうたぐいのものはない。

いやーー。汁を捨てるとき、不安はあった。けど、あのときは、トイレのドアを閉めた。けど、「だいじょうぶだ」と思って、そのあと、何回かトイレを使ったとき、トイレのドアを開けっぱなしにした。汁をトレースしてきてしまうんだよな。あるいは、このあいだ、糞を残したやつが、まだいて、二階にきたのか。それもある。

えーーっと。玄米が、凶器になっている。一階の部屋に置いたけど、月曜日に捨てるまでに時間がある。そして、あの重たい袋を持って行くだろうかという疑問がある。あれ、分けて捨てないとだめかもしれない。5キロ、持って行くかな。

いま、もっているETFを売りに出した。けど、これも、月曜日の市場次第だな。これ、売ってからじゃないと、引っ越すことができない。となりの部屋と書いたけど、このあいだ、となりの部屋と書いた部屋とはちょっとちがう。じゃあ、つながっている部屋は、この部屋ということにする。この部屋にいる。隠れるところが多すぎて、対応ができない。床が見えない状態だからなぁ。そして、食べ物がある。これが、猛烈に、問題だ。

これ、じつは……。このあいだだめになったのは、たぶんだけど、液体せっけんなんだよ。固体石鹸は、じつは、ネズミをおびきよせる。石鹸を使っていなかったのだけど、ちょっと頭を洗うとき、液体石鹸を使いたくなって、使ってしまった。ネズミの糞があった前日に、液体石鹸を使っている。

トイレに流した汁のにおいがやばい。そして、液体石鹸(液体ソープ)を含んだせっけんのにおいがやばい。きちがい親父が、ネズミを入れるまえは、もちろん、ずっと、そんなことではこなかった。何度も侵入されると、そういうにおいですら、サインになる。

これ、ほんとうに、死んでしまいたくなるようなことだ。きつい。あれだけ注意していたのに、そんなことで、侵入されてしまうとは……。

ともかく、この部屋にいる。この部屋にいる。URを借りるか、中古マンションを買う。これ、中古住宅は、無理だろう。金銭的に無理だ。300万円のちがいがある。喉がかわいた。この部屋にいると思うと、眠れない。まえは、なんか、対処しようという気持ちがあったけど、これ、もう、ダニのこととか、もう、限界なんだよ。 

これ、むかしとちがって、ほんとうに、いまは限界だから……。この部屋におかまがある。この部屋に食べ物がある。粉の入った袋、……たとえば、きな粉が入った袋などは、袋が食いちぎられて、きな粉が、散乱することになる。この部屋で料理をするしかない。ほんとうに、きちがい親父がやったことが、どこまでもどこまでも、ぼくに影響をあえる。きちがい兄貴がやったことが、ぼくに、影響をあたえる。もう、ネズミのことがなくても、きちがい兄貴がやったことで、限界なんだよ。 

まるまるたい。まるまるたい。

いま、捨てられる食品は捨てる用意をしているけど、やばい。だいたい、ほんとうに、フルーチェのようなものは、もっていくのかどうかわからない。これ、液体を可燃ごみにいれてはいけないんだよ。液体は、パイプのほうに流さないとだめなんだよ。たとえば、白滝なんか、気になる。これ、水は抜かないとだめみたいなんだよな。けど、白滝の水は、パイプに流すと、ネズミが寄ってきそうな感じがする。

これ、いま、ひそんでいるから、気配がなく、いないような感じになっているけど、こういう場合は、たいてい、いる。これが、わからないんだよ。そして、ネズミシートは、ほとんどまったくというほど、役に立たない。まるまるたい。まるまるたい。 まるまるたい。まるまるたい。 うーー。腹がいたい。なぜか、咳も出る。

まるまるたい。いやーー。まるまるするのであれば、もちろん、ネズミのことなんて関係がない。そして、たとえばの話だけど、大半のカネを、住居購入のために使ったとしても、問題はない。だって、そうだろ。

 

キッチンハイターは、食べ物を購入した店にもあった。この店にパイプユニユニッシュ系のものがあったら、買ったんだけど、なかった。家に帰ってきた時点で、パイプユニッシュをトイレに流しておけば、こなかったような気がする。なんか、ついさっき入ってきた感じがする。新しく入ってきた感じがする。今日、入ってきた感じがする。けど、それは、わからないのだけど……。わからない。

けど、これ……。ともかく、親父が意地を張って、魚の切り身を、出しておくなんてことをしなければ……。これ、ほんとう、ものすごく、くさいんだよ。二か月ぐらいしてから……親父が毎日、23時間ぐらい魚の切り身をテーブルの上に置くようになってから2か月ぐらいして、ネズミがガンガン入ってくるようになった。それまで、何十年間、ねずみなんて、一匹も入ってこなかった。 

まるまるたい。まるまるたい。俺は、もう限界。限界。これ、なんか、腹がへってきたけど、どうやって飯を食っていいのかわからない。腹が限界。全部がむずかしいんだよ。むずかしい。引っ越すと言ったって、これ、どうするんだよ。まだ、用意ができていない。最短でも、何日もネズミと一緒住むことになる。まるまるたい。もう、いやなんだよ。

けど、ネズミが入ってくる前は、長期ヘビメタ騒音のことを考えていたのである。やっぱり、まるまるたい。まるまるたい。わかい時間はかえってこないわけだから……。これ、けっきょく、俺が死ぬまで、続くわけじゃないか。長期ヘビメタ騒音のことが、俺が死ぬまでずっと続く。

俺の内臓が悪くなって死ぬときに、ヘビメタ騒音のことが気にならないかというと、気になる。このあいだから考えていたのだけど、どのみち、人間は……。

長期騒音のことがでかすぎる。これ、ほかの人は、理解してくれないのである。みんな「そんなの関係がない」とか「影響ない」とかと言う。これがきついんだよ。ヘビメタ騒音は、兄貴が鳴らしたものなのだけど、兄貴の態度がゆるせない。みんな、誤解をしている。

ともかく、いまは、ネズミに、入られたことがショック。もう、これ、何回やっているのかわからない。じゃあ、平気かと言うと、平気じゃない。ぜんぜん、平気じゃない。 

歯医者でも片づけをするときも、まるまるたいという気持ちになる。長期騒音がでかい。歯医者は、歯が虫歯になるということに対する対処だ。この、対処するときの気持ちが、並じゃない。長期ヘビメタ騒音で並じゃない。長期ヘビメタ騒音で、どれだけひどい状態で暮らしてきたか、ほかの人はぜんぜんわかっていない。長期ヘビメタ騒音で、どれだけひどい気持ちで暮らしてきたか、ほかの人はぜんぜんわかっていない。つねに、ピンチだった。どんな小さなことでも、そのピンチが復活してしまう。気分が並じゃない。破滅的な気分になる。どんな気持ちで、ぼくが、入学試験を受けに行ったか、ほかの人はわからない。 

*     *     *

 神様が、一瞬で、助けてくれないかなぁ。一瞬で問題を解決してくれ。もう、限界だ。自分で、きちがいヘビメタ騒音に対処しているとき、どういう気持ちになると思っているんだ。

*     *     *

学生時代ずっと、家で勉強ができないということがどういうことなのか、ぜんぜんわかっていないやつが、「関係がない」「影響はない」と言う。あるに決まって、いるだろ。きちがい兄貴が、無視して、けっして、認めなかったことだ。「関係がない」「影響はない」と言うやつらもおなじだ。影響があるということを認めない。関係があるということを認めない。鳴っている時間だけではなくて、鳴り終わったあとも、影響を受けるにきまっている。それがわからないのは、ぼくと同程度の騒音生活をしたことがないから、わからないのだ。ぼくとぼくと同程度の騒音生活をしたことがる人なら、絶対に、「関係がない」「影響はない」と言わない。

きちがい兄貴は、でかい音で鳴らしているということを無視した。認めなかった。きちがい親父が、酒粕のついた魚がくさいので、部屋中がくさくなったということを認めないのとおなじだ。きちがい兄貴が認めなかったのは、音のでかさだけじゃない。これ、きちがい兄貴は、きちがいだから、ほんとうに、「小さな音で鳴らしているつもり」なのである。兄貴の友達が「こんな音で鳴らしていたら、家族の人がかわいそうだ」と言うような音で鳴らしているのに、認めなかった。俺が言っただけではなくて、兄貴の友達が兄貴に言った。兄貴の友達が「うちじゃ、こんなでかい音で鳴らせない」と言った。兄貴の友達が「こんな音で鳴らしたことはない」と言った。そういう音で鳴らしていたのである。兄貴の友達も、ヘビメタが大好きな人なのである。ヘビメタが大好きな人だってそう感じるような音で鳴らしていたのである。ところが、きちがい兄貴は、「こんなのは、フォークギターの音とおなじだ」と思っていた。ぜんぜんちがう。きちがい兄貴が、きちがい兄貴の耳が悪くなるような爆音で聴きたかったから、「こんなのは、フォークギターの音とおなじだ」と思い込んだだけだ。親父が「くさくないよぉ!」「くさくないよぉ!」「くさくないよぉ!」と言ったのとおなじなのだ。こいつら、無意識的なレベルで感覚器を書き換えてしまう。だから、意識的な「自分」は、わかっていない自分なのである。ほんとうに、自分の都合がいいように、現実を書き換えてしまうのである。意識では、親父は、くさくないつもりだし、意識では、兄貴は、うるさくない音で鳴らしているつもりなのである。きちがい兄貴が、「この音で鳴らしたい」と思っている限り、すべての時間、「この音」で鳴らすんだよ。鳴らしたい音で鳴らすんだよ。これ、0・0001デシベルでもゆずってやったら、爆音で鳴らしているのに、ゆずってやったという気持ちになる。本人がゆずってやったと思ったら、どんなけちくさい譲歩でも、ゆずってやったことになってしまう。ゆずってやったと思ったら、その爆音で……ゆずってやった爆音で、どれだけ長い時間鳴らしても、問題がないと思ってしまうのである。あるいは、「問題がない」と考えることさえできない状態になってしまうのである。ほんとうに、ゆずってやったつもりだし、自分はでかい音で鳴らしているつもりがないのである。こういう特殊な脳みそを搭載しているんだ。こんな人がそんなにいるわけがないだろ。そして、きちがい親父もこういう特殊な脳みそを搭載していた。これ、きちがい親父にやられたことを、「今度は自分の番だ」と思って、ヘビメタ騒音でやっているんだよ。親父が、どれだけ、きちがい的な理由で怒り狂っていたということが、よその人にはわからない。よその人だけではなくて、じつは、親父がわかっていない。親父は、常に、きちがい的な理由で、行状していたのだけど、その親父が、自分のやっていることを、その通りには認識していないのである。これが、こまるんだよ。兄貴も、自分がやっていることを、その通りには認識していないのである。これが、こまるんだよ。よその人はよその人で、自分が「やられたことがない」から、わからない。どれだけ、腹が立つかわからない。これ、自分が実際に「やられたら」一発でわかることなんだよ。けど、自分は、そういう特殊な構造をもっている人と、一緒に暮らしたことがないので、そういう特殊な構造をもっている人が、発狂的な意地で「こっちがこまる行為」をしたばあい、どういう気持ちになるか、まったくわからない……のだよ。普通の人は、きちがい家族と一緒に過ごしているわけではない。だから、きちがい家族が、発狂的な意地で迷惑行為をしているときの状態と言うのがわからない。あれ、迷惑行為をしているつもりが一切合切ないんだぞ。「ゆずってやった」「ゆずってやった」と言ってやりきる。ところが、やりきったことになっていないのである。ゆずってやらなかったのに、ゆずってやらなかったということが、ほんとうにまったくわかっていない状態なのである。この特殊な脳みそ……。きちがい親父は、子どもが小さい子、子どもと一緒にいれば、一緒にいる時間、すべての時間(わけのわからない)きちがい的な理由で腹を立てていたのである。しかも、ずっとやっていたのに、そんなことは一切合切やっていないという意識なのだ。やっているときからそうなんだよ。やっているときからそうなの……。全身全霊の力を込めて、きちがい的な意地でやるんだよ。発狂してやるわけ。けど、やったことになってないんだよ。一回もやったことになっていない。それとおなじことが、蛇メタ騒音でも成り立っているわけ。きちがい兄貴のヘビメタ騒音は、きちがい親父のきちがい的な発狂とおなじなんだよ。つねに、きちがい的な理由で、腹を立てて、こっちせめる。こっちが、言い返せば、怒り狂って、ぶったのである。しかも、ぶったことは、へんな状態で反省する?のだけど、ぶつまでに、自分がやったことは、当然、一切合切反省しないのである。自分が、普通の人なら、絶対に怒らないようなことで、怒り狂って、子どもに全力でぶちあたっている……ということを認めないのである。そりゃ、きちがい的な理由で、おこられたら、腹が立つだろ。きちがい的な理由で、おこられたほうが、傷つくんだよ。けど、きちがい親父は、やっているときは、「そんなのはあたりまえだ」という態度でやるわけ。やりきるんだよ。それで、一切合切、気にしない。本人のなかでは、「理由がないことで」「子供にぶちあたっている」なんて気持ちはないのだ。理由がないことで、子どもにケチをつけて逆上しているつもりなんてないのである。ところが、5分間、子どもと一緒にいたら、5分間、子どもにケチをつけて逆上している状態になってしまうのである。しかも、逆上していないつもりだ。矛盾した表現になるけど、感情的には、子どものほうが、ほんとう悪いと思っているのである。逆上逆上の連続なのだけど、それ自体について、まったく悪いと思っていないのだ。これが、どれだけ、度外れな状態か?ほかの人たちは、わかっていない。ほかの人たちは、「そんなに本気でおこっているなら、こどもがわからない理由があるのではないか」と思ってしまうのである。これ、俺、幼稚園のとき、言われたんだよ。それ以降も、よその人の解釈だとお父さんがおこるのは、おこるだけの理由があるという解釈なんだよ。「理由がないのにおこる親なんていない」と言ったやつもいる。これが、常識的な人たちの解釈なんだよ。もう、そこからずれている。きちがい兄貴も、きちがい親父にやられて、不愉快な思いをしてきたわけ。それで、体がでかくなって、親父を押さえつけられるようになってからは、今度は自分の番だと、自分がやりたいことをやり始めたわけ。で、自分がやりたいことは、絶対にゆずらないのである。きちがい親父が、きちがい的な理由で怒り狂っていたとき、全力で怒り狂っていたんだよ。でっ、怒り狂うことに、問題があると(きちがい親父は)思っていなかった。これだって、ほかの人にはわからないことだろ。常識的な人がこの文を読んで、どういう解釈をするか、想像がつく。常識的な人には、このこと自体がわからない。全力で、発狂して、ゆずらずに、全部の時間やっているのに、本人が「まったくやったつもりがない」なんて、そんなのはおかしい。おかしいのだけど、そうなんだよ。兄貴のヘビメタもおなじなんだよ。

兄貴の場合、ヘビメタを思いっきり鳴らしていた時間が、一日のなかで、長いんだよ。そして、兄貴の場合、ヘビメタを思いっきり鳴らしていた期間が、人生のなかで、長いんだよ。一日のなかでも、影響を受ける。ほんとうは、勉強をやりたいのに、やれない状態で、ヘビメタ騒音に耐えている時間が、長かった。これが、ほんとうにきついのである。ネズミが出てから、興奮して眠れずに、朝の8時になってしまったけど、こんな状態になってしまうのである。ヘビメタ騒音を鳴らされたあとは、こういう状態になって、眠れないのである。「鳴り終わったら関係がない」と言ったやつを、ほんとうに、ぶんなぐってやりたいな。

*     *     *

もう、ぼくはつかれた。けど、眠れない。この部屋に、あれがいると思うと、眠れない。まあ、けっきょく、眠っちゃうんだけどね。けど、睡眠相は、くずれまくるなぁ。もう、いろいろと限界。片づけも、ネズミ対処も、引っ越しも、やりたくない。どへぇーーーっとくる。もう、ヘビメタ騒音がはじまった、小学六年生のときから、ずっと、くるしいままだ。みんな、誤解、している。これ、ほんとうに、ここで書いてきたけど、みんな、好き勝手なことを言う。妄想的なことを言う。そんなこと、あるはずがないだろ。ほんとうに、きちがいヘビメタが鳴っているところで、勉強なんてできない。勉強しようとすると、「負の学習」をしてしまうことになる。これは、学業成績にマイナスの影響をあたえる。ヘビメタ騒音のなかで、勉強しようとするだけで、マイナスの学習をしてしまうんだよ。学習内容に、ヘビメタ騒音がこびりついて、思い出したくないものになってしまう。そして、ほんとうに、考えることができないのである。頭がこんがらがる。「やめろ、やめろ」と兄貴の部屋に言って、言ったのに、けっきょく、きちがい兄貴が、きちがい親父モードで鳴らしきる。ヘビメタが終わるころには、へとへと。ネズミが出て興奮して、こまっている、いまみたいな状態になってしまうのである。不安が、こみ上げてくる。怒りがこみあげてくる。不安は、そりゃ、宿題ができていないのだから、不安な気持ちになるだろう。このままでは、高校入試に失敗するような感じがして、不安になるだろう。そりゃ、そうなんだよ。そして、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も鳴らされていたので、体が、金縛りにあったように動かなくなってしまうのである。そして、なんとか動いたとしても、だるだるで、勉強ができるような状態ではないのである。頭が、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も続いたヘビメタ騒音で、ぼろぼろなの……。眠れな時間をすごすことになる。ボロボロにつかれはてているのに、眠れない時間をすごすことになる。眠れない時間をすごすことになると、実際に睡眠時間が削られるので、次の日に影響が出る。そんなことが、土日、休日祭日を含めて、毎日続いていいわけがないだろ。普通の人なら、1年で限界をむかえて、学校を休むようになる(はずだ)。けど、おれは、4重生命線があるような人間だから、たえてしまった。それが問題なのである。たえたけど、影響はでかい。小学六年生の半年、中学三年間の三年間、高校三年間の三年間、学校に通ったけど……。通ったからこそ、そのあと、通学も通勤もできない体になってしまったのである。影響はでかい。これがどういうことだと思っているんだ。ぜんぜん、ちがうのである。普通の人が思っているようなことではないのである。ヘビメタ騒音の連続は普通の人が思っているようなことではないのである。 

 

2026年9月17日木曜日

●空想世界で、集合的な一括思考をしてしまう■騒音※2026/09/17 21:14

『「キーワード」と「人間」に関する抽象化』 にも書いたけど、ほんとうに、わかっていないのである。

毎日、ボロボロにされているやつが「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるなんて、本気で言えるとは思えないね。

ともかく、きちがい兄貴がやったことが、度外れなんだよ。異常なことなんだよ。普通の家では起こりえないことなんだよ。

だから、普通の人は経験していない。

だから、実際に、そういう騒音が鳴る日常が、どういう日常なのか、まったくわかっていない。

けど、みんな言うんだよ……。

「俺だって苦労した」「わたしだって苦労した」とね。

そのときは、意識はしていないけど、同質化、同量化、同レベル化している。空想世界で「人間」を考えたときとおなじだ。「自分は、ものをあげたとき、しあわせになった」……。

「だから、人間は、ものをあげるとしあわせになる」と思ってしまう。条件がちがう人のことは考えない。

こっちが、「おカネがなくてプレゼントをかえない人だっている」と言えば「おカネなんてかけなくても、心のこもったプレゼントをすればいいのだ」ということを(その人たちは)言うだろう。

そして、ネットやオールドメディアに、おカネがない人が、心のこもったプレゼントをして、ラブラブでハッピーエンドになった話があれば……「おカネなんて関係がない」「心がこもったプレゼントならいいのだ」と確信してしまう。

……そうやって、「おカネがない条件」について考えしまう。

……けど、「おカネがない人」と表現される人のあいだにも、格差がある。

条件の差がある。ありありなんだよ。

「おカネがない」ということについても、ステレオタイプの集合的な一括思考をしてしまう。

空想世界で、集合的な一括思考をしてしまう。

そうすると、個別の条件が無視されてしまうのだ。

おカネがない……と、ひとくちに表現されている人にだって、ものすごい差があるんだよ。

だいたい、きちがい家族の騒音に悩まされているという条件は、出てこない。

きちがい家族の騒音に悩まされ続けて、七年たったとき、バイトをするにしても、きちがい家族の騒音に悩まされずに、七年たった人とは、ちがう条件でバイトをしなければならなくなるんだよ。

バイトだって、限られてくるんだよ。ヘビメタ騒音が七年間鳴っていたいうことで、学歴がなければ、できるバイトだってちがってくる。

たとえば、Aさんは、おカネはないけど、七年間、家族のきちがい騒音にたたられ続ける生活をしていなかったとする。Bさんは、おカネがなく、七年間、家族のきちがい騒音にたたられ続ける生活をしていたとする。

その場合、「おカネがない」という条件は、AさんもBさんもおなじだということになる。

けど、実質的な内容はちがうのである。「おカネがないなら、バイトをして、カネを稼げばいい」と言う人がいたとする。しかし、人によって、条件がちがう。

心のこもったプレゼントだって、あげる本人が、心のこもったプレゼントだと思っていたって、もらったほうが、心のこもったプレゼントをもらったと思うかどうかはわからない。

「プレゼントをあげれば、しあわせになる」と考えているときは、あげたあと、いい反応が返ってくることを期待している。

けど、個々の場面ではちがったことが起こる可能性がある。

あげるほうは「心のこもったプレンと」だと思っていても、もらったほうが、いやな気持ちになる場合だってある。いやな気持ちになったということが、もらったほうの態度に出て、あげるほうが、もらった人の態度を認識した場合は、あげた人は「しあわせな気分」になるわけではない。

現実の出来事というのは、さまざまな条件のなかで、特定の誰か(C)が、特定の誰か(D)にプレゼントあげるということになるのだから、当然、特定の誰か(C)と、特定の誰か(D)の関係は、重要な意味をもつ。

けど、こういう部分も、「プレゼント」という抽象化があり、「あげる」という抽象化があり、「もらう」という抽象化があると、無視されてしまうのである。

それまでの、あげるほうともらうほうの関係を無視してしまう。

現実的なことを考えるなら、現実的な個人が、現実的な個人に、プレゼントをあげるわけだから、それまでの関係というのは、重要な意味をもつ。

……どうして……「プレゼントあげると、しあわせになる」「プレゼントをもらうと、しあわせになる」と(そういうことを言いたくなる人が)考えているときは、そういう個別性を無視してしまうのか?

空想世界で、切り捨てられた、個別性が、現実世界では、猛威を振るうのである。

どうしてかというと、個々人が、現実をつくりだしているからである。

たとえば、CさんとDさんの場合は、CさんとDさんがCさんとDさんの現実をつくっているのである。

個別の関係性を無視して、「プレゼントあげると、しあわせになる」「プレゼントをもらうと、しあわせになる」と考えるときは、両方ともしあわせになるのだから、よい行為でしかないということになる。

ところが、現実の場面では、ちがうことが起こる可能性がある。

個々人の抱える、個々の条件というものを、無視して、考えるから、現実的な人間が抱える、トラブルが目に入らないのである。

はっきり言えば、プレゼントをもらったことで、不幸になることだってあるんだよ。

プレゼントをあげたことで、不幸な気持ちになることだってあるんだよ。

けど、「プレゼントあげると、しあわせになる」「プレゼントをもらうと、しあわせになる」と決めつけてしまう。あるいは、「プレゼントあげると、しあわせな気持ちになる」「プレゼントをもらうと、しあわせな気持ちになる」と決めつけてしまう。

ある人がいたとする。Eさんだとする。Eさんは、ある場面で、ある相手から、プレゼントをもらったとき、不愉快な気持ちになたっことがあるとする。

Fさんがいたとする。Fさんは「プレゼントをもらえば、しあわせになる」ということを信じていたとする。Eさんが、Fさんに「プレゼントをもらっても、しあわせになるとは限らない」ということを言ったとする。そうすると、Fさんは、自分が信じていることを否定されたので、不愉快になる可能性がある。不愉快になる確率は非常に高い。

空想世界の思考実験をするのであれば、『毎日をプレゼントデーにすれば、すべての人が、毎日、しあわせになるはず』なのである。

ところが、実際には、そうならない。そりゃ、うまくいく人もいるけど、うまくいかない人もいる。

そうすると、相手の条件を無視して、「うまくいかない人は、ネガティブなことを考えたからうまくいかないのだ」という決めつけをするのである。Fさんのような人は、そういう決めつけをする。

あるいは、相手の条件を無視して、「うまくいかない人は、ネガティブなことを考えたからうまくいかないのだ」という決めつけをするのである。Fさんのような人は、そういう決めつけをする可能性がある。

相手の条件を無視して、勝手なことを言う可能性がある。。相手の条件を無視して、勝手な決めつけをする可能性がある。

そして、「プレゼントあげると、しあわせになる」「プレゼントをもらうと、しあわせになる」というのは、正しい……と言い切る可能性がある。

「実際に、自分は、プレゼントをあげたとき、しあわせな気持ちになった」「実際に、自分は、プレゼントをあげたとき、しあわせな気持ちになった」「実際に、そうなったのだから、正しい」と言って、相手が言うことを、認めないということが、発生する可能性がある。

自分の場合、そうなったということと、人間の場合そうなるということは、ちがうんだよ。

人によって条件がちがうからだ。おなじ人間でも場面がちがえば、条件がちがうので、いつもおなじことが成り立つとは限らない。 

*     *     * 

こんなのは、他人を対象とした自己責任論とおなじだ。

条件が悪いから、ひどい目にあった人にむかって、「そんなのは、おまえの自己責任なんだよ」と言う人になってしまうわけ。

よく吟味して、相手の自己責任なのかどうかを考えるのではなくて、最初から、「相手の自己責任だ」と言うことが決まっているのである。こんなの、ない。 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。