2025年4月4日金曜日

きちがい兄貴が、「騒音」に寛容かというと、寛容じゃないのだ

 きちがい兄貴が、「騒音」に寛容かというと、寛容じゃないのだ。自分が出してない音で、他人が出している音だと、普通の音でも、うるさいと感じるやつなのだ。

たとえば、テレビの音がうるさいと感じるやつなのだ。あるいは、ぼくが、テーブルの上でビー玉を転がしていたのだけど、そのビー玉の音がうるさいと言ってくるやつなのだ。

他人が鳴らしている音なら、「うるさい」と普通に感じる人間なのである。

兄貴は、別に、騒音というものに特別に寛容であるわけではない。これが、わかってないんだよね。

これ、本人の耳が悪くなるほどでかい音で鳴らしているのに、「こんなの普通の音だ」と感じてしまう。「普通の音で鳴らしているのだから、一日に十三時間鳴らしたって問題はない」と思ってしまうやつなのだ。

普通の音というよりも、しずかな音だと感じている部分がある。きちがいだから、現実を書き換えてしまう。そして、自分が現実を書き換えたことに気がつかない。

きちがい的にでかい音で鳴らしたいなら、それが普通の音や小さな音になってしまうのだ。

普通の音で鳴らしていたとしても、一日に一三(じゅうさん)時間鳴らすというのは、鳴らしすぎなのである。平日、学校がある日に帰ってきて、平均七時間鳴らしてしまうというのは、鳴らしすぎなのである。

一日に、二時間ぐらいまでだったら、ぼくの、睡眠回路はこわれていない。一日のなかで、宿題だってできる。

きちがい兄貴が、たとえば、午後五時から午後七時までの二時間だけ鳴らすということに、合意したかというと、合意しなかった。一秒間だって、ゆずってやりたくないのである。一分間だって、ゆずってやりくないのである。

自分が、弟のために、ヘビメタを鳴らすのをがまんして……つまり、まったく鳴らさないようにして、一秒間、がまんしてやる姿が、まったく想像できないレベルだ。そんなのは、ありえないから、考えもしないことなのだ。

一秒間、ほんとうに、がまんをさせられたら、発狂してしまうのである。

そういう意地なんだよ。

一分間でも、ヘッドホンをしてやらなければならなくなったということになれば、その一分間、腹がたって腹がたって腹がたって、「こんなこと、やってられる」「がまんできるか」という気持になって、一分間もたたないうちに、ヘッドホンのジャッキをはずしてしまうのである。ヘッドホンを頭からとってしまうのである。

こういう意地は、きちがい親父もおなじなんだよ。ここで、きちがい親父のことを書くと話が長くなるのでやめるけど、脳みその構造がまったくおなじで、「がまんさせられそうになった」ときの反応がまったくおなじなんだよ。

がまんさせられそうになったら、顔を真っ赤にして、発狂して、自分がやりたいことを、やってしまうのである。がまんなんて、一分間だってできないのである。

一分間がまんしてやったら、ものすごく、自分が損をした気持になってしまのうのである。死ぬほど腹がたつのである。きちがい的な意地がかかっているのである。たとえ、一秒だろうが、一分だろうが、自分が絶対にゆずってやらないということに、命がかかっているのだ。

きちがい兄貴のヘビメタに対する態度は、きちがい親父のカネに対する態度とおなじだ。

きちがい兄貴は、きちがい親父のカネの支配をうけていた。これ、ほんとうに、カネの支配があった。だから、きちがい兄貴は、自分でバイトをして勝ったヘビメタ道具一式だから、ほかのやつに文句を言われる筋合いがないという感情もあった。

この(兄貴の)感情の出所が、きちがい親父のカネに対する態度なのである。

カネで、いじめられる。カネのことで、意地悪なことをされる。カネのことで、ものすごく腹がたつことをされる。

もちろん、きちがい親父のほうは、そんなことをしているつもりがないんだよ。きちがい親父は、いじめているつもりなんてないんだよ。けど、親父のカネに対する態度に問題があるから、親父にかかわると、カネのことでいじめられることになるのである。

かならず!!!!かならず!!!不愉快な目にあわされる。

だから、きちがい兄貴にとっては、きちがい兄貴が高校生になってバイトをして金を稼げるようになったということは、きちがい親父のカネの支配から、自由になったということなのである。

きちがい兄貴がバイトをして、自分のカネで、ヘビメタ道具を買ったということが、めちゃくちゃに重要なんだよ。きちがい兄貴のなかで、めちゃくちゃに重要ことなんだよ。

これ、こんなことを言ってもわかってくれる人はいないと思うけど、こういうことも、関係している。自分のカネで買ったヘビメタ道具でヘビメタを鳴らしているのだから、どれだけでかい音で、どれだけ長い時間鳴らしても、まったく問題がない……という感じ方がある。

けど、こういうことを抜いたとしても、きちがい兄貴の頭の構造は、きちがい親父の頭の構造とおなじだから、やはり、自分ががまんさせられたとなったら、発狂してしまうのである。

まあ、ひらたく言うと、親父のお金支配をうけて、意地になっているところもあるのだけど、それだけではないのだ。基盤は、きちがい親父と同じタイプの脳みそを搭載しているということだ。

自分が!!がまんさせられる……となったら、一秒でもがまんしたら、死んでしまうというような危機的な気持になって、反抗をするのである。

「絶対にゆずってやらない」とがんばるのである。真っ赤な顔をして、体をこわばらせて、がんばるのである。このときは、そういう感情だけだから、相手が自分のやっていることでこまっているということは、まったく頭のなかにない。きちがい兄貴の頭のなかには、相手が(自分がやっていることで)こまっているということが、まったくない。

まったく頭のなかにないから、時間がたてば「やったってやってない」ということが、成り立ってしまう。やりきったら、「やってない」ということになってしまうのである。感情的には……。

きちがい兄貴だって、ほかの人が出す音には、わりと敏感で、この世に騒音と言える音があると言うことがわかっているのである。本人だって、わりと敏感に、自分が聞きたくない音に反応するのである。

ところが、「思いっきりでかい音で」ヘビメタを鳴らしたという気持があると、……その気持ちにあわせて、すべてが、ゆがんでしまうのだ。その無意識的な欲求にあわせて、現実認知がすべてゆがんでしまうのだ。自動的にゆがむ。

*     *     *

それから、ちょっとだけ言っておくけど、きちがい兄貴のヘビメタ騒音にさらされていれば、憂鬱になるのだけど、ぼくの認知がゆがんでいるわけではないのだ。

きちがい兄貴のヘビメタで、宿題ができず、宿題ができないということから発生するトラブルに見舞われたとする。不愉快な出来事だ。そして、きちがい兄貴のヘビメタで、眠れなくなり、どうしても、遅刻をしてしまうということが発生したとしよう。

その場合も、学校でトラブルが発生するのだけど、これは、めいる出来事なのである。頭にくる出来事なのである。

そりゃ、学校のみんなは、教師も含めて、ヘビメタで「どうしても遅刻してしまう」ということは、認めないので、ヘビメタ騒音の影響に関して認識のちがいがあり、トラブルが発生してしまうのである。

そして、学校のみんなや教師は、「家族で話し合えば、問題が解決する」と思っているので、そこでも、きちがい兄貴やきちがい親父の脳みそに関する認識のちがいがあり、トラブルが発生してしまうのである。

もちろん、不愉快な出来事だ。

これ、鳴らされて、ずっと遅刻をしないようにするということが、どうしてもできない。もう、それは、はっきりしている。

だから、実際に「ものすごい音で」鳴らされているあいだ、くるしいというのは、ほんとうのことで、ぼくのほうに認知のゆがみがあるわけではないのである。むしろ、ほかの家では絶対に鳴らさないような音で、長時間、鳴らしてしまうほうに認知のゆがみがある。あれだけでかい音で、ずっと毎日鳴らされれば、憂鬱になるのである。そして、寝不足が続いてうつ病になったとしよう。その場合、うつ病患者の認知がゆがんでいるということになってしまのである。ようするに、ぼくがうつ病になったなら、うつ病になったぼくの認知はゆがんでいると、認知療法家が解釈してしまうのである。けど、ぼくの認知はゆがんでいないのである。これ、どれだけ重要なことか、ほかの人たちはわからないと思う。認知療法家だってわかってないよ。心理学者だってわかってないよ。認知療法家の認知のゆがみに関しては、ずっと前に書いたので、ここでは省略する。ちょっとだけ書いておくと、内因性のうつ病に関しては、認知療法の理論が当てはまる場合があるのだけど、外因性のうつ病に関しては、認知療法の理論がはてはまらない場合もあるのである。


2025年4月2日水曜日

「受け止め方の問題だ」とはまったく思わずに、自分の感情がしょうじるままに、受け止めているのである

自分のなかのやりたいことを、他人のことを考えずにやってしまう人は、迷惑行為をやりやすい人なのである。家族が、自分のなかのやりたいことを、他人のことを考えずにやってしまう人だと、いやなことが発生しやすいのである。


順番ということを考えた場合、実際に、きちがい的な親が、正常な親がやらないような迷惑行為をするということが、始まりなのである。これが一番目に起こることだ。

そして、これは、やられたほうの受け止め方の問題ではなくて、やっているほうの、行為の問題なのだ。まわりの他人がこまる行為をするけど、他人がどれだけなにを言っても、迷惑行為だと認めない性格傾向が問題なのだ。

本人が、迷惑行為をやっているということを感じなければ、本人のなかでは、迷惑行為なんてやっていないということになるので、迷惑行為をやめないのである。本人にとっては迷惑行為ではないのだから、やめる必要がない。

やられたほうの受け止め方の問題ではなくて、やっているほうの迷惑行為をやっているという認識のなかさが問題なのだ。ようするに、やられたほうの問題ではなくて、やるほうの問題なのである。

これにも、受け止め方の相対主義という問題がある。精神世界の人たちが言うことには、いっぱい、罠が仕掛けられている。これらの複数の罠は、かならず、やられたほうが悪く言われるようになる複数の罠なのだ。

けど、まあ、受け止め方の相対主義という問題について語るのはやめよう。

とりあえず、ほとんどの人が不愉快だと感じるネガティブな行為を、きちがい的な家族が、実際にしたということにしておく。いちおう、ネガティブな行為を実際にやったということにしておく。つまり、固定しておく。

やはり、避けては通れない問題なので、ほんのちょっとだけ、受け止め方の相対主義について語っておく。ほんとうは、この問題に関しては、だいぶ前に書いた記憶がある。だから、ほんのちょっとだけ、書いておく。

悪い行為などは存在せず、すべては、中立的な行為なので、中立的に受け止めることが可能だというよう妄想的な理論は、人を傷つける。

精神世界の人は、「すべては受け止め方の問題だ」などと、わかったようなことを言い、きちがい的な人間に「やられたほうの人間」をせめるのである。

そして、「やられた人の性格がネガティブだからそういうふうにされる」と決めつけて、悪口を言い出すのである。

精神世界の人が、どれだけ、普段、「(出来事を)中立的に受け止めているか」というと、中立的には受け止めてないのである。

生活のなかでは、「受け止め方の問題だ」とは思わず、固定された受け止め方をするのである。まず、そういう固定された受け止め方が、それまでのメタ認知と価値観によって、しょうじるということだ。これがわかってないのである。

これは、精神世界の人が、普段は、言霊の力を使わずに……つまり、言霊の力を使えずに、現実問題に現実的に対処しているということに、まったく気がつかないのとおなじだ。

じつは、精神世界の人も固定された受け止め方を、しているのに、それに気がつかないのである。

そして、言葉を語るときだけ、「受け止め方の相対主義」を口にするのである。ようするに、「すべては、受け止め方の問題だ」と言いやがるのである。この、癖は、どうにかしたほうがいいぞ。

本人が気がついていないだけで、普段は、中立的に受け止めていないのである。それまでの価値観にしたがって、出来事を受け止めているのである。

例にあがるのは、話のなかで、「そう思いやすい出来事だけ」であり、普段は、なにも気にせず、普通に固定されたやりかたで、出来事を受け止めているのである。

つまり、「受け止め方の問題だ」とはまったく思わずに、自分の感情がしょうじるままに、受け止めているのである。

自分の感情は、たしかに、価値観や、メタ認知の影響をうけるのだけど、価値観やメタ認知を相対化すれば、それで、出来事をまったくちがうかたちで受け止めることができるかというと、そうではないのだ。

まったくちがうかたちで受け止めた場合にも……その場合は、新しい価値観が生じているのである。そして、新しい価値観をささえるメタ認知が生じているのである。新しい価値観も中立的な価値観ではないのである。メタ認知は、メタ認知として自然に発生しているのだけど、発生した時点ですでに、中立的ではないのである。

発生したときになんらかの意味が「付与」されてしまっている。だから、まったく中立的なメタ認知なんてものはないと考えるべきなのだ。

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。