2026年9月16日水曜日

●「しずかにしてやったつもり」■騒音※2026/09/16 20:28

さっき、ちょっとだけ、『歩いて、ブックオフ(中古本屋)に行こうかな』と思った。

実際には、行かないのだけど、多少思っただけでも、復活したのかな。

ここ五年間は、それどころじゃなかった。買い物にに行くのと同じで、別に、古本屋に行ったところで、おもしろいことはない。

くるしい記憶の中を、ふらついているようなものだからだ。

すべてが……ヘビメタ騒音以降のすべての記憶が、くるしい記憶になってしまった。これ、ほかの人には、不可避性がわからない。不可避性がわからない。つぶされた未来の多さがわからない。

横になっているときに考えたことは、きちがいヘビメタ騒音のつらさだ。

この毎日続く、ヘビメタ騒音のつらさが、ほかの人にはまったくわからないのだ。ぼくの経験の範囲で言うと、みんな……「そんなのは関係がない」「なんだ!そんなのぉ」「俺だって騒音ぐらいある」というようなものだ。

「そんなのは嘘だ」という反応もあるけどね。

ともかく、持続しているあいだ、ほんとうにほんとうに、ほんとうに、つらいのである。きちがい兄貴の態度が問題なのだ。

そして、たとえば、入学試験前に、ずっとずっと、何日も前からもめているのに、入学試験前日ですら、一秒もゆずってくれなかったという事実がある。実際には、入学試験前日は、一日だけ、しずかにしてくれたことがある。

けど、アンプ付きスピーカーにはつながずに、エレキギターは鳴らしていた。おなじような音が鳴っているので、いまいましかった。

これ、「一日でもしずかにしてくれたならなら、いいじゃないか」と考える人がいるかもしれないけど、二日前(試験当日)は、一秒もしずかにしてくなかったし、次の高校入試の前日は、しずかにしてくれなかったのである。

一生涯のなかで、しずかにしてくれた日が、一日だけなのである。それ以外の日は、なんだろうが、一秒もしずかにしないで鳴らしていた。

ところが、きちがいだから、「しずかにしてやったつもり」なのである。

これが、湯気が出るほど頭にくることだ。

これ、こういう空間なのである。ぼくの頭から、湯気が出るほど頭にくることなのだけど、きちがい兄貴も、顔を真っ赤にして、怒り狂って、不退転の決意で、がめつくがめつく鳴らしているのである。

きちがい親父も、自分の意地を通す時の態度がおなじなのである。きちがい兄貴もきちがい親父も、きちがい的な意地で、全部の時間やりきるけど、やりきったつもりがまったくない状態なのだ。

けど、「やめろ」「やめてくれ」と言われれば、頭から湯気を出して、怒り狂って、やりきるのである。あれだけ意地になって、全部時間やりきっているのに、本人は、まったくそのつもりがないなんて、どれだけ擁護したって、きちがい以外のなにもでもない。

まったく本人が関知しないという意味で、狂っているのである。まったく本人が関知しないという意味で、「ほんとうに、ほんとうに、やったつもりがない」のである。

都合よく狂って、きちがい的な意地でやったことが、まったくやってないことになってしまっている。

全自動で、消しているのである。全自動でやりきって、全自動で、消しているのである。

「やっているつもり」が現在進行形でないのである。

ならやめてくれるのかというと、きちがい的な意地で、頭から湯気を出してやりきる。真っ赤な顔をしてやりきる。「やめてくれ」ということを言われたら、頭から湯気を出してやりきるのである。

これが、どういうことだかわかるか?

いや、わかるわけがない。

俺が怒って、頭から、湯気を出して「やめろ」と言ったって、「やめろ」と言われたやつが、頭から湯気を出してやりきるのである。

きちがい空間。しかも、ほんとうに、「やったつもり」がないのである。これは、「つもりがない」だけではなくて、「やったということになっていない」のである。

ようするに、「やらなかった」ということになっている。ここがきちがいポイントなんだよな。けど、兄貴や親父は、自分きちがいポイントがわからない。

そりゃ、きちがい的な意地でやりきって、やったつもりがまったくないのだから、きちがいポイントだと思えるはずがない。

そして、このきちがいポイントについて、よその人の理解が、まったくないのである。

そして、よその人は、そういうきちがい家族にやられたことがないのである。きちがい家族がやりきってしまう日を経験していないのである。きちがい家族が、やりきってしまう時間を経験していないのである。

だから、わからない。

どれだけくやしいかわからない。

兄貴の騒音なら騒音で、騒音が鳴っているあいだ、どれだけ(こっちが)頭にくるか、(よその人は)わからない。わからないでものを言っている。

きちがい家族と一緒に住んだことがないから、これがどれほど、頭にくることか、わかっていないのである。

あの騒音が、どれだけ、精神を崩壊させるか、わかっていない。

ほかの人たちはわかっていない。

あんな音で、前日に鳴らされて、志望校に受かるわけがない。

だいたい、中学三年間、プラス、小学六年生の半年間、ずっと毎日、この態度で……あの態度で……鳴らされ続けたのである。

鳴らされている時間は、単なる、鳴らされている時間じゃないんだよ。レイプされているんだよ。精神をレイプされている。

もちろん、勉強時間も破壊されている。ハンディがないわけじゃない。関係がないわけじゃない。関係ある。

ところが、よその人は、「関係がない」と言う。騒音なんていくら鳴っていたって、勉強ぐらいできると言う。鳴り終わったら勉強ぐらいできるという。

ところが、むちゃくちなんだよ。めちゃくちゃなの……。鳴り終わったあとも、とても、勉強ができる状態じゃない。

だいたい、鳴り終わる時間は一一時一〇分なので、もう、そのときには、「眠るべき時間」になっているのである。

2026年9月15日火曜日

●「キーワード」と「人間」に関する抽象化■社会※2026/09/15 19:50

 『毎日、おせいぼーーの日にすれば、人はしあわせになるのだろうか?』ということを言いたかった。毎日、おせいぼーーの日にしても、すべての人間がしあわせになることはないのである。

人によって、ちがうのである。

人……は、ものをほかの人にあげるとき、しあわせな気持ちになる。しあわせになる。

人……は、ものをもらうとき、しあわせな気持ちになる。

だから、すべて人がすべての人にものをあげれば、しあわせになれる。原理的には、すべての人間が、すべての人間に、ものをあげるようにすれば、すべての人間が幸せになれるのである。

ところが、すべての人間がしあわせになることはない。どうしてかというと、「条件がある」からだ。

「ものをあげる」を「親切にする」に置き換えてもおなじなのだ。

毎日、親切デーにして、重複せずに、だれかに、親切にするようするとする。親切にするとしあわせになるのだし、親切にされると、しあわせになるのだから、理論的には、すべての人が、すべての人に(重複なく)親切にすれば、すべての人間がしあわせになれるのである。

ところが、そうじゃないのである。「条件がある」からだ。

空想世界で、人に親切にするときの気持ちを考えたり、人から親切にされたときの気持ちを考えると、みんな、しあわせになりそうな気がするのである。

ところがちがうのだ。条件がちがうからだ。

個々人が抱える条件がちがうからだ。

そして、じつは、「親切行為」というのが、一意には決まらないものであり、「親切行為」というものが、なんなのかは、人によってちがうし、条件によってちがうから、「親切行為」をするつもりの人が、「親切行為」をしても、その親切行為とされるものをされた人が、「親切にされた」と感じるかどうかは、わからないということになる。

空想世界で考えていた時の親切行為というのは、その親切行為をされたほうが、かならず、親切行為をされた認識するような親切行為なのである。

考えるときに、自動的に、そういうものとして想定されてしまう。

しかし、現実社会では、親切行為の内容は、決まっていない。相手が、その親切行為を迷惑行為だと感じることだってある。

こっちが「やってほしくないこと」を、「やってやる」 「やってやる」「やってやる」としつこく言う人だっている。「やってほしくないことをやられると」腹が立つ確率が非常に高い。

その場合、親切行為をされたほうは、不愉快な気持ちになり、しあわせな気持ちにならない。

空想世界で考えていることと、現実世界の現実は、ちがうのである。

*     *     * 

空想世界で、抽象化した言葉を使って、自分の経験をもとに考えると、100%構文の文になってしまうのだけど、それが最初から、まちがっているのである。最初から、まちがっている。抽象化した言葉を使うということの意味が、この人たち……100%構文の文で言い切ってしまう人たちには、わからない。わかっていないんだよな。

*     *     * 

「プレゼント」というところまで抽象化すれば、プレゼントしておくられるものは、すべて「プレゼント」だということになってしまう。

個別具体的なものは、この場面では、姿を消して、だれにとっても「好ましいプレゼントであるようななにか」になってしまうのである。

自分の経験というのは、たとえば、自分がプレゼントをあげたときに、しあわせな気持ちになったとか、自分が相手のことを考えてプレゼントを選んでいるときに、しあわせな気持ちになったとか、自分が、だれかから、プレゼントをもらったとき、しあわせな気持ちになったということだ。

そうなると、プレゼントをあげるときや、プレゼントを選ぶときや、プレゼントをもらうときは、「人は」しあわせになるのだと仮定してしまう。まあ、仮定などというなまやさしいものではなくて、「事実そうなる」と言い切ってしまう。

けど、この時点で、主体が自分なのか、主体が全人類(人間)なのかということが、明確に意識されているわけではないということになる。

自分がそうだったから、残りの人類もみんなそういうふうに感じるはずだという、前提が、まぎれこんでしまう。

しかも、残りの人類もみんなそういうふうに感じるはずだという前提は、個々人の条件を考えると、間違っている可能性がある。間違っている確率は、非常に高い。

この時点で、「自分がそうだから」「人類もそうだ」と考えてしまうのは、問題がある行為だ。しかし、問題がある行為だとは、考えないのである。

どうしてなら、「自分がそうだから」「人類もそうだ」という前提が正しいと思っているからだ。何度も言うけど、現実世界には、いろいろな個人がいる。

その個人の条件が、みんな、ちがうのである。

細かく条件を考えれば、ほんとうに、だれひとりとして、おなじ条件の人はいない。主要な条件だけを、大雑把に考えるなら、おなじ条件の人はいるということになるけど、それは、主要な条件だけを、大雑把に考えるならおなじ条件だと言えるだけだ。

ほんとうは、まったくおなじ条件を抱えている個人なんていない。だから、まったくおなじ条件を抱えている個人なんていないということを明確に意識しておくべきなのだ。

しかし、「プレゼントをあげる」ということや「プレゼントをもらう」ということを抽象化して考えているとき、「人間」というのも、「自分」にあわせて、抽象化して考えてしまうのである。

なので、「キーワード」と「人間」に関する抽象化がおこなわれているということは、意識しなければならない。「キーワード」というのは、ここでは「プレゼント」だけど、「苦労」といったものも、含まれる。

「苦労」「困難」「生きがたさ」「努力」……という言葉は、全部、抽象化された言葉だ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。