2026年9月13日日曜日

●ヘビメタ騒音の影響に他ならないのである■騒音※2026/09/13 16:27

  どうしようなかぁ。頭がもやもやする。頭、もやもや度が高い。高い。高い。どーすれば、いいんだ? うーーん。どうしようかなぁ。あーー。横になってるとき、ほんとうに寝ているとき、考えていることが、ヘビメタ騒音関係のことなのだ。ヘビメタ騒音期間中に経験したことが、「もと」になっている夢を見ることが多い。横になって考えていることも、けっきょくは、ヘビメタ騒音期間中のことと、関係があることだ。だって、いまの状態が、ヘビメタ騒音の結果なのだから……。そして、他人がぼくに言ってきたことというのが、まさしく、ヘビメタ騒音に起因することだからだ。これ、まるでわかっていないんだよな。他人は、他人だから、あれだけの騒音を毎日浴びせられると、どういう状態になるのか、わかっていない。「騒音」に関しては経験があるから、自分が経験した騒音をもとにして考えて、「そんなのは関係がない」と言ってしまう。どれだけ鳴ってたって、宿題ぐらいできる」と言ってしまう。「俺だって苦労した」「俺だって、眠れないときはある」「俺だって、朝はつらい」と言ってしまう。けど、これ、俺が、ヘビメタ騒音がはじまるまえに、経験したことなんだよな。きちがい家族による、きちがい的な騒音と、ほかの騒音はちがうのである。しくみがちがう。そして、きちがい兄貴の、きちがい的な部分に関係があることなのだけど、ほかの人には、関係がないから、きちがい兄貴の、きちがい的な部分は、ほかの人の考える「騒音」からは、ぬけてしまうのである。これが、きついんだよな。こいつらは、ほんとうに、まったくわかっていないのに、妄想的なことを言う。こいつらは、ほんとうに、まったくわかっていないのに、無理なことを言う。こいつらは、ほんとうに、まったくわかっていないのに、なまいきなことを言う。こいつらは、ほんとうに、しょーーーもないやつらなのだ。じゃあ、どうして、一般人が、ぼくにとって、ショーーーーもないやつらになるかというと、きちがい兄貴がきちがい兄貴だからなのだ。きちがい兄貴の感覚なんてほかの人にはわからない。きちがい兄貴は普通の兄貴ではない、異常な兄貴なので、やることがちがうのである。ほかの人が考えないことを、きちがい的な意地でやってしまうのである。ほかの人の、家族は、きちがい兄貴みたいなことをしないのである。それは、ほかの人の家族は、きちがい兄貴のような異常家族ではなくて、正常な家族だからだ。普通の感覚で言えば、起こりえないことが起こっているのである。毎日、おこっていたのである。「過去は関係がない」と言ったやつも、ぶんなぐってやりたいほど、頭にくる。もちろんぶんなぐったりしないけど、そのくらいに頭にくる。普通の人が、普通に、そういう言葉を、投げかけてくるようになる。俺にながけけてくるようになる。きちがいヘビメタ騒音で、実際に被害を受けるとそうなる。これ、普通の人は、無視していることなのだけど、ものすごいことなんだよ。あーー。それから、「なんだ、そんなの!」と、ぶんなぐってやりたいほど、頭にくる。もちろんぶんなぐったりしないけど、そのくらいに頭にくる。昨日も、その言葉を思い出して、いまは、そいつがどこに住んでいるのか知らないけど、そいつのところに行って、ぶんなぐりたくなった。きちがいヘビメタ騒音の影響というのは、こういうやつらが、まったく考えられない影響なのである。こいつらが、こういうことを、俺に言ってくるようになる……ということも、ヘビメタ騒音の影響に他ならないのである。

*     *     *

いま、日曜日の午後4時27分だ。日曜日の午後4時27分は、鳴っている感じしかしない。あれ、ヘビメタ騒音の雰囲気だ。ヘビメタ騒音がガンガン鳴っている雰囲気だ。これ、俺がどれだけ、きちがい兄貴に、やめるように言っても、きちがい兄貴が、きちがい感覚で無視して、 ヘビメタ騒音がガンガン鳴っている雰囲気だ。これ、ほんとう、ほかの人には、きちがい兄貴のきちがい感覚がわからない。きちがい兄貴が、一番わかっていないのだけどね。本人が、わかっていない。本人が、一番わかっていない。きちがい兄貴は、なにもやっていないつもりなんだぞ。普通の人だったら、どうやっても、自分がでかい音で鳴らしているというとは、知覚してしまうのだよ。だから、「でかい音で鳴らしていない」という態度で鳴らす場合は、そういう芝居をしていることになる。「でかい音で鳴らしているのは、近くして、知っているけど、でかい音で鳴らしているということを認めると、でかい音で鳴らすことができなくなってしまうので、でかい音で鳴らしていないという芝居をする」ことになる。ところが、きちがい兄貴は、脳みその部分がほかの人とはちがうので、でかい音で鳴らしているということを認めると、でかい音で鳴らすことができなくなってしまう場合は、ほんとうに、小さな音で聞こえるようになってしまうのである。普通の音で鳴らしていると、本気で、正直に思っている状態になってしまうのである。本人は、フォークギターぐらいの音で鳴らしているつもりになってしまうのである。フォークギターの音なんて比べ物にならないほどでかい音で鳴らしたいから、フォークギターぐらいの音で鳴らしているということになってしまう。嘘でなく、そう感じてしまう。きちがい回路を搭載しているから、ごく自然にそうなってしまう。これが、問題を引き押す子のだけど、当の本人は、ほんとうに、フォークギターぐらいの音で鳴らしているつもりになっているので、どれだけ言っても、その音で鳴らすのである。自分のみ耳が悪くなるような音で鳴らすのである。ヘビメタ難聴になるほどでかい音で鳴らしているのに、でかい音で鳴らしているという主観的な意識がまったくないのだ。そして、はっきり言ってしまうと、ゆずるときも、親父とおなじ状態になる。「ゆずる」ということができない。きちがい的などケチぶりを発揮して、ゆずらない。けど、本人は「ゆずってやった」気持ちになる。「譲歩してやった」気持ちになる。これも、丸出しで、おかしなところなんだよ。まさに、きちがい丸出し……。きちがい的にずるいところなんだよ。けど、これも、わざと、ゆずったということにしてゆずらないで鳴らし続ける(やりつづける)という気持ちでやっていることではないのだ。きちがい兄貴にとって盲点になっている。けど、きちがい兄貴だって、親父におなじことをやられたら、発狂するんだよ。ものすごく腹を立てるわけ。ようするに、本人がやられる側なら、親父がずるいことをしているということが、わかるんだよ。けど、本人(兄貴)が(弟に)やるときは、完全に親父とおなじ状態になって、自分がやっていることがわからないまま、やりきってしまう。やりきってしまうのだけど、まったくやっていないと認識しているのとおなじ状態になる。これ、芝居でやっているわけではないのだ。だから、ものすごくこまるのだ。他人が想像するのは、「芝居でやっている場合」なんだよ。そして、兄と父がおなじ構造の脳みそをもっているということを、他人は無視してしまう。「そんなのはおかしい」「そんなにでかい音で鳴らしていたら、家族が絶対に注意する」「子どもが小さいときに、そんなに文句を言っていたお父さんなら、絶対に文句を言う」と思ってしまう。思ってしまった結果、俺が嘘を言っていると思うのだ。こんなの、ない。

●一億人の成人がいる国を考えたとする■社会※2026/09/12 18:17

一億人の成人がいる国を考えたとする。一億人中、一億人が、「おせいぼーーの日」に、まだ、プレゼントをもらっていないだれかにプレゼントをするとする。

そうすると、理論的には一億人が、プレゼントをもらうことになる。

ならば、その一億人は、運があがったと言えるのか。あるいは、その一億人は、運があがって、しあわせになったと言えるのかどうか。

もし、人にプレゼントをあげることによって、運があがるということが、保証されていて、運があがった結果、しあわせになるということが、保証されているとする。人からプレゼントをもらうことによって、人からプレゼントをもらったので、幸福になるとする。す

べての日を「おせいぼーーの日」にすれば、毎日毎日、しあわせ度が増し、一億人中一億人が幸せになるということになる。

しかし、実際には、そんなことにはならない。人によって「条件」がちがうからだ。条件がちがうので、プレゼントを用意できる人と、できない人に、わかれる。

もし、かりに、「おせいぼーーの日」に プレゼントをもらっていない人にプレゼントをできなかった人は、ルールを守れなかったペナルティーとして、殺されるとする。そんな条件は書いていなかったけど、そういう条件が成り立っていたとする。

そうしたら、殺されることになるので、しあわせには、なれない。生きていて、しあわせな暮らしをするということだから、殺されてしまうと、しあわせな暮らしができなくなるので、しあわせにはなれない。

個々人によって、所持金がちがうということも、書いていなかった。

殺されなくても、「おせいぼーーの日」に「まだ、プレゼントをもらっていない人」にプレゼントをわたすことができなかった人は、「非常識な人だ」「ルールに違反した人だ」ということで、全員から、無視されるということになれば、無視されるというペナルティーが発生することになる。

その場合、かなりの高確率で……無視された人は、しあわせな感じがしないということになる。

書いていないけど、「Xをすれば、運があがってしあわせになる」という言い方をするときも、人によって所持金がちがうということは、書かれていない。

言及されていない。言及されていないけど、人によって所持金がちがう。

*     *     *

たとえば、「ものをあげたときに、しあわせになるし、ものをもらったときも、しあわせになる」というようなことを考えたとする。「人間」は、ほかの人間にものをあげると「しあわせになる」という前提だ。

また、「人間」は、ほかの人間から、ものをもらうと「しあわせになる」という前提だ。

しかし、そこで設定されている人間は、「理想的な人」としての「人間」なのである。ほんとうは、個人個人でちがうのだけど、個人個人のちがいというものを、捨象して人間というものについ考えるのである。

「人間」は、こういうときこう感じると決めつけてしまう。

そうすると、実際に、存在している人間は、個々人的なものを捨象された人間ではなくて、個々人的なものを不可避的にもっている人間なので、ちがったことが起こるのである。

しかし、多くの人が……「人間」について考えているとき、モデルとして「理想的な人としての人間」を考えているということに関して、無頓着なのである。

だから、その前提で考えたことを、そのまま、現実にも応用できると考えてしまうのである。現実というのは、ちがった個々人でできあがっているので、その通りにはならないのである。

プレゼントという言葉を使っているので、常識的なプレゼントになると仮定して考えているのだけど、だれもが、常識的なプレゼントをするとは限らないのである。

ひょっとしたら、「ゴキブリの死骸」をきれいなプレゼント用の箱に入れて、ほかの人に渡す人だっているかもしれない。

あるいは、「使った消しゴム」がきれいなプレゼント用の箱に入っているかもしれない。全員が、おなじものをプレゼントするという前提だと、おなじものを、ほかの人ために買って、おなじものをほかの人から受け取るということになる。

これだと、「幸福感」を感じないかもしれない。

そして、たとえば、実際にこの世の人間には、「貯金」や「所持金」に差がある。余分なおカネがない人にとっては、「プレゼント」を用意することができないということになる。

しかたがなく、捨てられていた容器に、石ころを入れて、プレゼントにするかもしれない。

まあ、石ころなんて、最近では、めったに見かけなくなったので、石ころのかわりに、捨てたられていた紙くずを入れるかもしれない。すたられた容器に、捨てられた紙くず入っている「プレゼント」をもらって、幸福感を感じるかどうかはわからない。

ようするに、「プレゼント」をもらえば、人は幸福になるという前提が間違っている。

欲しいものではなくて、いらないものや、きらいなものをもらうと、不愉快な気持ちになる「場合」がある。

現実の場面というのは、「理想的な人間」によってつくられているのではない。

現実の場面というのは、理想的な人間に近い人間や理想的な人間からは程遠い人間や、理想的な人間に近い人間でもないし、理想的な人間からは程遠い人間でもない人間によって、つくられている。

個々人が抱える条件の差というのは、めちゃくちゃにでかい。貯金や貯蓄にも、差がある。性格にも差がある。

ところが、「人間」というものは、「こういう時に」「こう感じるものだ」ということを、空想世界で考えて、そして、現実的な個人について語りだという手法がもちいられていることが多い。

ヘビメタ騒音に関しても、ぼくは、個人の経験から思ったことを、人間に拡張して考えているわけだ。けど、ぼくは、その限界を知っている。また、証明できないということを知っている。

空想世界で「人間」なるものを考えて、「人間」というものは、こういうものだという「一方的な」「個人性を無視した」決めつけをしているわけではない。

しかし、思考のスタイルとしては、「人間」について考えるときは「人間」という抽象的な言葉を使って、思考をするのである。わかるかな? 

わかるかな?

モデルなんだよ。

モデルはモデルだから、現実世界の説明に、そのまま、移植することはできない。モデルをもちいて考えたことを、そのまま、条件にちがいがある個人に適応してはいけないのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。