2024年4月25日木曜日

そんなことでどうにかなるなら、とっくに、どうにかなっている

 昨日書いたことだけど……前回の投稿で書いたことだけど……やっと、ある程度満足できる形で、説明することができた。まあ、そのものずばりは言ってたんだけどね。言ったって、キョロ充が、「そんなの関係、ない」「ヘビメタ騒音なんて関係がない」と言いやがるんだよ。これ、普通の人は、ぼくが、なんで腹をたてているかわからないだろ。どうして、ぼくが起こるかわからないだろ。どうして、ぼくがそういうことを言うのかわからないだろ。そういうことというのは、ヘビメタ騒音でできなくなるということの説明だ。これ、みんな、「俺だって、くるしい」とか「俺だってつらい思いをした」とかと言うけど、「できる」という前提でものを言っておいてなんだ? これ、俺と同レベルのつらい思いをした人は、みんな「できない」ということがわかっている。だから、「できる」という前提でものを言わない。そして、「できる」ということを言うやつは、「こうすればできる」というような助言をするけど、その助言が、言霊的な助言や、思霊的な助言や、努力論的な助言なのだ。悪いけど、ぼくと同等の経験をした人は、そんなことはいない。どうしてかというと、 言霊的な助言や、思霊的な助言や、努力論的な助言が、まったく、まったく、まったく、まったく、無意味なことを知っているからだ。そんなことでどうにかなるなら、とっくに、どうにかなっている。そうじゃないからこまっている。そうじゃないからこまっている」ということを知っているから、そんな助言はしない。きちがいヘビメタ騒音は、そういう助言や、根性で、どうにかなるようなことではないのである。根性でどうにかしようとしてもどうにもならないのである。はげしくくるしくて、できないのである。どれだけ根性を出しても、ヘビメタが鳴っているとできないのである。そういうことが、わかってない。自分の経験でわかってないから、言霊的助言や思霊的な助言や、努力論的な助言は、有効だと思って、そういう助言をしてくるわけだろ。そういう助言をするということ自体が、無効だとわかってないということを証明している。その人が、わかってないから、そういう助言をして、問題がないと思っているのだ。同等の状態を経験したことがある人なら、そういう助言が、無効だということがわかっている。自分の身でわかっている。どれだけそんなことをやっても、くるしいだけで、まったく役に立たなかったということが、自分の経験で、わかっている。わかっていないから、「俺だって苦労した」と言って、無理難題を吹っ掛けてくる。「俺だってつらい思いをした」と言って「できないこと」を吹っ掛けてくる。これ、「できない」ということを、理解してないということだ。俺と同等の経験をした人は「できない」「できなくなる」ということがわかっているので、そんなことは言わない。

こいつらは、俺が「できない」「できなくなる」ということを言えば、「なんだせっかく、助言してやったのに」と腹をたてる。腹をたてたいのは、こっちなんだよ。ごく普通のやつが、そうやって、おそってくる。ごく普通のやつが、そうやって、俺のことを悪く言う。ほんとうに、ヘビメタが鳴っているとできなくなるのに、「エイリさんが、弱音を言っている」とか「エイリさんが、不明不満を言っているだけだ」とか「エイリさんは、不平不満を言いやすい性格だから、不平不満を言っている」とかと言ってくる。どれだけがんばったっ、できなくなるんだよ。そして、よそでは、きちがい兄貴だって一分だって鳴らせないような、でかい音で、鳴らしているのは、兄貴なんだよ。俺が悪いことをしているわけではない。どうしても、宿題ができなくなるのである。あの音のなかで、宿題ができる人なんていない。言っておくけど、ヘビメタが好きな人は、その人にとって、苦手な音があのレベルのでかい音で鳴っていたらということだ。同等の経験をしたことがないから「できる」という前提でものを言うのに、同等の経験をしたと思っている。いや、同等の経験をした人は、そんなことは、口がさけても言わない。はっきり言えば、同等の経験をした人は、宿題ができなくなるので、きちがいヘビメタが鳴っていても、宿題はできるはずだという前提で「ものを言えなくなってしまう」のである。宿題はできるはずだという前提でものを言っているのだか、同等の経験をしてない。たぶん、ほかの人は、「ヘビメタ騒音なんて関係がないとか、過去なんて関係がない」とちょっと言っただけなのに、なんだその反応は……と思っていると思う。「言霊は正しい」とか、「思ったことが現実化する」とかと思っていると思う。すでに、きちがい家族にやられて、つらい思いをしている人に、「明るいことを思えば、明るいことが起きて、暗いことを考えると暗いことが起こる」なんてことを言って、なにも感じないなんて、おかしい。けど、そういうレベルの人が多い。これ、いい助言だと思っているんだよね。ぼくが、ここで、ながながと説明したことがわかってない。同等の経験をしたことがないから、わかってないだけなんだぞ。

2024年4月24日水曜日

名誉にかかわることなのである。

 こいつらは、鳴ってなくても、さぼりたいから、宿題やってこないはずだと思っているんだよ。そういう前提でものを言っている。失礼なやつらだろ。じゃあ、どうしてそういうことが発生しているのかというと、きちがい兄貴が、普通の人が考えられないような意地で、普通の人が考えられないような騒音を鳴らしているからだ。そして、普通の人たちが、俺についてわるく誤解するからだ。たとえば、「そんなのはいいわけだ」ということを言うやつは、ヘビメタ騒音やヘビメタ騒音相当の騒音が鳴っていても、自分なら宿題ができると思っているわけなんだよ。けど、これは、まちがいだ。ヘビメタ騒音相当の騒音が鳴っていたら、宿題はできない。できるわけがない。そいつにとって、この世で一番きらいな音が、あの大音響で、あの至近距離で鳴っていて、宿題なんて、頭を使うことができるわけがない。やられてないから、そう思っているだけだろ。だいたい、「宿題をやりたくないから、ヘビメタ騒音でできないと、いいわけをしている」という解釈だって、勝手に「宿題をやりたくない」と決めつけているけど、そういう決めつけは、失礼じゃないのか? 「宿題をやりたくないから、宿題ができるのに、ヘビメタ騒音でできないといいわけをしている」と言っているわけだよ。きちがいヘビメタ騒音のなかで宿題ができるという前提だ。俺が……エイリは、宿題をやりたくないから、いいわけをしているだけなんだという前提だ。どうして、「えいりは宿題をやりたくないから、やってこない」という前提になっているのか。どうして、俺の性格について、そうやって、悪く言うのか? きちがい兄貴の性格について悪く言わずに、俺の性格がわるいから、やってこないと言っているのだ。俺の性格がわるいからいいわけをしていると言っているのだ。こんなの、ない。ヘビメタを鳴らされると、こういうことになるんだよ。こいつらの根拠はなにかというと、げんにやってこないということだ。ヘビメタで宿題ができなくなったら、こういう、悪いやつらに、こういう悪口を言われる。ようするに、こいつらは、「なんだろうが、やってこないのであれば、自分が言っていることを、相手が否定はできないのだから、言ったもの勝ちだ」という思考をしている。きちがい兄貴が鳴らしてなかったら、ということが、仮定の話になっているわけだよ。げんに、きちがい兄貴がヘビメタを鳴らしたのだから、鳴らしてない場合の話は、成り立たない。現実ではない。ならば、それについて、それについて、「勝手に理由を考えていっても、いい」ということになってしまっている。自分が考えたことを言っただけだということになってしまっている。ヘビメタ騒音が鳴っている限り相手の考えがまちがいだということを、俺は証明できないんだよ。相手が、頭のわるいやつだから、認めない。証明はできない。どうしてかというと、実際に鳴っているからだ。鳴ってない現実がないからだ。鳴ってない状態になって、俺が宿題をやれば、そういうことは言われない。けど、鳴っているからできない状態だと、「いいわけをしている」と言われることになる。これは、「エイリは、すぐにいいわけをするような悪い人間だ」と言っているのとおなじだ。勝手に決めつけているだけなのだけど、俺が、宿題をやらなければ、そうではないということを証明できない。ところが、ヘビメタ騒音なかでは、宿題ができないのである。どれだけがんばっても、宿題ができない。鳴っていなければ、できる宿題ができない。できなくなる。鳴っていなければ宿題ぐらいできるということは、ぼくには、あきらかなことだ。実際、やろうとしているわけだから……。きちがいヘビメタのなかでやろうとしているわけだから、できないということが、あきらかなんだよ。そして、鳴ってないときは……きちがい兄貴のヘビメタがはじまるまえは、普通に宿題ができたのだから、鳴っていなければ、宿題ができるということは、あきらかなんだよ。ぼくにとっては……。こいつらが、勝手に、「エイリは、いいわけをするような悪い人間だ」「エイリは、できることを、できないと言う、だらしがない人間だ」「エイリは、人のせいにするようなダメな性格だ」と決めつけているのである。ほんとうに、できないのに、そういうことを言われる。そういう前提で、えらそうなことを言われる。けど、どれだけくやしい思いをしても、実際に宿題をやるようにしなければ、こいつらは、そう思ったままなのである。だから、ヘビメタ騒音が「つづいてしまう」ということは、ぼくにとって非常に問題があることなのである。名誉にかかわることなのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。