2026年1月31日土曜日

●「このちり紙は、おいしいカレーになる」■言霊※2026/01/31 11:17

人間が、「あまさ」を感じたとき「あまい」と表現することについて考えてみよう。

実際には、味蕾が感覚器として機能している。味蕾の感覚が電気信号として神経を伝わって、脳に至り、脳であまさを感じるのだ。

そして、この感覚と、この感覚のことを「あまい」と表現するということを学習している場合は、「これは、あまい」というような表現をすることになる。

言霊主義者といえども、この連合を学習する前に「あまい」と言うからあまくなるというようなことは、言わないのだ。言霊主義者というのは「あまいと言うからあまくなる」という理論を採用しているのである。

ところが、食べるまえに「これはあまい」と言って、食べて、「これはあまい」と言ったから、「これはあまい」という言葉に宿っている言霊の力によって「これ」があまくなったと考える言霊主義者は、あまりいないのである。

普通に「それ」を食べて、味蕾であまさを感知したあと、あまいと感じているのである。

別に、食べるまえに「これは、あまい」と言って食べるわけではない。

たとえば、水を飲む前に、「この水は、あまい」と言って、水を飲むと、「あまくなったような感じがする」というようなことを言う場合がある。

これは、自己暗示の世界だ。

言霊とは関係がない。

ところが、言霊主義者は、「言霊の力によって、あまくなったのだ」と勘違いしているのだ。

言霊主義者だって、電車は、電気の力で動いていると思っている。

電車が、言霊の力によって動いているとは思っていないのだ。

それとおなじように、言霊主義者だって、普段は、言霊の力によって、「それ」があまくなったのだとは思っていないのだ。

人間は、普通、あまいものを食べると、あまいと感じて、すっぱいものを食べればすっぱいと感じるのだ。言霊主義者も、このしくみは、おなじなのである。

たいていの場合、言霊主義者だって、からいものを食べると、からいと感じるのだ。

なにかを食べるまえに、味を決定するような言葉を言い、その言葉に対応した感覚がしょうじているわけではない。

ところが、コーヒーをスプーンでかき混ぜるとき、「あまくなーーるあまくなーーる」と言うと、実際に「あまくなるんだ」ということを言っているわけ。

自己申告制だから、自己暗示が強い人は「実際に、あまくなった」と思うだろう。自己暗示が強い人は、意識的に嘘を言っているわけではない。

けど、その自己暗示が強い人ですら、たいていは、食べるまえに、味を決定しているわけではない。「それ」を食べたとき、あまく感じるのは、「それ」を構成する物質と「身体」の相互作用の結果だ。

味蕾は、もっと詳細な構造をもっている。実際には、味細胞が味を感覚している。あまさに関しては、甘味受容体がかかわっている。

感覚器や脳みそがちゃんと機能していると、あまいものを食べたときは、あまいと感じるのだ。

これは、「それ」が「あまい」と言われるまえに、あまいものであるということを意味している。

もちろん、味を感じない人だっている。だから、その人は「それ」があまいのかどうかわからない。

しかし、普通の身体をもっている場合は、あまいものを食べると、あまいと感じるのである。

別に、食べるまえに「これはあまい」と言ったから、「これはあまい」という言葉に宿っている言霊の力によって、あまくなったわけではない。

つまり、「これはあまい」という言葉に宿っている言霊の力によってそれが実際に、人間があまいと感じる物質にかわるわけではない。

たとえば、AさんとBさんがいたとする。Aさんが、唐辛子を指さして「これは、あまい」と言ったとする。言霊主義者の主張が正しいなら、その唐辛子は「これは、あまい」という言葉に宿っている言霊の力によって、あまくなっているはずだ。

その唐辛子を、Bさんが食べたとする。

その場合、Bさんは、普通に「これは、からい」と感じるのである。Aさんが、自己暗示の強い人だと「これはあまいと言ったからあまく感じるはずだ」という気持ちになり、実際に食べたら、多少あまく感じたというようなことが、起こりえる。

だったら、言霊はあり、言霊の力が作用して、唐辛子があまくなったのだと言えるかというと、言えない。

だって、そうだろ。Bさんは、あまく感じなかった。

Aさんだって「少しあまくなったような気がする」と言うかもしれないけど、感覚器や脳みそが正常なら「からい」と感覚するはずだ。自己暗示力が強いAさんの場合だって「あまくなったような気がする」だけなのである。

完全に催眠術にかかっている場合は、「あまい」と思うかもしれないけど、これは、言霊の力とは関係がない。これは、言葉の力が関係している。そして、だれもが催眠術にかかるわけではない。催眠術の場合は、脳のほうに影響を与えるのである。

すでに、「あまい」という言葉とあまさの感覚の連合ができあがったあとの話なのだ。

ともかく、「これはあまい」という言葉にやどる言霊の力によって、「これ」があまくなったのではないことは確かだ。

そして、言霊主義者が、なにかをものを食べるまえに、「これは、なになにの味がする」と言って、言ったあとに、それが、その味になるわけではないということも確かなことなのだ。

もともと、カレーの味は、カレーの味だ。

カレーを食べるまえに「これは、カレーの味がする。」と言って、食べると、「これは、カレーの味がする」がするという言葉に宿っている言霊の力によって、「これ」が、カレーの味になるわけではない。

「言えば言ったことが(言霊の力によって)現実化する」というのが、言霊理論だ。

それだと、塩を前にして、「これは、砂糖だ」と言うと、塩が(言霊の力によって)実際に砂糖になるということが発生しなければならない。

言霊理論が正しいなら、言霊主義者が言ったとおりになるはずなのである。

塩でも、「これは砂糖だ」と言うと、言霊の力によって、砂糖になるのである。あまくないものでも「あまくなる」と言うと、言霊の力によって、あまくなるのである。

どれだけ、妄想的な理論かわかるだろう。

言霊主義者だって、普段ものを食べるときは、食べたものの味を知覚して、知覚した感想を言っているにすぎないのである。

カレーを前にして、「これは、かつ丼の味がする」と言ったって、普通の言霊主義者は「カレーを食べると、カレーの味がする」と思うのである。

普通の言霊主義者は、「言ったことによって、味がかわらない」ということを知っているのである。

普段、言霊主義者が、食べるまえに、「それ」の味を決定しているとかというと、決定していないのである。言霊主義者は、普段の行動を完全に無視している。

言霊主義者だって、普段は、食べたあとに、「これはまずい」とか「これはうまい」と感じているのである。

ある言霊主義者がいるとする。この言霊主義者がAという店でかけそばを注文したとする。そうしたら、そのかけそばが、まずかったとする。これは、食べたあとに、この言霊主義者がAという店のかけそばはまずかったと思ったのだ。

さきに、言霊主義者が「そのかけそば」の味を決定しているわけではないのである。

食べた「あと」に、まずいと思ったのだ。

だいたい、言ったことが現実化するなら、「このちり紙は、おいしいカレーになる」と言えば、このチリ紙がカレーになるのである。

魔法の力なのである。

●実際にやられたことがないから、わかっていない■騒音※2026/01/31 11:00

 学校から帰ってくると、きちがいヘビメタが鳴っていて、それが、基本、午後一一時一〇分まで続くのである。

実際には、きちがい兄貴が飯を食って風呂に入る時間は、鳴っていない。

だいたい、午後七時二〇分から午後七時四〇分だ。この二〇分間、鳴っていないから、いいかというと、よくないのだ。午後七時二〇分から午後七時四〇分の間の二〇分間、勉強すればいいかというと、よくないのだ。
じつは、午後四時から午後七時二〇分までのあいだの、三時間二〇分で、頭が、相当にやられている。

これも、「そんなのはいいわけだ」と言う人がいるのだけど、いいわけではない。ほんとうに、やられている。どれだけ、響くか……ぜんぜん……わかっていない。

超・高圧状態なんだよ。

あの音圧で、あの至近距離で、自分がこの世で、一番嫌いな音をずっと聞かされ続けるということが、どれだけ脳みそを破壊するかわかっていない。

どれだけ精神を破壊するかわかっていない。

鳴りやんだら、すぐに、勉強できるような状態じゃないのだ。

この…… 午後四時から午後七時二〇分までの間の、三時間二〇分間だけで、終わっている。もう、めちゃくちゃな気持ちになっている。

きちがい兄貴が、まったくわかっていないんだよな。その態度が、頭にくる。そういうやつ……まったくわかっていない家族が鳴らす、……よその家では鳴っていないきちがいヘビメタ騒音が、ぼくのこころを破壊しないわけがないだろ。

脳みそは、不可避的に影響を受けるのである。言っておくけど、耳栓なんて慕って無駄だ。ガンガンガンガンガンガン、入ってる。耳に入ってくる。頭に入ってくる。

脳みそを破壊する。

どれだけくるしい気持ちになるか、ほかの人は……つまり、実際に、家族にやられていない人は、わからない。

きちがい家族が、絶対の意地で鳴らすけど、絶対の意地で、悪いと思わないのだ。そういう構造自体が、ものすごく腹が立つことなんだよ。

きちがいが「あたりまえ」だと思っているんだからな。ぜんぜん、あたりまえじゃない。

あんまりにも、あたりまえじゃないから、よその人は、「想像」でものを言うのである。これは、ようするに、自分がやられていない状態で言っていることだ。

ぜんぜん、ちがう。これも、ぜんぜんちがう。

実際にやられたら、みんな、ぼくに賛成する。

やられていないから「そんなのは、言い訳だ」と(ほとんどの人が)言う。

言うかどうかは別にして……「自分なら平気だ」という前提でものを言う。

言うかどうかは別にして……「自分なら影響を受けない」という前提でものを言う。

実際に、あの態度で、やられたら、(こういうことを言っている人たちだって、みんな)猛烈に腹を立てる。

腹を立てて、腹が立っているあいだ、影響を受ける。

心がガラガラになる。発狂状態と実際の騒音で、勉強なんてできくなる。態度が、きちがいなんだよ。みんな、ここのところがわかっていない。

きちがい的な態度で、鳴らされるということがどういうことなのか、みんな、ぜんぜんわかっていない。

実際にやられたことがないから、わかっていない。

想像でおぎなえる、ごくごく少数の人だって、実際にやられていなければ、わかっていない部分がある。

きちがい家族が「まったくわかっていない」ということが、どれだけ、腹が立つことか、(みんな)わかっていない。

きちがい家族のきちがい的な感覚が……感覚自体が……やられている人間にとっては、ものすごく腹が立つことなのである。

「これ、どれだけ、現実を無視した態度かわかっているのか?」とよその人にも言いたくなる。言いたくなる。

*     *     *

俄然、きちがい的な態度で鳴らすわけだけど、それが、猛烈にいやなことなんだよ。

きちがい的な態度が、いやなんだよ。

あの、きちがい的な態度で鳴らされて、憤慨しない人なんていないと思う。

鳴っているあいだじゅう、憤慨が持続する。

つかれる。どれだけ「楽しい楽しい」と言ったって楽しくならない。どれだけ「元気だ元気だ」といたって元気にならない。

だいたい、「すぐに鳴りやむ」と言ったって、ぜんぜん鳴りやまないんだぞ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。